ネーレイスは人造神器を持ち、全力で走っていた。戦場から脱出するために。幸いにして、回避するだけなら目玉の光線は怖くない。問題である質量についても、怪物から離れれば離れるほど目玉の数は少なくなっていった。
アレス零とゼウスIの攻撃を見届けて。父であるポセイドンIIから離脱しろ、の指示を受け、すぐにネーレイスは走り出した。胸には、ヘパイストスXIから預かった小型望遠カメラを抱いて。
まあこの手の機械、ついついあるだけ持ち出しちゃうんだよねえ、とヘパイストスIXは笑いながら腰回りのポシェットを指さしていた。その中から、ネーレイスが遠くからでも状況を確認できるように、と渡してくれたものが、この小型望遠カメラだ。
ポセイドンIIに事前に指定されたポイントまで下がったネーレイスは、震える手でカメラを構える。もう目玉は振り切り、遠くで怪物が暴れているのが見える程度だ。安全、ではないが、あの戦場ほどではない。
「はっ、はっ、はっ……」
乱れた呼吸を整えもせず、ネーレイスは必死にカメラを回す。ネーレイスの役目は、この戦いの結末を記憶すること。記憶して、全ての残された人類に伝えること。それが絶望への伝令となるか、はたまた、明るい未来を示唆するものとなるか、それはネーレイスにもわからない。
ここまでの事実と、それから「ワシ達は死んだものとして報告しろ」というポセイドンIIの指示通りに。結局、ゴッドナンバーズで生き残ったのは自分だけだ。
人造神器だから、ゴッドナンバーズ見習いだから、ずっと、最前線に出れず、後ろで動くだけだった。
「ふ、ぅ……うぅ~……っ!」
悔しさと悲しさに押しつぶされた心が、たまらず泣き声を上げ始める。唇を噛み締めて我慢しようとするが、嗚咽は止まらない。
カメラの向こう、激しい水しぶきが上がり、怪物の悲鳴が大きくこだました。遅れて、地面がわずかに揺れるような振動が伝わってくる。
「は……あぁ、あ……お父様ぁ……」
今すぐ戻って安否を確認したい。まだ戦っているなら、その背中を支えたい。その願いを押し殺して、ネーレイスはひたすらに怪物の動きを待った。流れる涙を、腕で強引にふき取る。それでも、次から次へとあふれ出てきた。
しばらく、観察していると、怪物の翼が大きく広げられた。また目玉でも生み出すのか、とネーレイスは込み上げる吐き気を抑えて怪物を見続ける。
怪物は、広げた翼を羽ばたかせた。巨大な蛇の胴体が、持ち上がる。だらりと両腕は垂らしたまま、空中へと舞い上がっていった。そのまま、空中で何度かぐるぐる旋回した後に、上昇を続けていく。
「まさか……」
ネーレイスは呆然と怪物の行く末を見守った。怪物は雲の切れ間に姿を隠し、這いずるような音をばらまきながら、完全に姿を消した。その音すら、そのうち聞こえなくなっていく。
そして、静寂が訪れた。
荒野となったオリュンポリスに、一人、ぽつんとネーレイスは立っている。
「終わった、の?」
地平線の果てが白く染まり始めている。ネーレイスが立ち尽くしている間に、夜の色はどんどん薄くなっていき。太陽が地平線から頭を出した瞬間、その眩しさにネーレイスは思わず手で顔を覆った。
「あ、あ、あ……ああああああ!!!」
ネーレイスはその場に崩れ落ちた。地面に蹲って、吠える様に泣き声を上げ続ける。そのネーレイスを慰める手も、叱咤する声も、優しく寄り添ってくれる友人も先輩も父親も。
もう、どこにもいない。何もない。
オリュンポリスの夜は、今、終わりを告げた。