アレス・ザ・リベンジャー(1) - 4/7

「あれは……!?」
「っ! みんな、注意して! 新しい攻撃!」
 
 両翼が一度、胴体に密着するまでに折りたたまれ、再度広げられた時。翼の中とでもいうべきか所に、複数の球体が浮かべられていた。それは目玉と思わしき紋様が描かれており、ぐるぐると回転している。
 そして、それらがゴッドナンバーズ達を「見た」瞬間。
 球体から、怪物が吐き出した光線と同様と思われる、強い光が放たれた。直進してくる光線を、各々が咄嗟に避ける。避けた場所には光線が着弾し、地面を抉った。よく見れば、抉られた穴の縁が融解している。
 
「……あらら、ここからが本番、ってワケ?」
 
 しかも、動くねアレ、とヘラIIIの静かな呟きが響いた。目玉たちはふわりと空中を浮遊し自由に動き回る。
 360度を目玉に囲まれてしまう。正面の怪物が蛇の頭のまま、にやりと笑ったようにアフロディテIXは感じた。ゾッと背筋が寒くなる。
 
「ッ! アレス零! ディオニソスXII! 突撃の準備を!」
『了解! 行くぞアレス零!』
『わかった!』
「各員、アレス零とディオニソスXIIの護衛に! あの目玉が片づけられそうなら片づけて! アポロンVIとゼウスIは本体への攻撃を続けて!」
 
通信用のインカムを口元で抑えたアフロディテIXから矢継ぎ早に指示が飛ぶ。
 
「ゾエル! アレス零とディオニソスXIIのサポートいける!?」
『こちとら準備万端で待ってンだ、いつでもいけるぜ!』
「任せたわよ!? 二人のサポートは私、もう見ないからね!」
『任せな!』
 
 ゾエルの頼もしい応答にアフロディテIXはひとつ頷いた、アレス零とディオニソスXIIへの指示をゾエルに丸投げするだけでも、負担はかなり軽くなる。
 アレス零とディオニソスXIIはここまでの戦闘に参加せず、後方で待機していた。遠くから走ってくる二人をアフロディテIXはちらりと視界の端に収めてから前に向き直る。
 ゾエルから上がってくるアレス零とディオニソスXIIへの進路指示を聞きながら、それに合わせて現場を操るのが、アフロディテIXの役目。
 あの攻撃力の高さを見る限り、おそらく一つでもミスをすれば一瞬で蒸発するだろう。即死だ。
 細剣を握り直して、状況を改めて見渡す。怪物は近づいてくるアレス零とディオニソスXIIには気がづいていない。「ちょこまかと」攻撃を繰り返す目の前のアポロンVIとゼウスIに夢中だ。近距離のゼウスIと遠距離のアポロンVIでちょうどよく攻撃をできている。
 ポセイドンII父娘とハデスIVがその間に入ってアタッカーであるゼウスIとアポロンVIのガードを。さらにその二人をヘラIIIとデメテルVが支援しつつ、浮遊する目玉の攻撃を誘導している。
 ヘパイストスXIとアテナVIIはそれらの隙間を縫って、攻撃と支援を臨機応変に対応していた。遊撃部隊、と言ったところだろうか。
 
「普段、協調性がないとか言いながら、やるときはやるのよね~みんな!」
 
 呟きながら、アフロディテIXは浮遊する目玉の一つに接近して細剣を繰り出すが、するりと交わされた。意外と俊敏らしい。チ、と舌打ちして後ろに下がる。
 その横を、アレス零とディオニソスXIIが駆け抜けていった。アレス零は槍を構え、ディオニソスXIIは大剣を担ぎ。
 
『アレス零、もう少し左から回り込め!』
「はいっ!」
 
 まだ怪物までの距離はある。これまで以上に、アグレッシブに動き回る怪物は、その巨体のおかげで少し頭を上げるだけでもアレス零の射程範囲から外れてしまう。そうならないように、アポロンVIとゼウスIは必死に頭を地面へと縫い付けようとしていた。
 
「ッ! アテナVII、ヘパイストスXI! 目玉たちの処理を!」
 
 駆けるアレス零とディオニソスXIIに対して、目玉たちが追従をする。二人の走るスピードに追い付けていないが、いつ、その光線が二人の足を止めるかわからない。
 怪物が、ゼウスIの攻撃にまた悲鳴を上げた。首をのけぞらせ、白い腹をむき出しにする。この柔らかいだろう喉元にアレス零が槍を突き立てることができれば――と思えども、まだ距離が全く足りていない。
 
「おいおい、マジかよ……っ!」
 
 怪物の頭をカチ上げたゼウスIが、次に怪物の取ったアクションに悲鳴交じりの呟きを零した。その声をインカムで拾ったアフロディテIXが振り返ったその先には。
 先ほど同様に、翼を畳み、広げ。複数の目玉が……さきほどの、二倍もの数がありそうな、無数な目玉が。
 
「弱音を吐くなっ! 足を動かせ! 止まるな! 死ぬぞ!」
 
 アポロンVIの一喝に、全員がほぼ本能に従って走り始める。アフロディテIXの耳に、ゾエルの焦った声が滑り込む。それはそうだろう、この数ではアレス零とディオニソスXIIを無事に送り届けるどころか、その前に全滅しかねない。
 
「全員、もう、攻撃はいいからっ! アレス零とディオニソスXIIの道を守る事だけを考えて!」
 
 アフロディテIXの指示に、怪物の目の前で戦っていたゼウスI達が徐々に後ろに下がってくる。
 逆に、あれほどのスピードを出していたアレス零とディオニソスXIIの足が鈍った。前に進めない。目玉達の光線は、精度が低いから避けるのは容易であった。しかし、その弱点を補うべく、なのか数で押されては最初の一歩目の回避を間違えた瞬間に「詰み」が訪れる。
 
 ――最初に「詰んだ」のは、ヘラIIIだった。
 
 いや、知略に長けたヘラIIIであったから間違えたのではなかった。ただ、戦闘向きのヒーローではなかったがために。そして、ここで自分が回避することでアレス零にその光線が向く未来を察したがために。
 ヘラIIIは、その一歩目を踏み出さなかった。
 
「ヘラIIIっ!!!」
 
 身を守る様に構えた姿のまま、ヘラIIIは光に飲み込まれた。アフロディテIXの悲鳴が響き渡ったその後に、ヘラIIIの姿は残っていなかった。
 一人、欠けた瞬間に綱渡りの攻防戦は一気に旗色を悪くする。それだけではない、ゴッドナンバーズの死を目の当たりにしたネーレイス、ハデスIV、そしてアレス零への動揺は計り知れないものがあった。
 
「クソッ、一つ堕としたところで……っ!」
 
 アポロンVIがアテナVIIを狙っていた目玉を撃ち落とした。しかし、その穴を埋めるかのようにすぐに新たな目玉が空いた場所に滑り込む。
 ゴッドナンバーズの相手は目玉だけではない。怪物本体も、地面を抉り土塊を飛ばしてくるし、時にはその人間の腕で捻り潰そうと振りかぶってくる。
 もう一つ、ゴッドナンバーズに焦りをもたらす存在。ディオニソスXIIの制限時間だ。変身済みだとしても後方待機で静かにしている間は良かった。しかし、一度攻勢に出てしまっては、彼の命は砂時計の砂の様に零れ落ちていく。こうして足止めされている今も、サラサラと。
 
「ゾエル! もうちょい攻めた進路で良くない!?」
『っ! いいのかよ!?』
「ジリ貧だもの!」
 
 わかったよっ! と吐き捨てる声が届いた。アフロディテIXよりずいぶん年上だが、同じ指揮官としてソリが合うゾエル。アフロディテIXの進言を聞き入れてくれた人生の先輩に、アフロディテIXの口元は緩く弧を描いた。
 
『アレス零、ディオニソスXII! 右に回り込め、そのまま真っ直ぐ、前方4つの目玉は無視!』
「ゼウスI! フォロー入って!」
『次! 左50m前方のビルの壁に一旦隠れろ、目玉野郎の射線を切って5秒……いけっ!』
「アテナVII! フォロー!」
 
 ゾエルとアフロディテIXの指示が交互に飛び交う。阿吽の呼吸。アレス零とディオニソスXIIの進路指示から必要な援護をアフロディテIXが導き出し。ゾエルはそれを信じて、危険でありながらも効率の良いルートを指示する。
 アレス零とディオニソスXIIは元のスピードを取り戻し、前進を始めた。その周囲を、他のゴッドナンバーズ達が踊る様に囮になる。
 紙一重の攻防は続く。もう、作戦開始をしてからどれぐらいの時間が経ったのだろうか。若いハデスIVやネーレイスは、時折、着地の際にバランスを崩すようにもなってきた。
 
「あっ……!」
 
 ハデスIVが、怪物の投げたビルの残骸の直撃を受けた。倒れこむ姿に、アレス零が一瞬気を取られて足を止める。
 
「アレイシア! 行きなさい!」
 
 アフロディテIXはアレス零を突き飛ばした。本来であればハデスIVが囮として引き付けて、アレス零が問題なく進むはずだったルート。止まってはいけないタイミングで、足を止めてしまったアレス零。
 
(あーあ……注文してた新色リップ、使いたかったな……)
 
 アフロディテIXの意識はそこまでだった。目玉が薙ぎ払った光線によって、上半身が一瞬で蒸発する。神器を構える暇もなかった。
 
「リベッ……!」
「アレス零! 振り向くな! 走れ!!」
「っ!」
 
 ディオニソスXIIの怒鳴り声が響く。アレス零は飛んできた光線を避けて、前を向いた。止まるな、走れ、「行きなさい」。
 滲みそうになる涙を拭ってアレス零は大地を踏みしめた。
 
 
 
『ゾエル! アフロディテIXがやられた! すまないが全体指示も頼めるか!?』
「っ! わかった!」
 
 アポロンVIからの通信に、ゾエルはひゅっと喉が詰まったような音を出した。が、すぐに意識を切り替えてアレス零とディオニソスXIIを中心とした全体の動向を把握し、指示を出していく。
 しかし、負荷は高い。元より危険なルートを追っていたのだ、そこに全体指示を出せて、かつ、戦いもできるアフロディテIXの穴は大きい。
 
「xxxxどもめがっ……!」
 
 アレス零とディオニソスXIIのスピードをこれ以上落とすことはできない。目まぐるしくまわる環境を見ながら、必要に応じて指示を出す。
 ゾエルはずっと座ったままであるにもかかわらず、頭のてっぺんから足の先まで、びっしょりと汗をかいていた。自分が一手ミスれば、誰かが死ぬ。誰かが死んだ時、戦線が崩壊し作戦が失敗する。作戦が失敗したとき――オリュンポリスの人間は、全員、死ぬ。
 荒い呼吸音が、臨時の通信室に響く。ゾエルの目には、仮設で作った望遠カメラ達が撮った映像を映すモニターしか見えてない。
 アポロンVIが飛んだ、アレス零が走る、前方の目玉は左に3、右に5、その奥に4の6、ハデスIVが鎖で目玉をけん制、ディオニソスXIIが走る、怪物が吠える、ヘパイストスXIが銃で目玉を撃つ、アレス零が飛んだ。
 
「はぁっ、はぁっ……アレス零! 右のビル群を! ディオニソスXIIはそのまま進め! ビル群を超えたら合流! ポセイドンII! そこから前方の目玉を!」
 
 あと少し。もう少し。距離は確実に縮まっている。大丈夫、このスピードで行けばディオニソスXIIも間に合う。
 ゾエルはその場で床に唾を吐き捨てた。目の前に広がる多数のモニター群に充血した目を戻す。
 
「あ」
 
 我ながら、間の抜けた声だ、ゾエルはフル回転する脳みそとは別の、人間らしい心を守るためだけの場所でのんびりとそう思った。
 右上のモニターで、目玉に囲まれて行き場を失ったデメテルVの姿があった。もう助からない。デメテルVもそれを理解したのか「あとはたのんだ」とだけインカムを抑えて呟く。次の瞬間には光に染まり、デメテルVの姿は消えていた。
 
「デメテルV殉死ッ! ポセイドンII、ネーレイス! デメテルVの穴埋めを任せる!」
『……了解』
 
 ずいぶんと呼吸の荒い返事が返って来た。ポセイドンIIの老体に、この長期戦はかなり堪えているだろう。
 ゾエルの目の前の机は、口から飛んだ唾だらけだ。だがしかし、あと少し、もう少し。
 コリーヌが用意してくれたペットボトルのスポーツドリンクを喉に流し込む。
 
「アポロンVI、後ろに下がりすぎてる、前に出てくれっ! エウブレナっ! あと一息だ踏ん張れ!」
 
 思わず、ハデスIVではなく、エウブレナと呼んで。そして、正確な情報でもないのに、勝手にあと一息だ、と。
 本当に、あと少し、もう少し、なのだろうか。アレス零とディオニソスXIIが怪物にたどり着いたとして、撃退まで持って行けるのだろうか。
 
 ゴールは、どこにあるのだろうか。
 
 ゾエルは今すぐここで首を掻き切って死にたくなるほどの未来を脳裏に浮かべ、恐怖に打ち震えた。
 あと少し、もう少し……ゾエルは呪詛の様に呟き続ける。
 
 
 
 ディオニソスXIIは大きく息を吐いた。目玉をやり過ごすための、3秒の休憩。体はまだ持つ、持つが……間違いなく、この戦いが終わったら死ぬだろう。少し悩んだ後に、仮面を維持するネクタルを回収した。
 ビルの陰から飛び出し、アレス零の前を走る。もう今更、隠す必要もないだろう。そんな事に力を割くより、今は一撃のために少しでも力を温存したい。
 ゾエルの指示以外にも、状況を見ながらそれなりに他のゴッドナンバーズに援護は飛ばしている。
 ビルの残骸から残骸へ、跳躍、跳躍、ストップ。そこにタイミングよく、ゼウスIが滑り込んできた。仮面を外したディオニソスXIIの顔をちら、と見て驚いたように目を丸くした。
 
「仮面は?」
「もういいだろ、あんなんに使う力がもったいねえ」
「ハッ! いつ、いかなる時も! 見た目は重要だぜ? カッコ良さは力の源にもなる! いかなる時も!」
 
 そう言いながら、ゼウスIは一歩踏み出して、ディオニソスXIIを探しにきた目玉を拳で撃ち抜いた。パンッと破裂音共に、目玉が爆ぜる。
 
「行けよ、ディオニソスXII。ここから先は、俺のステージだ」
「……恩に着る」
 
 ゼウスIの言葉に、ディオニソスXIIは飛び出した。それに並走しながら、ゼウスIは雷撃を飛ばして目玉をけん制する。
 ゾエルの指示で、ディオニソスXIIは跳躍して無残な姿になったハイウェイの上に飛び乗った。その高架下を、ゼウスIは数体の目玉を引き付けながら走る。
 
「よっ! ほっ! そりゃっ!」
 
 ゼウスIは疲れない。負けない。やられない。なぜなら最強だからだ。ゼウスIが負けないのだから、負けない。
 数体の目玉を軽く処理して、次の指示に従う。今度はアレス零の護衛に。やはりディオニソスXIIに比べると、アレス零の動きは悪い。
 
「いようアレス零! どうだい調子は! 抱いてやろうか?」
「こっ、こんな時にっ、はっ、つ、疲れましたっ!!」
「ハッハッハ、だろうな! 疲れるだろう! 見るからに疲れているからな! 俺は疲れてないぞ! 最強だからな!」
「うっ……おおおおお! 負けん! ワシも負けてられん!!」
「そうだそうだその意気だぜアレス零!」
 
 アレス零の背中をポン、と叩いてゼウスIは大きく跳躍した。パンッと拳を合わせて電撃を発生させる。音とともに青白い閃光が迸り、目玉たちが一斉にゼウスIを見た。
 
「俺は負けない、なぜなら負けてないからだ」
 
 そう呟いて、ゼウスIは全力で神力を練る。雷を身に纏い、マントが翻り、独特な髪が風に揺れた。
 動きの悪いアレス零が、ゾエルの想定よりもわずかに遅延し、「詰んで」しまった。それを打開するために、ゾエルから個別通信でゼウスIに来た指示。
 普段から指示に従わないゼウスIだが、素直に従った。なぜなら、その指示の内容はゼウスIの正義に合うものだったから。
 指示は、半径20m以内にいる目玉を全て引き寄せる囮となれ、と。そのとおりに、ゼウスIは目立つように雷撃を放った。それが、ゼウスIの正義。
 今頃、アレス零は先ほどのディオニソスXIIと同様にどこかのビル影で数十秒の休息を得ているだろう。そのたった数十秒のために、ゼウスIは囮になった。
 これまで以上の大量の目玉に囲まれたゼウスIは、電撃の力を使って加速し、ギリギリ紙一重で目玉の攻撃を避けていく。
 
「うおっ、お、ふっ、おおおっ!」
 
 回避に全力を振れば、避け切れる。……ただし、これ以上、目玉の数が増えなければ、という条件付きで。
 
「……うえっ!」
 
 ゼウスIは視界の端に増援が来たのを確認してうんざりとした声を出した。 あの数は、無理だ。斉射されたら逃げ場がない。
 
「おいおい、ゼウスIの最強伝説もここまで、ってか?」
「まっさか~☆ ゼウスIの最強伝説は永遠だ! ってゆっぴー昔から言ってたじゃん!」
「!!」
 
 メルクリア、とゼウスIが叫ぶより先に、柔らかな風が顔の前を横切った。
 
「さあ、行きなよゼウスI。ここはぼくが対応しようじゃないか。この、ヘルメス神様直々に、ね」
 
 ヘルメス神が杖を振ったと同時に、目玉達はゼウスI達を見失い、あたりをきょろきょろ見渡し始めた。赤黒い目玉達が右往左往する姿は、不気味としか思えない。
 
「メルクリア、どうしてここに!」
「……まあ、ぼくもさ、逃げてばっかじゃダメかなって。逃げまわって卑怯な事ばっかりしてたから……友達も好きな人も、離れてっちゃったしね」
 
 後半は、ゼウスIに聞こえないような小さな声でヘルメス神は呟いた。頭を小さく振ってゼウスIの背中を押す。
 
「さあさあ、こんなところで雑談してる暇はないんでしょ? 最強のゼウスIをみんなが待ってるよっ☆」
「くっ……メルクリア、ありがとう」
「いーよ、気にしないで。ま、ぼくだってゴッドナンバーズの一人っていわれたらそうだし、ね?」
 
 ヘルメス神のウインクにゼウスIは大きく頷いた後に飛び出し――二歩進んでから一歩戻って来た。
 
「メルクリア! さっきは泣かせて悪かったよ! 泣かせた方が悪いな! ごめん!」
「!! そ、そういう話、今する!? もういいから早く行きなって!」
「わかった!」
 
 今度こそ、ゼウスIは勢いよく飛び出していった。その後姿を見送って、ヘルメス神は空中で足を組んだ姿勢に直る。伝令神の杖で肩を叩く姿は、悪ガキの相手をする担任教師のようだ。
 
「……なーんて格好つけたんだけど、ほんとはぼくも限界なんだよね……」
 
 ふら、と空中から地面に舞い降りたヘルメス神の頭上から、神の象徴である月桂冠が薄くなり、消えていった。
 ヘルメス神はゼウスIと別れた後、ゼウス達の世界に帰る前に少しばかり閃いた事があって、いたずらを仕掛けに遠出してきたのだ。ところが、そのいたずらが思ってたより大がかりになってしまい。
 
「力使い過ぎた~」
 
 ヘルメス神は地面に大の字になった。いたずらをやりすぎた。ゼウス達の世界への帰り道のエネルギーも全て使ってしまって。さきほど、ゼウスIを助けるために、生命維持として最低限備蓄しておいた力も使い果たしてしまった。
 オリュンポリスの夜空を見上げ、ふと自分の手をかざしてみれば、徐々に薄くなっていくのがわかる。神としての死が近い。なぜ、全部ゼウスIのために使ってしまったのか。必要分は残しておけば、また数万年眠りにつくだけで死にはしなかっただろうに。
 
「なーんであんな、人間ごときに入れ込んじゃったかなあ……」
 
 ユピテリオスの顔を浮かべて、ヘルメス神は急に気が付いた。自分が好きだったプロメテウスが好きな男、アレスの事を。
 ちょっと囁いてやれば、我が身を顧みずにプロメテウスを助けに行った、真っ直ぐな男。そんな男に惹かれたプロメテウスの事を、ずいぶんと苦々しく思ったものだ。なんで、あんなガサツでみんなの嫌われ者なんかに。
 
「ははは……そっか、真っ直ぐな男、って、いいもんなんだね……」
 
 ユピテリオスも、アレスと同様に純真で真っ直ぐな男だった。自分が信じた正義だけを追い続け、誰に何を言われようとも意に介さず。例え世界が敵に回っても、メルクリアの事を心配して助けに来てくれたユピテリオス。
 
「……ファッション、センス、さえ、どうにか、な、れ……ば、もっと……」
 
 毒づいたヘルメスの言葉は、オリュンポリスの夜空に光の粒子と共に消えていった。