アレス・ザ・リベンジャー(1) - 6/7

 アレス零とハデスIVは戦場へと舞い戻った。それを見つけたゼウスIが遠くからサムアップして答える。そんなゼウスIは肩で大きく息をしていた。
 怪物の動きはやはり単調で、回避するにしても、攻撃を仕掛けるにしてもやりやすかった。まるで、向こうがこちらの出方を伺っているかのようだ。
 生き残ったゴッドナンバーズ達もアレス零とハデスIVと合流し、自然とポセイドンIIを中心に集合する。今後の方針を一度考えるために、怪物の様子を伺うのはこちらも同じ。
 一時的に、静まり返った戦場。集まったゴッドナンバーズ達を、怪物が目を細めて見下ろす。頭部にはいくつも鱗が禿げ上がった場所があり、左目の上には特に大きな切り傷が。ディオニソスXIIがつけた傷あと。そこから流れ出る血は、怪物のギラついた瞳を覆い隠していた。
 
「あんだけケガしてんだからもう帰りゃいいのにな」
 
ゼウスIが額の汗を拭ってから呆れた様に言う。
 怪物の喉元にはアレス零が開けた大きな風穴がある。ぽたぽた、穴からは血や体液らしき液体が流れ落ちているにもかかわらず、怪物は意に介さないようだった。
 
「……回復、しているな」
「そうだねえ。穴、明らかにさっきから縮んでるし。本当に知性がないのかねえ、僕たちのことな嬲って遊んでるようにしか見えないんだけど」
 
 ポセイドンIIの呟きに応じたのはヘパイストスXIだった。いつも整髪剤でかっちりと固められていた髪はすっかりと乱れている。前髪を邪魔そうに後ろになでつけて、ヘパイストスXIはため息をついた。
 
「で、どうするの?」
「突っ込むしかねえだろ、突っ込むしか」
 
 ゼウスIが単純明快、とばかりに笑った。その言葉に、全員が頷き神器を構える。怪物はそれを目にしたからか、神力の上昇でも感じ取ったからか、口から乾いた音と共に火球を吐き出した。全員、一斉に散って避ける。
 通信網がやられてインカムが使えない今、大声でやりとりするしかない。乾いた喉のせいでケホ、と咽ながらアテナVIIはポセイドンIIの呼びかけに「了解!」と腹の底から声を張り上げた。
 ポセイドンIIの合図で、全員一斉に走り出す。ゼウスIが一番手、二番手にアレス零、そしてその場にとどまってトライデントに力を溜めるのがポセイドンII。
 怪物はそれらの動きを把握したからか、また翼をたたんで大きく広げた。無数の目玉を産み出して、それらをけしかけてくる。
 
「あーもう、やっぱこれ、僕たちの話ちゃんと理解してるでしょ!?」
「さっさと片を付けるべきだな」
 
 ポセイドンIIの周りから目玉を蹴散らしながら、ヘパイストスXIがぼやく。だから僕は戦闘向きじゃないんだって、と言いつつも、複数の銃火器を宙に浮かべて操る姿は立派な戦士だ。
 
「ほんと、絶対、知性あるって。まあ、子供と同じぐらいの知性かもしれないけどね」
 
 怪物本体は傷口の回復に集中するためか、首を落として目をぎょろつかせながら沈黙している。目玉だけが飛び交い、あちこちの地面に穴を開けて回っているだけだ。
 ポセイドンIIが最後方から全員を見渡す。真っ先に飛び出していったゼウスIは順調。その後を追うアレス零は、ハデスIVとアテナVIIの二人の援護を受けて前に進むのがやっとだ。
 ネーレイスをフォローに行かせるか、と一瞬ポセイドンIIは考えたが、頭を振った。娘が可愛いのは本当だが、特別扱いするわけではない。しかし、唯一、この場に人造神器のみで参戦しており、そしていまだ五体満足であるネーレイスには、最後の役目が残っている。
 通信網が断絶された今、誰かがこの戦いの結末を人類に知らせなければいけない。勝ったのか負けたのか引き分けたのか。誰が死んで誰が生き残って、地上が今、どうなっているのか。
 作戦が終ったその後のことまで考えるのが、指揮官の役目だ。それを担っていたアフロディテIXも、ヴァンガード司令のゾエルも、アポロンVIも。こんな年寄りをおいて先に逝ってしまうとは。
 目玉を撃退し、一息ついたヘパイストスXIを呼びよせ、ポセイドンIIは自身の考えを告げた。それに目を細めたヘパイストスXIだったが、生き残ったメンバーを見渡してからその考えに同意する。
 
「やれやれ……僕は機械いじり専門だからそういう小難しい話はやめてほしいなあ」
「さきほどからそればかりだな。戦いは専門外、指揮は専門外、と言いつつもよくやるではないか」
「まあね、年の功だよ年の功!」
「それをワシに言うか」
 
 無駄口を叩き、ポセイドンIIは数時間ぶりにフッと笑みを零した。その顔を見たネーレイスが驚いた表情を浮かべる。
 
「ネーレイス、大事な話がある。よく聞け――」
 
 ゼウスI達が最前線で戦っている後ろで、ネーレイスに一つの重大な任務が申し渡された。
 
 
 
 ハデスIVは必死に走っていた。今、この場で最も役に立っていない人間だという自負がある。片腕で操る神器は普段の半分の力しか出せず、アレス零を一人で守り抜くことすらできない。アテナVIIに、何度も助けてもらっている。
 
「ハデスIV、アレス零、大丈夫か!」
「大丈夫だぞ!」
「ありがとうございます!」
 
 また、今。アテナVIIの巨大な盾で、目玉からの光線を遮ってもらった。銀色の盾は頼もしく、あの威力の攻撃をしっかりと受け流している。
 頑張らないと、とハデスIVはまた一歩踏み出した。思い返せば、アフロディテIXの死も、自分のミスが発端だ。左手を失ったのも、自分の判断ミスが。ぐ、と口を引き結んで、頭に過ったネガティブな思考を振り払う。
 実際のところ、ハデスIVへの負担はアレス零やネーレイスに比べると格段に高かった。アレス零は作戦の中核として全員からのサポートを受け。ネーレイスは、ずっと頼りになる父親と行動しており、支え合ってきた。
 対するハデスIVは、孤独であった。ゴッドナンバーズに名を連ねたばかりで、まだ経験も浅い人間が満足なサポートも得られず。むしろ、歴戦の猛者たちと同レベルの働きを強いられている。
 そのような状態でも、膝をつかずに走り続けているハデスIVにあるのは、アレス零からもらった勇気。父からもらった、諦めない心。
 
「はっ、やぁっ! アレス零、行って!」
「うん!」
 
 地獄の番犬を顕現させ、目玉に対する囮とし。鎖を使って、目玉達の視線を遮り、自身が囮に。
 ハデスIVは何も気を抜いていなかった、必死だった。持ちうる限りの力を全て使って、アレス零の道を切り開いた。
 ただ、怪物は、その痛ましいほどの努力を、簡単に踏みにじった。
 
「はっ! 危ない!」
「エウさん!」
「アレス零!!」
 
 それまで、見ているだけだった怪物が突然、動きを変えてアレス零に向けて火球を放ったのだ。以前よりもかなり小さい火球であったが、それをなんと複数回連射してくる。おそらく、アレス零が視界に入り、先ほど痛い目にあったことでも思い出したのだろう。
 飛んできた火球を必死に避ける三人だったが、目玉からの攻撃も止まらない。アレス零の足が止まってしまう。それではだめだ、アレス零は前に進み続けなければならない。
 ハデスIVは目玉が自分を狙っているのに気づいていた。ここで回避すれば、隣のアレス零も一緒に後退することになる。
 ぎり、と奥歯を噛み締めて、その場に大量の鎖を顕現させた。鎖で作った即席の壁は、目玉達の光線を防いだ。
 
「エウさん!?」
「アレイシア! ここは私が!」
「っ! わかった!」
「アテナVII! 任せました!」
「……了解」
 
涼やかなアテナVIIの声が耳元を通り過ぎて、風と共に去っていく。
 ハデスIVは融解して落ちていく鎖を補充するかのように次々に冥府の鎖を呼び出す。そもそも、こういった使い方は想定していない。どちらかと言えば、敵の拘束や牽制としての使い方が主だ。
 
「はっ、はっ、は……つ、つ、つかれる、のね、これ」
 
 アレス零とアテナVIIを行かせるためにハデスIVは、かなりの空間に鎖の壁を作り出していた。自分だけが助かるためなら、もっと少なく、小さくして良かっただろう。今は、まるで二人の道を通せんぼするかのように、大きな障壁としてハデスIVが浮遊する目玉達の前に立ちふさがっていた。
 
「あ、あぁ……パパ……わたし、がんばった、よ」
 
 じりじり、鎖の数が目玉達に押されて減っていく。ずっと我慢していた涙が一筋、こらえきれずに紫色の瞳から零れ落ちていった。死ぬことへの恐怖とも、楽になる事への安堵とも、これ以上、アレス零たちと一緒に戦えない悔しさとも。
 目の前の鎖の壁が融解し、穴が開いた。その向こうにいた目玉と目があったハデスIVは、ついに力尽きる。ぐらり、と傾ぐ体を、目玉の放った光線が塵一つ残さず掃除していった。
 
 
 
 ハデスIVが作った鎖の壁を背にして、アレス零は走る。背後を気にしなくて良いと思えば、かなり気が楽だ。親友であるエウブレナの事は――あえて、意識から外す。それが、エウブレナの望みだから。
 怪物にあと一歩で届く地点に到達したアレス零は、槍を構えた。それを心得たかのように、アテナVIIが盾を構えてアレス零の前にでる。
 
「アレス零、攻撃に集中しろ。敵の火球は全て私が抑え込む」
「了解!」
 
 一撃目の時と同じだ、とアレス零は言い聞かせて、槍に力を籠める。もう力なんてほとんど残ってないのに、体中から神力をかき集めて。自分の中で、命が削れていく音がするのがわかる。いい、もっと削れ、どんどん使え。なんなら、丸ごと槍に放り込んでやったっていい。
 
「う、おおおおお!!!!」
「アレス零! 行けるか!?」
「行けるうううううう!!! 行くぞおおおおおぉぉぉぉ!」
 
 アレス零が溜めた力を解放しようと、無防備になる。その前で盾を構えたアテナVIIは一歩も動かない、と足を踏ん張り、高熱になった盾を抑え続ける。あまりの熱に、前髪が縮れ、盾を持つ手の皮膚が爛れ始めた。
 
「ぐ、う……通すか……ここは! 私が! 通さない!」
 
 火球の威力に負けじと、盾に全体重を乗せて防ぎきる。圧に負けて、アテナVIIの足が地面にめり込んでいく。まだか、とアテナVIIが焦りを見せ始めた瞬間。アレス零が吠えた。
 
「これが、ワシの、一撃、じゃああああああ!!!!」
 
 アレス零が、アテナVIIの後ろから飛び出していった。その雄たけびに呼応して、アテナVIIも叫ぶ。
 
「行けええええええええ!!」
 
 アレス零! そう叫ぶより早く、アテナVIIは構えた盾ごと、大量の火球に飲み込まれる。山すら一瞬で溶かしつくす高温の火球。アテナVIIと盾の影は、まるでチョコレートを溶かすかのようにどろりと溶けて消えていった。
 
 ――アレス零は、それも振り返らない。
 ――もう後ろに鎖の壁がないことも気づいている。
 ――ただ、真っ直ぐに前を。命を全部注ぎ込んだ、戦神の槍を。
 
 怪物が焦ったかのように何回も火球を振りまくが、アレス零は自らその中に突撃していった。火球を切り裂き、避けようとする怪物の右目へ。
 
「あああああああああ!!!!!」
 
 言葉にならない叫びとともに、アレス零は金色の瞳に槍を突き立てた。ぶつり、と手応え。
 怪物がたまらずに大きな悲鳴を上げて頭を振った。アレス零はその動きに振り落とされないようにしばらくしがみついていたが、急激に神器の輝きを失い、怪物の瞳に槍を残したままアレス零は墜落した。
 
「アレス零!」
 
 ゼウスIの声が遠くに聞こえる。何も痛くないのに、指先からあっという間に温度が失われていく。ああ、これが死ぬってことか、とアレス零はゆっくりと目を閉じた。彼女の命は、怪物の右目に突き刺さったままだ。
 命を失った体は温かさも失い、冷たくなって地面へと落ちていく。
 
 
 
 激痛にのたうち回る怪物。そこに間髪入れず、襲い掛かったのはゼウスI。アレス零が残した槍を避雷針として、上空から最大級に練り上げた神力を使って裁きの雷をくだす。
 
「パントクラトル・ケラウノス!!」
 
 そのまま、自身も落下して、ハンマーのようにした両手でアレス零の槍を怪物の中に押し込んだ。何度も何度も、雷をまとった剛拳を繰り出す。
 
「! ぐっ!」
 
 一心不乱に攻撃を仕掛けていたゼウスIを、怪物の腕が掴んだ。人間の様な形をした手に、握りこまれる。赤黒い肌には紫色の血管が浮かび上がり、怪物の苦しみを表すかのように、ドクドクと早いペースで波打っていた。
 
「く、はっ、は……ゼウスIは、負けない……! なぜなら、最強、だからなっ! 負けないから、最強だ!」
 
 怪物の手にぎちぎちと握りこまれながらも、ゼウスIは不敵な笑みを浮かべた。そして、全身から雷撃を放つ。握ったはずの羽虫から手酷い反撃を食らった怪物は、慌ててゼウスIを放り投げようとする。
 しかし、ゼウスIは怪物の指にしがみついた。後先考えずに、さっきから大技を何回も連発してきたのだ、ここまできたらもうやることなんて一つしかない。帰り道のない一方通行だ。
 
「ハッハッハ! 神が恐れ! 神が負けた! だからどうした!! ゼウスIは最強! 勝利こそ、我が宿命!」
 
 怪物の手が、雷に焼かれて焦げていく。それはもちろん、ゼウスI自身も。
 
「貴様の左手、冥土の土産として頂いていくッ!!」
 
 怪物が痛みに耐えかねて左手を地面に叩きつけた。その瞬間、ぽろぽろと左手は崩れていく。ゼウスIの攻撃は、すでに内部が炭化するほどに怪物の左手を焼き尽くしていたのだ。
 炭化した怪物の肉片にまみれて、ゼウスIは穏やかな笑みを浮かべて息絶えてた。全てをやりつくした、「真っ直ぐな男」の顔だった。