多くの犠牲を積み上げて。ついに、アレス零の射程圏内に怪物が入った。怪物は下がることを一切しなかった、蛇だからだろう。おかげさまで、終わりのない追いかけっこをする羽目にならずに済んだ。
『ディオニソスXII、攻撃の準備を! xxxx野郎の首根っこを押さえて、アレス零が攻撃できるようにしろ!』
「了解」
そう簡単に言ってくれるなよ、とディオニソスXIIは呟きながらも、飛んでくる攻撃をかわしながら怪物の様子を伺った。先ほどゼウスIの攻撃で、一瞬だけだが怪物は弱い喉元を晒している。
それができれば、話は早い。ディオニソスXIIが怪物の頭部を神剣ザグレウスで地面に縫い留めることができれば。
「どうやってその時間を稼ぐか、だな」
「そういう時の我々だろう」
するりと、とディオニソスXIIの意識に入り込んできたのはアポロンVIだった。さすがに疲労の色を隠せないのか、ディオニソスXIIと背中合わせになりながら肩で息をしている。
「時間。どれぐらい欲しい」
「3分。アレス零とタイミングを合わせる」
「了解。ゾエルに合図は任せればいいな?」
「ああ」
ディオニソスXIIの低い声での返事に、アポロンVIは肩を揺らした。アポロンVIが笑っている、と気づいたのは、目玉を二体ほど切り落としてからだ。
「なんだよ」
「いや、昔の……お前が反抗期の頃を思い出してな」
「やめろって、走馬灯か」
「……だろうな」
アポロンVIの静かな言葉にディオニソスXIIは思わず振り返った。目の前の目玉を全て撃ち落としたアポロンVIが、ちらりとディオニソスXIIを仰ぎ見る。
「ヴァッカリオ、お前は私より先に自分が死ぬだろうと言っていたが……どうやらそうはならんぞ」
「……おい、やめろ、マジでやめろって」
「そう思うなら、早く怪物を倒してくれ」
アポロンVIはそう言って、インカムに手を当ててゾエルの指示を聞き、飛び出していった。
残されたディオニソスXIIはギリ、と歯を噛み締める。八つ当たりの様に、浮遊する目玉を薙ぎ払った。
その向こうで、悲鳴があがる。
「っ! ハデスIV!」
攻撃を避け損なったのだろう、左腕の肘から先が消えていた。体勢を崩したハデスIVにアテナVIIが駆け寄る。目玉からの光線を、盾で防ぎ。
ディオニソスXIIはそこまで見てから、視線を切った。おそらく、ヘパイストスXIも駆けつけてどうにかしてくれるだろう。むしろ、問題はそちらに意識を飛ばしてしまったアレス零。
「アレス零! 前を向け! 集中しろっ!」
「っ! はいっ!」
「ゾエル! タイミングはまだか!?」
『あと、1分! 今上がってる首を下げるタイミングだ!』
怪物の行動パターンは、かなりわかりやすかった。思っていた以上に、機械的に行動してくれている。やはり知性がない存在なのだろうか。
ゾエルが解析した結果を信じ、ディオニソスXIIは怪物の死角となる場所へと移動した。目玉には気づかれてしまうが、それらはアポロンVIが打ち払ってくれる。アレス零のそばにはゼウスIが。
片腕となったハデスIVも、傷口をヘパイストスXIに応急処置してもらい、戦線に復帰してくる。
ポセイドンII父娘がその間、怪物の目の前で一番の囮になってくれていた。派手に水しぶきをまき散らし、豪快に暴れる現ポセイドンIIと、ささやかながらも繊細でいて、かつ、的確に父のサポートをする新ポセイドンII。
……生き残ったのは、これだけ。半数近くが、すでにやられてしまった。
『ディオニソスXII! アレス零! 準備を!』
「了解」
神剣ザグレウスに、全ての力を籠める。命の一滴にいたるまで、それこそ搾りカスですら全て使い果たす勢いで、ディオニソスXIIは神力を注ぎこんだ。
体のどこかが軋む音がする。せり上がって来た吐瀉物をそのまま吐き出せば、それには血が混ざっていた。口の中に溜まった苦みを、プッと唾とともに吐き捨てる。
3分。3分あれば、己の命すら力に変えて、あの怪物の頭を地面に串刺しにすることができるはずだ。
「っふ、はっ……ぐふっ……」
止まらない体内からの出血に、ディオニソスXIIの口元から血が垂れ流しになる。歯を食いしばり、震える手を抑えつけ。たった3分。その時間が、永遠のようにも感じられる。
神剣ザグレウスが、ディオニソスXIIの想いに応えて光を放ち始めた。ちら、とアレス零を見れば、向こうも問題なさそうだ。
残りは、ゾエルのもう一度の合図を待つだけ。後は野となれ山となれ。ディオニソスXIIの出番は、大剣を振るったらおしまいだ。ヴァッカリオとしての、人生も。
「っ! ゾエル! 怪物の動きがおかしい!」
アポロンVIが大きな声を上げた。肉声からコンマ数秒遅れて、インカムから同じ声がディオニソスXIIの耳に届く。
『なん……こいつ! 神力の上昇に気づきやがったのか!?』
ディオニソスXIIはフッと笑った。どうやら怪物は死角にいるディオニソスXIIとアレス零の力の上昇に気づいたらしい。
怪物が、奇怪な雄たけびを上げながら腕を振り上げる。ディオニソスXIIは舌打ちして、ザグレウスへのエネルギーの充填を止めようとした。しかし、その前にアポロンVIが滑り込む。
「XII! 集中しろ!」
「っ!」
手早く、牽制するかのように光の矢を怪物に向かって放つアポロンVI。それを突け狙うかの様に目玉が襲い掛かって来たが、ポセイドンIIの水流で押し流されて事なきを得た。
怪物がまた翼を広げ、目玉を産み出す。怪物は怪物で、危険察知をしたらしい。そのまま大人しく、人間たちを見下してくれていれば良かったものを、とディオニソスXIIは内心で吐き捨てた。
『くっ……アレス零、ディオニソスXII、準備はいいか!? このxxxxxx目玉の量じゃ戦線がもたねェ!』
「ディオニソスXII、問題ない!」
「アレス零、いけます!」
ここまできて、ディオニソスXIIとアレス零がやられては。ゾエルはそう咄嗟に判断した。それは間違いない、勇猛果敢な判断であった。怪物は明らかに、ディオニソスXIIとアレス零を敵視し、どうにか捻り潰そうとターゲッティングを定めている。
たとえ、多少の準備が間に合ってなくても、もう進むしかなかった。
『……3、2、1、GO!』
ゾエルの合図とともに、ディオニソスXIIが大きく跳躍した。怪物の瞳が、ぎょろりと動いてディオニソスXIIを視界に収める。その瞬間、何かを察したのか奇声を上げながらディオニソスXIIを追い払おうと腕を振り上げた。ゾエルが想定してたよりも腕の可動域が広く、ディオニソスXIIが爪先のリーチにギリギリ届いてしまう距離だ。
ディオニソスXIIはもう攻撃体勢に入ってしまっている。回避できない。誰しもが、もう間に合わないと諦めそうになったその瞬間。
「ヴァッカリオっ!!」
横腹を蹴られて、ディオニソスXIIはうめき声をあげながらも、空中で押し出された。蹴り飛ばしたのはアポロンVI。ディオニソスXIIは、思わず、顔を隣に捻る。
怪物の爪は、アポロンVIの頭を直撃していた。ディオニソスXIIが瞬きをして目を開いた時に見えた光景は、力を失ったアポロンVIの胴体だけが地上に落下していくシーンだった。兄の頭は、どこへいってしまったのだろう。
「お兄ちゃんっ! ……クソ蛇があああぁぁぁああああっ!!!!!」
怒りのままに、蛇の頭部に神剣ザグレウスを叩きつける。憎たらしい金色の瞳の上にザグレウスを突き刺し、振り払おうと暴れる頭をそのまま勢いで地面へと縫い留めた。怪物のパワーを超えた、ディオニソスXIIの魂の一撃。
横倒しになった怪物の、白い喉元が晒される。それを見たアレス零は走り出していた。
「あああああああああ!!!!!」
ずっと、走り続けて。止まるなと何回も叱られ、その度に泣きそうになりながら足を動かして。
頭の中は、もういろんな感情でぐちゃぐちゃだ。それを全て、槍に乗せる。真っ直ぐに、一直線に、全身全霊で。
「アレス・ザ・ヴァンガードォォォォ!!!!」
アレス零の髪が炎の様に燃え上がり、槍の穂先からすべてが赤く染まっていく。怪物の白い皮膚に間違いなく、アレス零の槍はずぷりと音を立てて刺さった。
アレス零は止まらない。皮膚を突き破り、怪物の喉を食い散らかし、まだ止まらない。止まるな、走れ、前を向け、「行きなさい」。
怪物は激痛に身を捩じらせて暴れようとする。しかし、ディオニソスXIIがまるで重石にでもなったかのように、神剣ザグレウスとそこから伸びるネクタルの蔦で頭を地面に縫い留めた。
「ハッ! 死ね! 死んじまえ!!」
ディオニソスXIIの怒りを孕んだ乱暴な言葉。それに呼応したのは、ともに走り続けたアレス零。
「うおおおぉぉぉぉおおおおお!!!!」
怪物の喉元から体内に潜り込んだアレス零は、そのまま背中側へと飛び出してきた。蛇の鱗が弾け飛び、中の肉がむき出しに、そして、血がだくだくと流れ始める。アレス零は、喉元から背中まで、怪物の体内を横断したのだ!
甲高く、聞けばすべての人間が「悲痛である」と断じるほどの叫び声が怪物の口から迸る。自由なままの両腕が藻掻くように地面を削り、翼が羽ばたきを繰り返し、白い羽根をまき散らす。
「こ、ここまでやれば……!」
ハデスIVは痛む左手を抑えながら、崩れたビルの壁に寄り掛かった。見れば、我が物顔で浮遊していた無数の目玉が、どろりと溶けて地面に落ちていく。荒い息をつきながら、ハデスIVはそのままずるずると座り込んでしまった。
作戦は、アレス零の一撃を怪物に見舞う事。そして、怪物をこの世界から追い出されば良い。なんなら、討伐したって良かったのだ。
堪えきれなくなった涙が、目の縁に盛り上がってきた。
「……おい、ハデスIV。感傷に浸ってるところ悪いが……油断大敵、だぜ」
「!」
気づけば、隣に厳しい顔をしたゼウスIが立っていた。その顔を見上げて、ゼウスIの視線の先に目を向ける。
怪物を戒めていた、ワインレッドの蔦が端から消えていく。
「ぁっ……隊長……っ!」
怪物の側頭部に大剣を突き立てていた人影が、光を失い、ずるりと形を失って怪物の体に沿って落下していく。ハデスIVは思わず口元を抑えてその光景を見守った。
拘束が解かれた蛇の怪物は、まるで人間のように両腕を支えにして頭を宙へと浮かせる。穴の開いた喉元からは、オリュンポリスの夜空がくっきりと見えた。その穴からは、大量の血が噴出している。
しかし。怪物は、立った。
鎌首をもたげ、翼を大きく広げ。
『総員、追撃ィィィィ!!!!』
ゾエルの絶叫が、インカムから耳を打った。ハッ、とハデスVIが我に返った時、すでに隣にいたゼウスIは飛び出している。自分も行かなければ、と神器を構え、アレス零が渾身の力で開けた風穴を目がけて走り出した。
女の悲鳴とも、金属音ともとれる、独特な鳴き声が怪物の口から漏れる。それだけではない。怪物の口の端から漏れだしたのは、青白く変色した炎。
「ハデスIV! ゼウス!」
そう叫んだのは、ポセイドンIIであった。真っ先に飛び出していった二人に対して、守るかのように巨大な水壁を練り上げて囲う。ゼウスIがハデスIVを守るかのように抱きかかえ、身を伏せた。そのうえギリギリを、怪物が吐き出した炎が舐め上げていく。
「あっつ!」
ポセイドンIIが咄嗟に壁を張ってくれていなかったらどうなっていたか。炎が通り過ぎる瞬間に沸騰を通り越してそのまま蒸発していった壁を思い出し、ゼウスIはぶるりと震えた。
『ンの野郎……!! ゼウスI、アンタの最大火力で追撃! ポセイドンIIも続け! アテナVIIとヘパイストスXIは支援に! ハデスIV! アレス零の回収に迎え!』
ゾエルは、ディオニソスXIIとアポロンVIについては言及しなかった。アポロンVIが即死したのは誰の目にも明らかであり――ネクタルが消え、神剣ザグレウスも焼失した今、ディオニソスXIIが倒れたこともほぼ確実であった。
新しい指示に従って、ゴッドナンバーズが走り出す。まだ、戦いは終わっていない。最後の一瞬まで、あがき続ける。
ハデスIVは怒りに狂って暴れる怪物の視線から外れて、バランスの悪い上半身のまま、アレス零の下へと走った。時折、怪物の悲鳴とも、人間の悲鳴ともつかない音が耳を打つ。
「アレイシア、アレイシア……アレイシア! いたら返事をして!!」
叫びながら、アレス零が怪物の背を突き破っていった方向を探す。気を抜けば、のたうち回った怪物の下半身にすり潰されるだろう場所だ。ハデスIVのすぐ近く、視界の端で赤黒い怪物の鱗が煌いている。
「アレイシア、お願い、返事をしてっ……!」
まさかもう、怪物の下敷きになってしまったのでは――嫌な考えばかりが頭を過る。
しかし、ハデスIVの心配をよそに、かなり離れた場所にアレス零は転がっていた。力を使い果たして気絶しているだけのようで、見つけたハデスIVはほっと胸を撫で下ろす。
「ボス、アレス零回収しました!」
『どうだ!?』
「気絶しているようです!」
『っ……チッ、叩き起こせ!』
「……わかりました……っ!」
ゾエルが苦しそうな声で出した指示に、ハデスIVも苦痛を湛えた声で応答した。死んでないなら、まだ戦える。
「アレイシア、起きて、起きなさいっ! アレス零! 起きて! まだみんな戦ってるのよ! 寝てる場合じゃないでしょ!?」
やや乱暴に、肩を揺さぶり、アレス零の頬を右手で張った。一往復した時点で、アレス零の瞼が開かれる。
「あ……ボク……エウさん……」
虚ろな目をさ迷わせたアレス零の焦点が、ようやく合うまでに多少の時間がかかった。今は、一分一秒でも惜しいというのに。その間に、ゾエルに報告を済ませたハデスIVは、まだ意識を朦朧とさせているアレス零を片腕で支えて、半ば引きずる様にして連れていく。
「アレス零、まだ、みんな、戦ってるの」
「……っ! どうなったの!?」
「見て、怪物はまだ健在。ゼウスIとポセイドンIIが何回も攻撃を仕掛けているけど……」
意識を取り戻したアレス零に見える様に、ハデスIVは戦いの現場へと体を向けた。アレス零が、震える足を叱咤してその光景を見ようと身を乗り出す。
時折、弾ける雷光と水しぶきはそれぞれゼウスIとポセイドンIIだろう。それしか見えないことで、アレス零は他のゴッドナンバーズがどうなったかを薄っすら察した。
『おい、アレス零、二発目いけるか?』
「全力は、無理、です」
『ゼウスI、ポセイドンIIと力を合わせりゃいい。いけるな?』
「……いけます!」
ゾエルの問いは、是以外を認めない響きを帯びていた。むしろ、それでいい、とアレス零は思う。まだ体が動く、仲間が戦っている。その場所で、否などと口が裂けても吐きたくない。
ハデスIVに支えてもらわなくてももう大丈夫、とアレス零はアピールして、自分の足で走り始めた。実に遠くまで吹き飛んだもので。
一緒に走り出したハデスIVをちらりと見る。アレス零はそこで初めて、ハデスIVが大怪我を負っている事に気づいた。
「エウさん、左手……」
「ああ、これ? ドジって、持ってかれちゃった。でも大丈夫よ、まだ右手があるもの」
そういう彼女の目は危うい色を浮かべていた。ヘカテーを使用したわけでもないのに、狂気に飲まれたような。アレス零は、頭を振った。そうだろう、気が狂わないとこんな戦場でやっていけやしない。
ふと、ハデスIVが歩みを止める。前に数歩分進んでいたアレス零は、怪訝そうにハデスIVを振り返った。
「エウさん?」
「あれ……なに、あれ……」
「なにって……」
驚愕に見開いた視線の先。アレス零がその視線を辿っていけば、例の怪物がいた。違う事と言えば、口から白い光を放っている点だろう。
……アレス零はまだ見たことがなかったが、ゾエルからはすでに聞いていた。アルテミス区の避難シェルターが、一瞬にして消滅したという話。
「まさか!」
その白い光の先には、ビルの残骸群があった。白い光にが横に払われていき、光が通った後には煙だけが立ち上っている。ビルの残骸も、残っていた小さな家屋も、全てが消えていた。
「ねえ、アレイシア、あそこ、あの、臨時の、通信室があって、ボス達が……」
「エウさん、しっかりして」
インカムから、耳が痛くなるほどに聞こえていたゾエルの大声が、ぷつりと途絶えている。聞こえてくるのは、ノイズ音だけ。アレス零からまだ戦っているだろう他のゴッドナンバーズに呼びかけても、返事はない。
アレス零は装着していたインカムを投げ捨てた。通信網自体もやられたと考えられる。
「エウさん! しっかりして!」
「ア、アレイシア……!」
「もう、ボク達は止まれないんだ! 止まっちゃダメなんだ、前に、進み続けないと!」
アレス零の青い瞳が、決意の光に輝いた。言葉だけ聞けば、無鉄砲とも、やけっぱちともとられるかもしれない。しかし、アレス零の瞳をのぞき込めば、そこに輝く「あきらめない」という気持ちに触れることができるだろう。
ハデスIVは、じっとアレス零の瞳を見返し、その気持ちを受け取った。折れ掛けていた心に、また芯が宿っていくのがわかる。ふつふつと、体内から湧き上がるは新たなる勇気。
「……いきましょう、アレイシア!」
「よっしゃ、最速で合流じゃい!」
立ち直ったハデスIVに白い歯を見せて笑いかけたアレス零は、また走り始めた。その背を追って、ハデスIVもできる限りのスピードで追いかける。
死んでいなければ、戦えるのだから。後ろは振り返らない、前を向いて進むだけ。