6月11日
英雄庁から徒歩数分の距離に存在するとある高級ホテル。上階の広々とした一室で、ヘパイストスXIは機材を大きく広げていた。室内には、ヘパイストスXIと、それを見守るネルヴァ。それから、監視役として派遣されたアルテミスVIIIのみ。
「んん~」
昨日の午後から、ヘパイストスXIは熱心に一つの小型端末を分解して中身の分析をしていた。丁寧に分解したパーツを並べ、時に何かの端末や計測器具に接続し、これまた何かをチェックしている。
ヘパイストスXIが預かったのはアポロンVIの神器。例の事件について、神器に施された細工を暴くのがヘパイストスXIの役目だ。
「ん~~~~~。ネルヴァちゃん、ごめん、コーヒー貰える?」
「わかった」
ルーペで部品の確認をしたまま、目を逸らさずにネルヴァにコーヒーのお代わりを依頼する。アポロンVIの神器を預かってから、何杯目のコーヒーだろうか。ネルヴァが一度、夕食としてルームサービスを頼んだものを夜中に片手間で食べたきり、ヘパイストスXIは空腹を覚えていない。
コーヒーを一杯。ぐいっと飲んで、次の部品へ。熱心に見ていると、アルテミスVIIIからそろそろ中間報告の時間だ、と催促される。
「あーもうそんな時間か~。ううん、まあ、だいたい答えは出てるんだけどねえ。どうしよっかな、確証がないけど報告上げちゃおっかな~」
ふざけたような口調のまま、ヘパイストスXIは紙の報告書にこれまでの結果をサラサラと書いていく。ヘパイストスXIの行動は制限されており、英雄庁のネットワークにつながった端末の所持は許可されていない。連絡用の端末はあるが、それはネットワークが独立した「通話専用」端末だ。
三枚ほど、報告書を作成した時点でアルテミスVIIIにひょい、と渡した。
「詳細は後でまとめるけど。とりあえずの見解ね。これでIXちゃんは満足するんじゃないかな?」
渡された報告書の内容を確認したアルテミスVIIIは一つ、頷いた。そのまま、廊下で待たせていた部下に報告書を持たせ、アフロディテフォースへ走らせる。
そのやり取りを見ていたネルヴァは、アルテミスVIIIの様子を伺いつつ、ヘパイストスXIに声をかけた。差し支えなければ、「答え」を教えて欲しい、と。ヘパイストスXIはアルテミスVIIIの顔をちらと見たが、アルテミスVIIIは黙って頷いただけだった。
「おっけーってことね……。ネルヴァちゃん、これがアポロンVIの神器ってのはわかるよね?」
「うん」
「それで、今、僕がもう分解しちゃったけどこの小さい機械。これが、今回の諸悪の根源だね」
ヘパイストスXIが指し示した場所には、床に広げられたシートの上でバラバラに分解された機械があった。確かに、昨日のうちにヘパイストスXIが神器からそれを発見して、取り外したのをネルヴァも見ている。
それで? と首を傾げて続きを促すネルヴァ。ヘパイストスXIはその様子に可愛いなあ、と相好を崩しつつ、説明を続けた。機械の素人でもあるネルヴァにもわかるように。
「この機械はね。アポロンVIには『新システム用の送受信端末』って説明されてたらしいけど。全然、そんな機能なんてなくてさ~。あるのは、『アーテー神の能力』を発揮するだけのものだよ」
「そういうことができるの?」
「うん、実戦配備はされてないけどね。だって人造神器も漆黒神器も『本来は持ちえぬ力を発揮する』機能があるものでしょ? それと一緒だよ」
厳密には、もっと複雑なメカニズムや機械の仕組みがあるが。それをここで細々説明しても、本質とは関係がないから意味はないだろう。ネルヴァが聞きたいことは、機械の仕組みではない。
「で、なんでこれがアポロンVIの神器に取り付けられたか、って話だけど……まあ、それはこれから犯人とっ捕まえて動機を吐かせるから、それ待ちになるね。僕がわかるのはそういう機械があって、誰が取り付けたか、って事だけ」
「誰が、ということまでアイスキュロイスはわかるのか? それが犯人?」
「まあ、容疑者の第一候補にはなると思うよ。さっき言ったけど、この機械の仕組みは『実戦配備されてない』……つまり、まだ研究段階で未公開のモノってわけ」
「……つまり、各フォース内に犯人はいない、ということ?」
ピンポーン、とヘパイストスXIはネルヴァに向かってウインクした。褒められたネルヴァが、嬉しそうに笑顔をパッと輝かせる。
神器にかかわる研究はもちろん、どのフォースでも行っている。しかし、研究をするにも英雄庁への申請と許可が必要であり、各フォースで独自のものは開発できない。あくまでも、英雄庁の下部組織だからだ。勝手に神器の研究を進められて、武装されても困る。
その点、英雄庁は神器関連を統括する最上位の部門だ。研究は自由に行える。各フォースの武装やシステムについては、大抵の場合、英雄庁が先行研究を行い、発表された研究結果をもとにして各フォースでさらに詳細に発展させていく、というのが現状の開発の流れになっていた。
ゆえに、ネルヴァが閃いたとおり、未公開のシロモノを扱える人間は、英雄庁内部の人間である可能性が非常に高くなる。
「僕もね、まあ、これの研究にはちょっと携わってたから。それにしてもまさかこれだけ小型化して使えるモノに仕上がってるとは思わなかったな~」
ヘパイストスXIは感心した様に言って、一つのパーツを指先で転がした。
「このパーツとか、なかなかうまくこのサイズに加工できる業者が見つからなくて。結構、難儀してた記憶があるよ」
「……そういえば、英雄庁から発注を受けた工場が、細工をするということはないのか?」
首を傾げたネルヴァの一言に、ヘパイストスXIは驚いたような顔をする。ネルヴァが、そういった絡め手や裏事に気を回すとは……。
ただ、精神面の修行と言ってあちこち連れ回し、いろいろ体験させ……正義、というそれだけではない様々な生き方を教えてきた、その成果なのかもしれない。まあ、できれば、もっとポジティブな方で成長を知りたかったが、とヘパイストスXIは心の中でひっそりと苦笑する。
「これね、ここに刻印あるでしょ? これが作った工場のマーク。……ここの工場はね、清廉潔白で信頼できるところだから。何しろ、僕の賄賂も受け取らなかったからね」
ヘパイストスXIの自虐にネルヴァは微妙な顔をした。黙って二人の会話を聞いているアルテミスVIIIはそもそも何も聞かなかった、という事にするつもりのようで無表情を貫いている。
「まあとにかく。たぶん、工場の方は本当に設計書貰って発注されただけ、だと思うな。どのみち、神器への組みつけは英雄庁内で実施しただろうし。……ああ、工場についてはもう今朝のうちに報告してあるから。あとは向こうがどうするか、だね」
工場を捜索するかどうかはアフロディテIX達の判断にお任せ、ということだ。ヘパイストスXIは自分に利があれば虚偽報告することも多いが、そうでなければ真実のみを話す。利がないのにわざわざ嘘を吐く必要性を感じない。そういうところで、彼は合理主義者であった。
ネルヴァはヘパイストスXIの簡易説明で大方、満足してくれたようだ。ヘパイストスXI用のコーヒーと一緒に入れた自分用のホットミルクを口に運んでいる。それから、何か思いついた事があったのか、ふと口を開いた。
「そんな小さな機械でも……アポロンVIを、そこまで追い詰められるのか……」
「うーん、それはねえ……これは、憶測になっちゃうけど」
ちら、とアルテミスVIIIの方を確認する。その意味深な視線に、黙っていたアルテミスVIIIは片眉を上げた。
「たぶん、この機械にはそこまでの力はないよ」
「そうなの??」
「そうそう。だから、たぶん、犯人はここまで大事になるとは思ってなかっただろうし、もしかしたらまだ大事になったことすら気づいてない、知らないかもしれない」
「……つまり、犯人は、アポロンVIを殺そうとしたわけではなかった?」
ヘパイストスXIは頷いた。そもそも、明確な殺意があるなら、もっとわかりやすいやり方でやるはずだ。こんな回りくどいことをする必要はない。わざわざアポロンVIに妄想を見せて、奇行に走らせて。それだけならとにかく、交通事故や高層ビルからの飛び降りによる死を期待するには、「期待値が低い」とヘパイストスXIは考えていた。
アポロンVIの治癒力の高さと、アポロン区の高度医療の技術力はお墨付き。そのような状態で、偶発的な事故で死ぬのを待つのはあまりにも、いい加減すぎる。何しろ、次の神器のメンテナンスの時期には機械の取り付けがバレてしまうからだ。そこまでに片を付けなければいけない手法を用いたのに、低い確率に期待するのはちぐはぐ過ぎる。
ヘパイストスXIの一連の説明を受けたネルヴァはなるほど、と頷いた。同様に聞いていたアルテミスVIIIが口を開くより先に「この話はあとでまとめて報告に上げようと思っててね。まだ、この機械の本質もつかめてないんだし」とヘパイストスXIは言い訳の様に付け加えた。
「そうだとすると……犯人の目的は、なんなのだろう」
「うん。犯人の動機は、さっきも言った通り僕にはわからないよ。ただ、殺意があったとは思えない、ってだけ」
そうか、とネルヴァは少しばかりがっかりしたように肩を落とした。ネルヴァの前でカッコつけたいヘパイストスXIとしては、その反応が地味にショックであった。が、あまり、憶測だけでペラペラ喋っても仕方がない。何より、変な事を迂闊にしゃべってアルテミスVIIIに睨まれるどころか、英雄庁にまで連絡がいってしょっ引かれても困る。
ヘパイストスXIとしては、アポロンVIの事件うんぬんよりも、ネルヴァの情操教育の方が大切なのだ。
「さて、僕はもうちょっと集中して分析にとりかかるよ。……ええっと、次の報告は夜でいいんだっけ?」
アルテミスVIIIの方へ首を巡らして確認すれば、頷かれた。集中すると時間を忘れることも多いよくいる技術者としてのヘパイストスXIは、同席していたネルヴァに時間が来たら声をかけてくれ、と頼む。
ネルヴァの期待に満ちた眼差しにこそばゆさを感じながら、ヘパイストスXIは並べられた部品の中から一つ、取り上げてまたルーペでじっくりと観察を始めた。
6月12日
土曜日、それは公務員であるヒーロー達が休日を謳歌する日。しかし、本日、6月12日は違った。各フォースのメンバーから、ゴッドナンバーズまで、各地で忙しなく動いている。
ここ、ヴァンガード本部でもそれは同じだった。フォースに所属していない、特殊独立部隊でもあるヴァンガードだが、この度の「アポロンVI殺人未遂事件」については、一枚も二枚も噛んでいる。まあ、どちらかと言えば、隊長であるヴァッカリオが率先して首を突っ込んでいき、ゴッドナンバーズとしてアレイシアやエウブレナ、ネーレイスまで駆り出された事により巻き込まれたとも言えるが。
朝早く、ヘパイストスXIの分析結果を踏まえた状況報告がアフロディテフォースより送付されてきた。それに目を通したゾエルは、執務室の椅子に深く腰掛けて大きく息を吐く。
「やれやれ、ようやく一段落、って感じかねェ……」
今回、ゾエルはメインメンバーではない。あくまでも、ヴァンガード隊として隊員の派遣に協力した、という形になっている。ゆえに、こうやってヴァンガード本部に座って流れてくる報告と、時折上がるエウブレナやネーレイスの悲鳴に対応するだけだ。フォースを持たないアレイシアはとにかく、直轄の部下を持ったエウブレナとネーレイスは、ここまでの大規模作戦で大いに経験値を稼いだことだろう。半分以上のフォースがかかわって、歩調を合わせて作戦を遂行していくというのは、そうそうあるものではない。
昨日の夜も、エウブレナから相談が持ち掛けられた。アフロディテフォースから届いた報告書と、自分たちが持っている情報と差異があるのだが、どうしたらいいか、と。本来であればハデスIVであるエウブレナが一言、アフロディテIXに擦り合わせに行けばいいのだが……アフロディテIXは中核メンバーとして非常に多忙である。
そういった場合に、ゾエルが外部から情報のやり取りをしてコミュニケーションの齟齬が無いように細かく立ち回っていた。独立している部隊だからこそできる、各フォースへの遠慮のないやり取りと、ゾエル自身がゴッドナンバーズの覚えがめでたいからこそこなせる役割だ。明確なポジションこそ与えられていなくとも、縁の下の力持ちとしてゾエルは立派に働いただろう。
後でアポロンフォースかアフロディテフォース、あるいは英雄庁に何かせびりにでも行くか、と思いながらゾエルは大きな欠伸をした。ほぼ徹夜であれこれ立ち回っていたから、睡眠不足である。
少しぐらい仮眠を、と考えつつも、目下、一番の懸念事項はヴァンガード隊隊長の素行だ。ポセイドンIIに指示された通り、大人しくアポロンVIの護衛についた、とは聞いていたが。
……なんでも、英雄庁への捜索チームのリーダーに立候補したらしい。まあ、ディオニソスXIIであれば、その資格は十分にある。すでにゴッドナンバーズは全員がフル稼働している状態であり、リーダーとして現場に赴けるのがヴァッカリオがしか該当しない、というのも確かに一理ある。
一理あるが、一理しかない、とも言える。少なくとも、ゾエルはそう思っている。
(ったく、ディオニソスXIIとして捜索に参加してくれりゃあ、問題にならねェっつーのに……)
ややこしいことに、ディオニソスXIIの立場を公に明かせない以上、「ヴァンガード隊隊長のヴァッカリオ」として捜索チームを率いることになる。そうなった時点で、万が一、ヴァッカリオが何かしでかしたら責任はゾエルにも波及することになってしまった。
大人しく捜索してくれればいいが、何しろ平然と「証拠がなくても見つけ次第犯人は殺す」と発言した男だ。兄であるアポロニオが卑劣な手で貶められた事に、怒髪冠を衝くどころではない。
ゾエルはコーヒーの飲み過ぎと睡眠不足のせいでちくりと痛んだ胃を片手で抑えた。ストレス耐性はある方だと思っていたが……自分より立場が上である部下の後始末を思うと、胃が痛い。胃が痛くならざるを得ない。
そんな折に、軽い音立てて端末に通知が届く。アレイシアだ。トーク画面を開いて、メッセージを確認する。
『ボス! まだ本部にいる??』
「いるぞ」
『じゃあエリュマバーガー持ってくね! 店長がオマケで一個増やしてくれた!』
その言葉の後にすぐ、エリュマバーガーを片手に抱えて笑うアレイシアと、引き攣った笑顔の青年の写真が送られてきた。きっと断ったのに、アレイシアの強引なお願いに折れたとゾエルは推測する。アレイシアとツーショットを取ることは嬉しいが、その写真をヴァンガードに送ると聞けば絶対に断るはずだ。だが、アレイシアがダメかな? としょんぼりすれば、一瞬で手のひらを返して喜んで! と叫ぶだろう。そういう男だ、彼は。
ゾエルは「助かる」とだけ短く返信した。以降、アレイシアからメッセージは来ない。おそらく、エリュマを飛び出してこちらに向かってきているのだろう。
「アイツも苦労するねえ……」
ゴッドナンバーズの無茶苦茶なワガママに振り回される同士、うまい酒でも飲めそうだ、とゾエルはしばらくの間、現実逃避をしていた。
英雄庁の神器メンテナンス部門のメインルーム。万が一、神器に異常が発生したときにすぐ対応できるように、365日24時間体制でシフトを敷いている。ゆえに、土曜日であってもそこそこの人数が出勤していた。
そんな部屋のドアが、突然蹴破られる。室内に悲鳴とどよめきが広がる中、ドアがなくなった空間から顔を出したのは、ヴァンガード隊隊長のヴァッカリオだった。
「全員動くな!」
一喝された職員は、素直に従い、その場で両手を挙げて待機する。むしろ、その鬼気迫るオーラに恐怖を感じてフリーズした、と言う方が正しいのかもしれない。
ヴァッカリオに続き、アポロンフォースとディオニソスフォースのメンバー、警察制服を着た人間が雪崩れ込んでくる。
「ただいまより、全ての行動を制限化に置く! 断りなく怪しい行動をした者にはそれなりの制裁を行う!」
「なっ、何事だ! なんの権限があってこんな――」
室内に聞こえるような大声で宣言しながら歩いていたヴァッカリオは、部門の長である男の目の前に、捜索令状を突き付けた。
「この部門で、アポロンVIの神器に対して『無許可での細工』が行われた疑惑がもたれている」
低い声でヴァッカリオは罪状を読み上げた。部門長は、真っ青な顔をしてわなわなと震えながら、ヴァッカリオから手渡された捜索令状に目を通した。
神器のメンテナンスは、当然、ゴッドナンバーズから信頼されていなければ任されない。職員たちも、採用の際にはしっかりと身辺調査を行っている。
設立されてから数十年、多少のトラブルはあれど「故意」のものは一つもなかったはずだ。
「そ、そんなバカな……」
「事実だ。……もし、犯人を匿っているならすぐに出せ」
部門長はヴァッカリオの威圧に、声も出なくなったのか首を横に振るばかりだ。情けないその姿に、興味を失ったかのようにヴァッカリオはぐるりと振り返って室内を睥睨した。
ヴァッカリオが連れてきた捜索員たちは、すでに着々と資料の押収を始めている。慌ただしくも、緊迫した空気が流れる室内を、ヴァッカリオは靴音を立てながら歩き回った。
ホールドアップした姿勢のままの職員の顔を、一人ひとり眺めていく。もちろん、ヴァッカリオに睨まれた職員は誰しもが恐怖に震え、目を伏せた。
その中で、突然、ヴァッカリオが机越しに一人の男の胸倉をつかむ。
「お前が犯人か?」
「ヒッ!」
ヴァッカリオのドスが効いた声に、悲鳴を上げた男は身を捩じらせた。逃がさない、とでもいうかのように、ヴァッカリオは伸ばした手のまま、男を机の上に引き倒した。机の上のペン立てやファイルが音を立てて机から落ちていく。
室内に小さく悲鳴が上がり、近くにいたディオニソスフォースのメンバーが何事かと寄ってくる。
「こいつの机を最優先でやれ」
「はっ!」
ヴァッカリオの指示に敬礼をしたメンバーが、もう一人、警察の鑑識を呼んで二人がかりで乱暴に男の机の引き出しを掻き出していった。
「ち、違う、俺じゃない、俺はやってない!」
「あ゛? 今、お前、俺が見た時狼狽えただろう。ビビったんじゃなくて、ヤベぇって顔してな……」
「う、ぐっ……」
ぐり、とヴァッカリオが拘束する力を強めたことで、男の口から苦しそうな呻き声が上がる。突然の行動に手を止めていたディオニソスフォースのメンバーが慌てて止めに入った。チッと舌打ちして、ヴァッカリオは男を放す。代わりに止めに入ったメンバーに男を拘束するように言って押し付けた。
「おい、誰か、こいつがアポロンVIの神器に携わってたどうか知ってるやつはいないか! それも、ここ一か月の話だ!」
ヴァッカリオが大声で室内全体に問いかけをすると、英雄庁の職員たちは顔を見合わせる。その中で、一人が小さく声を上げた。その隣にいた職員も、続けて証言する。
「その人、この前アポロンVIの神器を預かったって言ってました……」
「臨時メンテナンスの依頼があった、って……」
「……お前らァッ!!!」
若い職員二人の発言に、言われた男は激昂した。唾を吐いて、叫ぶ。目を血走らせたその表情は、明らかに尋常ではなかった。
ヴァッカリオは部門長に今の話は? と問いかける。部門長は、青い顔をしたまま首を振った。
「そのような依頼はアポロンフォースから来ていない……ワシも、お前に許可は出しておらん」
「なるほど、ね」
ヴァッカリオはぐるり、と振り返って男を睨みつけた。ぎり、と筋肉質の腕に力が入り、拳が強く握られる。見守っていたメンバーが、また一人、半ば悲鳴のような声で落ち着いてください! と叫んで男とヴァッカリオの間に立ちはだかった。
「あっ……ありました! 例の機械の設計書と思われます!!」
男のデスクにあった個人端末を操作していた、警察の鑑識が声を上げた。捜索部隊のメンバーにどよめきが広がる。ヘパイストスXIがもたらした、設計図と限りなく酷似した内容のものだという。一緒に机の資料を押収していたディオニソスフォースのメンバーもモニターをのぞき込み、表示された設計図を見て、ヴァッカリオの方に頷いた。
「身柄確保!」
ヴァッカリオの一声で、捜索員たちの動きが一斉に変わった。捜索の手を止めて、暴れる男を拘束し、部屋から引きずり出そうとする。男は奇声をあげていたが、神話還り達の力に敵うわけもなく。両脇を抱えられて、引きずられるようになった事で観念したのか、急に大人しくなった。
「……った」
「は?」
男の呟きを拾ったヴァッカリオが、乱暴な態度で聞き返す。
「やった、俺がやった! そうだよ、アポロンVIの神器に変なモン付けたのは俺だ!」
「……てめえ!!」
「落ち着いてください!!! おい、止めろ!!」
男に殴りかかろうとしたヴァッカリオに、ディオニソスフォースの人間が数人、組み付いて何とか抑え込む。……実は、事前にアフロディテIXとヴァンガード隊指令のゾエルから「ヴァッカリオが殴り掛かる可能性があるから、止めて欲しい」と極秘裏に指令を受けていたのだ。捜索メンバーが予定より数人多いのは、それを見越したアフロディテIXの采配。
「アポロンVIのスキャンダルが取れりゃあ良かったんだよッ!! なんだよ、殺人未遂って! ンな事、俺はやってねぇ!!!」
「こいつ、馬鹿にしやがって! てめえのせいでアポロンVIがどんな目に遭ったと!」
ヴァッカリオを抑え込んでいた人間が、口々に落ち着いてください! と叫ぶ。生身状態のヴァッカリオと言えども、長身であり鍛えられた体から繰り出されるパワーは抑え込むのに苦労する。ちら、と抑え込み部隊の人間同士で、人造神器の起動もやむなし、とアイコンタクトを取った。
頼むからもう火に油を注がないでくれ、と祈るが、男の口は止まらない。男はとある週刊誌の名前を挙げた。
「編集長に脅されたんだよッ!! アポロンVIのスキャンダル持ってこねえと、俺が不倫してたこと嫁にバラすって!」
「は……」
「クソックソッ! ちょいと任務だかヴィラン討伐だかで失敗する画が撮れりゃいい、って――」
男の言葉は最後まで続かなかった。それより前に、ヴァッカリオが手前にあったキャスター付きの椅子を蹴り上げ、それが無残にも壁にぶち当たった轟音が室内に鳴り響いたからだ。蹴り飛ばした方向にいたのが、俊敏なヒーローだったのが不幸中の幸いだった。椅子が飛んできた瞬間には、さっとしゃがんで回避したのだ。
「そんな……ふざけた理由で……?」
何がスキャンダルだ、何が失敗する画だ。ヴァッカリオは目の前が真っ赤に染まるのを感じた。アポロニオを追い詰めたその行動も許されざるものに違いないが、あまりにも、あまりにも理由がお粗末すぎる。たかが個人の不倫を隠すためだけに、兄はあそこまで凄惨な目に遭わなければならなかったのか。
アポロニオが入院した後、唯一家の鍵を持つヴァッカリオはアポロニオの家に必要なものを取りに行った。その時に見た、部屋の惨状は目に焼き付いている。あれほど綺麗な部屋が、たった数日で荒れ果てて。アポロニオがよく出してくれた食器は割れて床に散らばり、ヴァッカリオが先日のアポロニオの誕生日にプレゼントしたマグカップも、シンクに転がったまま。
それらを、ヴァッカリオは一人で全て掃除した。皿の破片を摘まむ手が震えていたのは、怒りのあまりに。その時から溜まりに溜まった怒りが、今、爆発しようとしている。
声を失って佇むヴァッカリオのただならぬ様子に、焦ったのは捜索チームの面々だ。
「そいつの口を塞げ! 早く連れていけ!」
「はっ!」
ヴァッカリオを抑えつけていたメンバーが必死に指示を出す。これ以上、余計なことを喋られては困る。ヴァッカリオの怒りもそうだが、事件の詳細を余分な人間に聞かせるわけにはいかない。今、この部屋には何も知らない一般職員が多く存在しているのだ。
男が引きずられて行った後、残されたヴァッカリオは大きく、深呼吸をした。ヴァッカリオがかろうじて、本気で飛びついていかなかったのは、自分の体の事もあるからだ。もし、自由に神器を使える健康な状態であれば――今頃、男の頭は吹き飛んでいただろう。
理性が吹き飛ぶギリギリのところで踏みとどまったヴァッカリオは、周囲に音が聞こえるまでに歯を食いしばる。
「……落ち着いた、手を放せ」
「はっ……」
静まり返った室内に、小さく響いたヴァッカリオの声に、戸惑いながらも抑えつけていたメンバー達は拘束を緩めた。ヴァッカリオはもう一度、深呼吸をする。
「……あの男の持ち物は全て押収しろ。男が口走った内容は直ちにアフロディテIXに報告。残ったメンバーはここの捜索を続行」
冷静さを取り戻したヴァッカリオの指示に、ほっと胸を撫で下ろしながらチームの副リーダーは矢継ぎ早に他のメンバーに指示を飛ばした。
「それから、職員への聴取を。あの男の行動を中心に。人が足りねえだろうから、アフロディテIXに報告しがてら増員と聴取場所の確保を頼め」
「はっ! 了解です」
「……ここの指揮はお前がやれ」
「っ! ど、どちらに行かれるのですか!?」
部屋を出て行こうとするヴァッカリオに、追いすがる。一度、緩んだ空気がまた緊迫の様相を呈し始めた。もしや、今から犯人を追いかけて暴行を加えるのではないか、と。
「あー……頭冷やしてくるだけだ、気にすんな」
ヴァッカリオはへらり、と笑ってそう答えた。しかし、アフロディテIX達から「ヴァッカリオの暴走を止めろ」と厳命されていたメンバーは目を泳がせる。そして、恐る恐る口を開いた。
「……とは言え、その、何かあった時にすぐ連絡したいので……」
「あ゛?」
「誰か、一人はっ! おそばに置いておいて欲しいのですがっ!」
へらへらした笑顔から一転、睨む顔つきになったヴァッカリオに恐れ慄きつつも、何とかヒーローとしてのプライドで言い切った。直後に、ヴァッカリオが舌打ちをして、やはり心が折れそうになる。
「……わーったよ、誰かついてこい、適当なヤツでいい」
「あ、ありがとうございます! おい、お前、ついてけ!」
「えっ俺ですか!?」
まさかの流れ弾に飛び跳ねた一人の青年だが、ヴァッカリオはそんな青年の事を無視して勝手に出て行ってしまう。早くいけ、と周囲から目で押されて、青年は慌ててヴァッカリオの後をついていった。
「あの……どこに……」
「頭冷やす、つってんだろ」
ヴァッカリオはぶっきら棒に答えた。そういう態度を取りつつも、ひっきりなしに連絡が飛び交っている個人端末の内容は歩きながらチェックしているようだ。
先ほどの男が連れていかれたのは、おそらく、英雄庁のそばにある警察署。ヴァッカリオの足はそれとは反対方向に向いていて、青年はほっと息を吐いた。犯人の男を殴り殺しに行くわけではないようだ。
時折、かかってくる通話にヴァッカリオが対応しているのを、青年は後ろから追いかける。相変わらず不機嫌な声を出してはいるが、漏れ聞こえる会話の内容から察するに、先ほどの件をアフロディテIXや他のゴッドナンバーズに説明しているようだ。
そうして、ヴァッカリオが足を向けたのは、英雄庁隣接の医療センター。歩いて数分の場所で――ここまでくれば、青年もヴァッカリオがどこを目指しているのか見当がついた。
「お前、病室にはいれねえからな」
「あっ、はいっ! 自分は廊下で待ってます!」
エレベーターの中で、ヴァッカリオにいきなり声をかけられて、青年は思わず直立不動で敬礼した。……青年は、ヴァッカリオはヴァンガード隊の隊長である、と言う事しか知らない。ディオニソスXIIであることも、アポロンVIの弟であることも知らない。
ただ、ヴァッカリオがアポロンVIの病室を訪れた、という事は、先ほど知ったばかりの真相を告げにいくのだろうな、と思ったぐらいだ。
まさか、ヴァッカリオがただ愚痴を言いにアポロニオの病室を訪れた、とは思いもよらない青年である。アフロディテIXやポセイドンIIに言わせれば愚痴ではなくて、「泣きつきにきた」と表しそうなものだが。
病室に消えていくヴァッカリオを見送って、扉の前に立っていたアポロンVI護衛のアポロンフォースの人間とあいさつをする。そのまま、話の流れで雑談を。
「――ってわけでさ」
「それは……それは、キレる」
「俺だったらとっくに殴ってるわそれ」
青年の話を聞いたアポロンフォースの二人も、朗らかで友好的な態度は消え、今や怒りを隠そうともしない表情で犯人の男に対して毒づいている。
まあ、詳しいところはこれから事情聴取が行われるだろう、と言う青年の言葉に、護衛役の二人も曖昧に頷く。……常に冷静沈着、と評判のアポロンフォースも、意外と血の気が多いのかもな、と青年は少し冷や汗をかきながら雑談を締めくくった。下手したら、この二人も飛び出して行って犯人の男に殴りかかりかねない。
そこから、気まずい空気の中で事件のことについてはあえて触れずにアポロンVIの状況についてぽろぽろと話をした。どうやら、精密検査は予定通り実施中だが、今のところ落ち着いているらしい。やはり神器を手放したことが理由の様だ。
「……待たせたな」
一時間程度、だろうか。思っていたより長い時間、アポロンVIと話し込んでいたらしいヴァッカリオがようやく病室から顔を出した。その顔は笑顔こそないものの、先ほどまでの怒りの形相は消え去っている。一言、二言、アポロンフォースの護衛と話をしてから、ヴァッカリオは「現場に戻る」と短く言った。
青年も慌てて後を追う。しばらく無言のまま歩き、医療センターを出たところで。ヴァッカリオは大きくため息をついた。青年がちらりとヴァッカリオを恐々と伺う。その様子に、ヴァッカリオは苦笑を浮かべた。
「頭、冷やすっつったろ。アポロンVIに落ち着けって叱られた」
「はあ……」
「詳細はこれから警察で取り調べになるだろうし。お前にはお前のやることがあるだろう、使命を果たせ、だってさ」
ヴァッカリオはやれやれ、と言わんばかりに首の後ろに手を当てて頭をぐるりと回している。おそらく、アポロンVIそう言われるとわかったうえで「頭を冷やし」に来たのだろう、と青年は気づいた。アポロンVIがいかにも言いそうな事だ。どうやら本当に落ち着いてくれたらしい、と心底安堵する。正直、一般人の犯人よりもこの男を抑え込む方が大変だった。
「……ったく、あの人、やっぱり自分の事になると線引きが甘いんだって……なーにが殺意がないならそこまでしなくても、だよ。未必の故意だよ故意。被害だって存分に出てるじゃねえか。体のケガだけが被害じゃねーんだぞ」
……前言撤回、本当に落ち着いたのだろうか。やや猫背で、人相悪くぶつぶつと愚痴を言うヴァッカリオは、やはりヒーローには見えない。むしろ、その辺のチンピラと言われた方が納得できる。
現場に戻ったところで、青年は恨みがましく監視を押し付けてきた副リーダーに、「やっぱり頭冷えてないかもしんねえッス」とこっそり囁いた。