それから……(6月17日)
晴れ渡った青空、紛う事なき快晴、快晴、快晴。普段ならまだ惰眠を貪っている時間帯であるヴァッカリオは、すでに食卓についていた。そう、アポロニオに朝っぱらから叩き起こされたのだ。
「トーストとサラダだ! 飲み物は牛乳でいいか?」
「ああ……うん……」
寝癖がついて爆発した髪の毛をそのままに、皿に乗せられたこんがりトーストを口に運ぶ。レタスとトマト、きゅうりで彩られた朝らしいスッキリとしたサラダボウルには、当然の様に四等分されたゆで卵が大量にまぶされていた。ゆで卵はふりかけの様に使うものではない、とヴァッカリオは思う。
「お兄ちゃんだねえ……」
「ん? 何か言ったか?」
「いや、何も?」
6月17日、木曜日、午前7時30分。ここは、アポロニオ宅。ヴァッカリオがなぜ、平日の朝からアポロニオの家にいるかと言えば、今週の頭から連泊しているからだ。
原因が取り除かれ、念のための精密検査でも異常ナシ、を勝ち取ったアポロニオは月曜の午後には退院できた。そのままアポロンフォースに出勤しようとするアポロニオをその場にいた全員で押しとどめ、ヴァッカリオが引きずる様にアポロニオの家に連れ帰ったのだ。
そこから、アフロディテIXの提案に始まり他ゴッドナンバーズ含む主要メンバー満場一致でヴァッカリオに「アポロンVI護衛兼監視役」という新たな任務が申し渡されたのであった。
実際、万が一、後遺症があって同様の症状が起きた時に抑え込める人間は限られる。有力候補のゼウスIは犯人が捕まったと聞いた時点で興味を失くして、行方をくらませてしまったのだ。他、パワーだけで言えば、それこそアレス零も該当するだろうが――さすがに、アポロンVIの個人宅に一時的な同居をさせるには、問題がありすぎた。
どこかのエリュマで勤務する某アルバイトが何かを察知して、思わずアルバイトを早退するぐらいには、年頃の女性を独身男性の世話役にするのは無理がある。
そうなると、もはやディオニソスXIIもといヴァッカリオしか適任がいない。ついでに、いつ爆発して警察の留置所に襲撃するかもわからない爆弾を手元に置いておきたくない、というアフロディテIXの裏事情も、全員察しての満場一致だった。
「お兄ちゃん、今日から復帰だっけ?」
「ああ。結局、一週間以上も休んでしまったな」
アポロニオは苦笑してテーブルに着く。ヴァッカリオと同じ朝食をぺろりと片づけた。食欲旺盛、今朝も問題なし、とヴァッカリオはその様子を観察して、そう結論付けた。アポロニオの健康状態について、退院後一週間はチェックを行うように医療センターから依頼されている。
朝の検温も問題なし、簡単な視力検査も問題なし。ヴァッカリオが結果をまとめて医療センターに送った。
「アポロンフォースまで送ってくよ」
「いや、お前も仕事が……」
「お兄ちゃんの護衛兼監視が今の任務なの。帰りはまた迎えに行くからね」
ぴしゃり、と言われてアポロニオは首を竦めた。任務の期限は、これも退院後一週間。来週の月曜まではこの生活が続くらしい。
アポロニオがキッチンを片づけている間、ヴァッカリオは寝室の床に敷いた布団を片づける。一人暮らしのアポロニオの家にベッドは一つしかなく、アポロニオは「一緒に寝ようではないか!」と目を輝かせて言ってきたのだがヴァッカリオは丁重にお断りした。一緒に寝ていた頃よりヴァッカリオの体は一回りどころでは済まない程度に大きくなっているので、死ぬほど寝苦しい夜になるのはわかりきっている。
あれ、やっぱり目と脳の精密検査の異常なしって結果、間違ってたんじゃないかな……とヴァッカリオは一緒に寝ようと鼻息荒く迫ってくる兄をいなしながら遠い目をしていた。そんな月曜日の夜。
何はともあれ、退院してから数日経過するがアポロニオに異常は見られない。英雄庁でも実験段階である機能を強制的に装着させられたアポロニオであったが、後遺症は全くないようだ。
健康そのもので元気いっぱいなアポロニオをアポロンフォースまで送り届け、ヴァッカリオはその足でヴァンガード本部に向かう。
「お、早ェな。お兄様と一緒に過ごしてお前も早寝早起きするようになったか?」
「子供かってぐらい早寝早起きさせられてんだけど」
すでに出勤していたゾエルに爆笑されて、ヴァッカリオは思わず口をへの字に曲げた。まさか夜の9時に「子供は寝る時間だぞ!」と寝かしつけられることになろうとは、さすがのヴァッカリオも想定してなかったのだ。まあ、夜のトレーニングがあるから、と何とか早寝は回避できたのだが。
「――で、例の件、進捗は?」
「ああ……ほら、新しい逮捕者だ」
ゾエルがぴら、と出した紙をひったくるようにして、ヴァッカリオは眺めた。
結局のところ、主犯としてはあの男一人で、そして男が叫んだあの一言が全てであった。しかし、そこに至るまでに様々な人間が手を貸し、犯罪を教唆し、あの卑劣な犯行が現実のものとなったのだ。
例えば、誰がアーテー神の力を機械に封じ込めたのか。誰が男に先行研究の内容を漏らしたのか。誰が金策をしたのか。
主犯の男は即日逮捕、続いて脅迫の疑いで週刊誌の編集長と、同席して主犯の男を脅したと思われる出版社の人間二人も暴行容疑で逮捕。それから、英雄庁の研究部門で機密情報を漏らしたとして一名が取り調べ中。昨日のうちに、メンテナンス部門の経理担当も、横領の罪で逮捕されていた。
さらに、ゼウスフォースで主犯の男と親しくしていた一名のヒーローも現在、調査中だ。アーテーの神話還りである彼が犯行に協力したとみられている。主犯の男に騙されたのか、それとも犯行計画を知って協力したのか。騙されたとすれば、どういう形で騙されたのか。まだまだ、調べることは多い。
「ま、後は警察の仕事だな。こっちのやる事はだいたい終わりだろ」
ゾエルの言う通りであった。英雄庁が絡んでるとは言え、ヒーローとしての役割はほぼ終了している。せいぜい、護衛兼監視役の任務を仰せつかったヴァッカリオが最後の作戦遂行者になるだろう。
ヴァッカリオはゾエルから受け取った紙を返し、自分の席に着いた。欠伸をしながら端末を立ち上げ、届いているメール類をチェックする。一番の目玉は、やはりアポロンVI殺人未遂事件に関する経過報告だろう。日が経つにつれ、量が徐々に少なくなってきた報告書に目を通す。今日の分は主犯の男の取り調べの結果がまとめられたものだった。
「……はー、マジ、ぶっ殺してえ」
「シャレになんねェからやめろ」
ヴァッカリオの呟きを耳聡く拾ったゾエルから鋭い言葉が飛んできた。ヴァッカリオはだらしない姿勢のまま、へいへい、と力なく応える。
男の供述によれば、やはり目的はアポロンVIのスキャンダル。殺意はなく、単に「アポロンVIが任務に失敗する」だけで良かったのだという。男としても後からアポロンVIの病状を聞いて「命にかかわらる程ではないと思っていた」と驚いたように言ったらしい。
まあ、タネを明かすとヴァッカリオがやや強引に「殺人未遂事件」にまで格上げさせたのだが。殺人未遂と、ただの傷害事件では、掛けられる人員の数も予算の金額も全く異なってくる。実際に殺人の罪が適用されるかどうかは、警察と裁判所の仕事だろう。
ヴァッカリオはもう一つの報告書を開いた。こちらは、神器に取り付けられた機械について。こちらはこちらで、「神器と共鳴して力が増幅されたと考えられる」と曖昧な結論で締めくくられていた。先日あった、メデューサの神話還りに関するちょっとした事件と同様に、まだ解明されていない新たなメカニズムが発見された、というのが研究チームの見解だ。これの結果次第でアポロンVIに対する殺意の有無が決まるのだが……この報告書の結論を読む限り、やはり犯人達の「強い殺意」は認められそうにない。
ヴァッカリオは面白くなさそうに報告書を閉じると、席を立ってヴァンガード本部から出て行った。ゾエルは、何も言わない。まあ、今は特に忙しい仕事がヴァッカリオにあるわけでもない。むしろ、忙しいのは後始末で何枚も報告書を書かされている三人娘の方だ。ヴァッカリオは、アポロニオが自宅療養している期間に兄監視のもと、全て仕上げて提出済みである。……どちらが監視役なのかわからないな、とはゾエルの談だ。
朝からパワフルワンを飲んだヴァッカリオは、そのままエリュマのごみ箱の上で昼寝をし、夕方になって英雄庁が定めた退勤時間にアポロンフォースへと向かった。朝のうちに飲んだのだからすでにアルコールは抜けている。アポロニオにはバレないだろう。
「ヴァッカリオ! すまないな、わざわざ迎えに来てもらって」
「任務の一環だからね、気にしないで」
よし、バレてないな、とヴァッカリオは一人心の中でガッツポーズをした。何しろ、アポロニオが入院中はずっと断酒をしていて。退院してからアポロニオと一時的な同居生活が始まったせいで、強制的に酒のない生活を強いられていたのだ。今日の午前中、久々に飲んだ安酒であるパワフルワンのうまいことうまいこと! こんなにパワフルワンって美味しかったっけ、と思いながらツマミのポテトと一緒に堪能したのであった。
アポロニオ宅への帰り道、今日の勤務は問題なかったか、とヴァッカリオが尋ねればアポロニオは苦笑した。
「一度も、執務室から外に出してもらえなかったぞ」
「まあ……そりゃそうでしょ。しばらく内勤だって?」
「ああ。しかも、副官とは別に護衛も増員された」
おそらく、厳密には護衛ではなく「監視役」だろう。いざとなったときに、アポロンVIを抑え込める人間を常時配置することにしたのだ。
そんなアポロニオの話を聞きつつ、逆に事件の事を聞かれてヴァッカリオはぽつぽつと上がって来た報告書の内容を話して聞かせた。
「……なるほど。しかし、やはり思うに、殺人未遂と言うのはいささか行き過ぎでは――」
「行き過ぎじゃないって」
「そうだろうか……」
「まあ、これを機に膿を全部出し切りたいみたいだから。あえて大事にしたんじゃない? ポセイドンIIとか張り切ってたよ」
あ、パパの方ね、とヴァッカリオは付け加えた。しれっと、ポセイドンIIの意向で大事にしたかのようにすり替えている。
そう言われれば、アポロニオも納得したようだ。ふむ、と考えた後に一つ頷く。それから、隣のヴァッカリオを見上げて苦笑した。
「自分が被害者となるのも変な感じであるな……」
「これまで一度も無かった?」
「無い事は無いが、たいてい、自分でどうにかしていた」
どうにか。一体誰や何がどうにかなったのか、ヴァッカリオはとりあえず触れずに置いておいた。ここ最近、10年間のアポロンVIのヴィラン討伐数は群を抜いていて――そこに言及するには、少しばかりアルコールが足りない。半月近く断酒をしていた体に、今日の午前中に飲んだパワフルワン程度ではまったくもって物足りなかった。そう考えて、思わずヴァッカリオはよだれを飲み込む。酒が飲みたい。
頭を振って酒に対する煩悩を振り払うと、ヴァッカリオはアポロニオにへらりと笑いかけた。
「事件も解決したし、結局、お兄ちゃんにも後遺症がないみたいで良かったよ」
「全くだ。神器の方にも傷がつかなくて、不幸中の幸いだな」
アポロニオは手の中の神器に視線を落とした。ある意味、変なものを付加されて、力を吸われたらしい神器も被害者と言えば被害者だろう。どちらも、未知の部品に振り回されたとはいえ、今後の活動に影響が出ないということは実に朗報であった。
「まだしばらくは定時帰り?」
「うむ。そもそも、長期療養を見据えてすでに様々な調整が内部で済んでいたからな」
いつもそうすればいいのに、とヴァッカリオは思ったが、まあ、あくまでもアポロンVIがいないと進まない問題を先送りにしただけ、なのだろう。やはり、アポロンVIがいなければアポロンフォースも、ゴッドナンバーズも、オリュンポリスもすべてが引き締まらないように思う。
太陽が欠けたら世界は夜に支配され、生き物が淘汰されてしまうように。
「というわけなのだが、ヴァッカリオ、少し買い物に付き合ってくれないか?」
「買い物? いいけど」
「夕食の食材と……それから、食器をいくつか買い足そうかと」
「あー……結構、割れちゃってたしね」
アポロニオはそれだけではないぞ、と重々しく言った。対するヴァッカリオは、何か嫌な予感めいたものに襲われ、鳥肌を立たせた。
「……つまり?」
「お前の分の食器も買わなければな!」
「いや、いいって! おいら、来週の月曜には出ていくんだから!」
「そう遠慮をするな! お前に迷惑をかけた分、腕によりをかけて料理をしてやろう!」
「あーだめだコレ、全然話が通じないだめだ……」
ヴァッカリオは天を仰いだ。これまでの数日は、まだ退院直後だから、と何とか宥めすかして出前で済ませてきたのだ。朝のゆで卵祭りの時点で、嫌な気配はしていたが。仕事も再開し、こうして外出もするようになってアポロニオも、ついに趣味の料理を我慢できなくなったのだろう。
まあ、自分が酒を解禁したのと同じか、とヴァッカリオは思い直した。我慢をしていたのは、自分だけではなかったらしい。だったらせめて。
「じゃあついでに晩酌用の酒買っていい?」
「ああ、好きに買うと良い。私が金を出そう」
「いいよ、それぐらい自分で買うから……ほら、もうおいらも良い大人だし、ね? 大人だからね?」
「……そうか? まあお前がそう言うなら……ところで夕食のメニューは何がいい? ハンバーグか? カレーか? オムライスか?」
必死に大人アピールをしたが、まったく通じなかったようだ。酒のつまみにお子様メニューは似合わない。が、ヴァッカリオは腹を括る。やるときはやる男、それがヴァッカリオだ。
「おいらオムライスでいいなあ。お兄ちゃんの卵料理は絶品だからね」
「はっはっは、褒めても何も出ないぞ! しかし、そう言われたからには腕によりをかけて作らねばな!」
「ワーイ、ウレシイナー!」
棒読みのヴァッカリオに気づくことなく、アポロニオはスキップでもしそうな勢いで歩く速度を速めた。置いていかれないように、ヴァッカリオも後ろをついていく。
また、この平和が自分の手元に戻ってきてくれて、本当に良かったとヴァッカリオは思う。様々な人間がアポロンVIの仕打ちに怒り、全力で事件解決に携わってくれた。誰かが一人でも手を抜いていたら、もしかしたら迷宮入りしていたかもしれないし、英雄庁の上層部に揉み消されていたかもしれない。
暮れる夕日の中、アポロニオの背を追いかける。太陽は、再びオリュンポリスに戻って来たのだ。