幻視凶狂鬼哭啾啾 - 5/7

6月9日

 6月9日。アポロニオが不調を訴えてから、一週間ほどが経過しようとしていた。

「おつかれちゃーん」
「その声はアフロディテIXか」

 アポロニオは、ベッドに拘束されたまま答えた。ちょうど、誰も担当する人間がいなかったらしい。相変わらず、医療用アイマスクはアポロニオの瞳を隠したままだ。

「悪いけどあーしじゃVIちゃん抑えきれないからそのままで」
「ああ、構わない」

 リベルティーナは武闘派とは言え、パワーよりスピードと絡め手で戦うタイプだ。アポロニオと正面から力のみでぶつかったら勝つ見込みはない。むしろ、リベルティーナとしてもそんなむさ苦しい戦いは勘弁願いたいところである。

「あー……端的に言うんだけどさ、VIちゃんが信用できる人って誰?」
「信用、だと?」
「ん。ヘラIIIのとこ行って、集めた情報精査したんだけど。……まあ、端的に言うと、身内に虫がいそうなのよね」

 その言葉に、ベッドに横たわったままのアポロニオの顔が強張る。リベルティーナは念のため、とベッドから離れた位置に座っていたが、そこから見てもわかる程度には、強張っていた。
 それはそうだろう。ゴッドナンバーズも英雄庁も、裏切りに次ぐ裏切りの嵐。獅子身中の虫は一匹ではなかったのだ。瓦解寸前だった組織を何とか立て直し、裏切りの影響を特に身近に受けたアポロンVIとしては、思うところもあるのだろう。アポロニオは一つ、深呼吸をしてから口を開いた。

「……信用できるのは、ヴァッカリオ」
「言うと思った。ま、実際、あの態度は明らかに今回の件にかかわってなさそうだしね」

 リベルティーナから見て、ヴァッカリオは常に不機嫌であった。不機嫌、と言えば生易しく、怒りのオーラを常に剥き出しにしていたと表現したほうが適切かもしれない。あれが演技だとしたら大したものだろう。犯人を見つけたら今すぐにでも殺しそうなほどの怒りを、人間は演技だとしても持続することは難しい。

「あと数人、いない?」
「……ポセイドンIIと、ヘラIII」
「妥当ね。ヘラIIIは全面協力してもらってるからいいとして。ポセイドンIIはおじいちゃんの方でしょ?」

 ほんと、ゴッドナンバーズ裏切り者多すぎなのよ、と愚痴りながらリベルティーナはディオニソスXIIとポセイドンIIに「VIちゃんの病室に集合!」と個別メッセージを送った。ゴッドナンバーズ専用の、特殊秘匿回線だ。

「これから密談するんだけど。VIちゃんの私物、一時的に全部部屋の外に出していい? 盗聴器とかあるかもしんない」
「なんだと……!?」
「あくまでも可能性だけどね。じゃ、外出しちゃうわよ~」
「待て、神器は置いておいて欲しい」

 アフロディテIXは入院時に持ち込まれたアポロニオの私物を全て病室の外へと出した。そして、神器は……念のため、自分たちがこれから密談する場所から最も遠い部屋の隅に、毛布を被せて置いておく。それがぎりぎりの妥協点だった。
 しばらく、アポロニオと雑談しているとゆったりとした動きでポセイドンIIが。その後、息を荒くしたディオニソスXIIが駆け込んでくる。その血相にアフロディテIXとポセイドンIIが驚き、目が見えないアポロニオだけがどうした? と呑気に呟いていた。

「っは……なんだ、容態でも悪化したのかと……」

 アフロディテIXは、ごめんごめん、と悪びれもせずに肩を竦めた。ディオニソスXIIは一度、ぎろりと睨むがすぐに気を取り直したのか汗ばんで額に張り付いた髪をかき上げる。

「じゃ、このメンバーでいこいこ」
「いきなり呼ばれてきて、何もわからんのだがね……」

 ポセイドンIIがやんわりとアフロディテIXの態度を宥め、話を促す。それに対して、長くなるから椅子座って、とアフロディテIXは軽く返した。言われたとおり、ポセイドンIIもディオニソスXIIも椅子にどっかりと椅子に座ってアフロディテIXの話を待つ。

「まあ、いろいろあるんだケド。とりあえず、今から話すことは他言無用。あと、なるべく小声で、密談でヨロ」

 ふざけた口調でありながらも、アフロディテIXは目を室内に走らせて、緊張した面持ちをしていた。これは何か大きなことだな、と気づいたポセイドンIIが、椅子の位置を変えてより近づく。ディオニソスXIIも、それに倣った。

「今回のアポロンVIの身に起きた件。情報を集めてヘラIIIに推測してもらったわ。端的に言うと、犯人はアポロンフォース内部か、あるいは英雄庁の人間。もしくは……アポロンVIの、身内」

 アフロディテIXの言葉を受けて、ポセイドンIIが隣のヴァッカリオをちら、と見る。それに対して、ヴァッカリオは「んなわけあるかよ」と低い声でばっさりと切って捨てた。ポセイドンIIもだろうな、と小さく笑って済ませる。

「ま、とにかく。そういうわけで、まずは今日、信用できそうな人間で集まったってわけ。アポロンVIの私物は一時的に病室の外に出して、神器は隅で大人しくしてもらってる。どこに盗聴器があるかもわからないし」
「なるほど……で、その詳しい内容とは?」
「まず、今のところ証拠がなくてヘラIIIの推測だけ、という前提で聞いて。アポロンVIの病状については、おそらく『アーテー』の神話還りが関与しているみたいなの」
「アーテー……」

 神の名前を呟いたディオニソスXIIは、英雄庁の新人研修で学んだ神話の内容を思い返す。アーテー、ゼウスの娘と呼ばれる神であり――妄想と狂気を司る、女神。判断力を鈍らせ、人を「思い込み」だけで動かしてしまう力を持つ神話還りが多い。ヒーローや一般市民としてであれば、心理カウンセラーや手品師などの職業に就いている者が数多く存在している。ヴィランとしてであれば、主に詐欺師だ。

「アポロンVIの症状から、ヘラIIIは『アーテー』の神話還りが絡むと推測したわ」
「確かに、そうだな。妄想にかられ、正常な判断力を失い、勝手に行動する。言われてみれば、アーテーの性質そのものではないか」

 アポロニオが愕然としたように、自身の症状を振り返った。「何か」が目に見ていたのも、全て自分の「妄想」で。判断力を失い、「何か」を追いかけなければならないと強迫観念に駆られて、周囲の状況も顧みずに走り出す。まさに、アーテーの神話還りが暴走したときに、周囲の人間に及ぼす悪影響と同じ症状であった。英雄庁にも、事例は揃っている。

「これね、あとゼウスIの証言もあって、ほぼ確定じゃないかと思われてるわ」
「ゼウスI?」
「そういえば……あいつ、私に対してゼウスの気配がするだとか言っていたな……」

 ディオニソスXIIの怪訝そうな声に応えたのは、アフロディテIXではなく、アポロニオだった。アポロニオの言葉に、アフロディテIXも頷く。ゼウスIの勘は間違っておらず、アポロニオに纏わりついたアーテーの気配を感じ取っていたのであった。アーテーはゼウス神の娘、眷属とも言える存在。ゆえに、ゼウスIは本来あるべきではないアポロニオ、アポロン区からアーテーの気配がしたことに対して敏感に反応したのだろう。もちろん、アーテーの神話還り自体はどこの区にも住んでいるだろうが。並々ならぬ、神話還りの力の使い方で、ゼウスIに一足早く察知されたということだ。

「で。アーテーの神話還り、としたときに、かなり対象者が絞られる。アポロンVIと接触していた人間、それからアポロン区に住んでいる人間。そういったところで対象を拾ってくんだけど……」

 アフロディテIXはそこまで言って歯切れ悪く、口を噤んだ。ディオニソスXIIが、顎で続きを促す。

「んー……ヘラIII曰く、ここでピースが欠けてるんだって。アーテーの神話還り単体にしては、力が強すぎるし大がかりすぎる。アポロンVIがこうなって一週間でしょ? 最初は問題なく、そこから徐々に影響が強まっていく……そんな器用な力の使い方、できるのか? って。それに、アポロンVIに対して毎日術を掛けるようなこと、できる人いる??」

 一度に懸念事項を喋りきったアフロディテIXは、難しそうな顔をしているポセイドンIIとディオニソスXIIを伺い、それから黙ったままのアポロニオをちらりと見た。

「VIちゃん、そんな人間に心当たりないって言うし~」
「……ないものはない。アーテーの神話還りはアポロンフォースに所属していないぞ」
「ふむ。休日を挟んで、となれば、アポロンVIのプライベートや行動まで熟知している必要があるだろうしな」

 そこでまたポセイドンIIはちらりとヴァッカリオを見た。ヴァッカリオは不機嫌そうな声で「別に俺だってアポロンVIの休日を全部把握してるわけじゃない」と吐き捨てた。……最も、アポロニオのプライベートを知っていそうな身内ですら休日を把握していない、というのだから、第三者でアポロニオの行動を先回りできるような人間はほぼいないだろう。

「そーゆーわけ。で、そうなってくると、今度はアレね。そういう神話還りの力を封じ込めた、アヤシイお守りとか、食べ物とか。要は、人じゃなくてモノに影響されてるんじゃないの、って」

 変なサプリメントとか貰って飲んでないでしょうね? とアフロディテIXに問い詰められたアポロニオは、首を横に振った。サプリメントは飲んだ覚えもないし、何より一日三食、自分の手料理だと言う。くどいようだが、変なものは食べてない、とアポロニオは再三の主張を繰り返した。
 となれば、後はアヤシイお守り、だが、そちらもアポロニオは心当たりがない、と言う。アポロンVIへの市民からの差し入れは数多くあるが、それらは全て英雄庁とアポロンフォースで事前検査をして問題がないもののみ、アポロンVIに渡される。渡されたとしても、全てをアポロンVIが使うわけにもいかないから適宜、必要としている施設や団体に寄付して回っているのだ。アイスクリーム調理器具を何十台も送られても、アポロニオの家には一台あればじゅうぶんだ。

「と、こんな感じで、ここが手詰まりなのよ」
「なるほどねえ……おに……アポロンVIが常日頃、身に着けているだろうもので、かつ、症状が現れた時期に新しく入手したもの、ってことか?」

 ディオニソスXIIが考え込むように言う。その後、いくつかアポロニオの家にあるだろう家具や調理器具の名前を挙げたが、いずれもアポロニオは新調してないと言った。
 ずっと黙っていたポセイドンIIが、おもむろに口を開く。三人の会話を聞きながら、ゆっくりと熟考していたようだ。

「神器、はどうだ?」
「神器?」

 ポセイドンIIの発言にアフロディテIXが目をぱちぱちとさせながらおうむ返しをする。ポセイドンIIは目を細め、長い白髭を撫でながら頷いた。

「ああ。アポロンVIが常に身に着けている、肌身離さず持っているものと言えば、神器が一番だろう」
「それは……そうだが……いや……」

 アポロニオが何か、思い当たったかのように口を止める。今はどんなヒントでも欲しい。アフロディテIXは思わず身を乗り出して、アポロニオの言葉を待った。アポロニオは、必死に記憶を辿っているのかベッドの上に横たわったまま黙っている。ようやく、思い出したのか、口を開いた。

「そう言われてみれば、5月下旬……あたりに、神器を一度メンテナンスに出しているな。新システムに対応する必要があるから、と英雄庁に回収された」
「おい、待てよ。俺はそんな話聞いてないぞ」
「奇遇ね。あーしもそんな連絡なかったわ」
「……ワシも、娘も聞いておらん」

 部屋中に、沈黙が下りた。アポロンVIだけが、神器を回収されていたという事実。そして、その直後から不調を来たしている。……黒、と考えて問題ないだろう。

「はっ、神器に細工とは……やってくれるじゃねえか、英雄庁」
「まあ待て。まだ英雄庁が仕込んだとは限らんだろう。例えば下請けの業者であるとか、輸送中に仕込まれたであるとか」
「まあ、どっちにしても英雄庁の不手際には変わんないカンジ~」

 アフロディテIXは大きくため息をついて。ディオニソスXIIは今すぐにでも飛び出そうという勢いで。ポセイドンIIは頭を悩ませるかのように額に手を当て。それぞれ、導かれた真相に三者三様の反応を示す。

「……じゃ、英雄庁へのガサ入れの準備ね。新システムってアレでしょ、通信網を一新したヤツ。ってことは、それ絡みでヘルメスフォースとデメテルフォース……ヘパイストスフォースもワンチャンあるかも?」
「あり得るかもしれん。なんにせよ、事は慎重に運ばねばならんな。このような大がかりな事態、トカゲの尻尾切りで終わらせては困る。たどり着く黒幕の全てまで、引きずり出さねば」

 英雄庁の新システムの開発には、ヘルメスフォース、デメテルフォース、ヘパイストスフォースが大きくかかわっている。英雄庁を主体とした一大プロジェクトであるが……その新システムに絡んで、アポロンVIの神器が狙われたということは、そのいずれかのフォースにも犯人の一味がいる可能性は捨てきれない。
 ポセイドンIIは巨体を揺らして立ち上がった。アフロディテIXとディオニソスXIIも立ち上がる。

「アフロディテIX、現場での動きや指揮は君が執れ。ディオニソスXII、君にはアポロンVIの身辺警護でも頼もうか。特に、英雄庁の人間が訪れたら十分に注意して欲しい。ヴァンガードにはワシから通達を出しておこう」
「りょ」
「了解」

 アポロニオは、ディオニソスXIIの声がする方に顔を向けて、「迷惑をかける」と言った。ディオニソスXIIは黙って首を振り……そういえば、アポロンVIは見えないのだった、と気が付いて改めて「気にするな」と言葉に出して答えた。
 アフロディテIXもディオニソスXIIも、そしてポセイドンIIも。ベッドの囚人となったアポロンVIを一度見てから、視線を交わす。穏やかな顔から一転、厳しい表情を浮かべたポセイドンIIが、怒りを隠そうともせずに地響きのような声を上げた。

「英雄庁の権限を使った卑劣な行い、万死に値する。我々、ゴッドナンバーズの命とも言える神器に細工をするなど、言語道断。犯人は必ずや、白日の下に晒してくれようぞ」

 ポセイドンIIの重々しい宣言により、ついにゴッドナンバーズ達の「狩り」が始まる。

 

6月10日

 ヘルメスフォースの仕事は、主に広報活動だ。伝令神としての力を存分に振るい、英雄庁の報道コントロールから他フォースの広報プランニングまで、様々な方面でその力を発揮している。
 逆に、荒事は苦手なメンバーが多い。不在となってしまったヘルメスX……改め、ヘルメス神本人も、戦うことは苦手と言って譲らなかった。ジャスティスカーニバルの時でさえ、自分は直接手を出さずにゴッドナンバーズ間で同士討ちをさせて片づけようとしていたのだ。ゴッドナンバーズ全体、あるいは全フォースの中でも、戦闘能力は最下位と言っても過言ではないのかもしれない。
 本日は木曜日。あと一日、頑張れば休みだ。そういった気怠い空気が漂う広報フロアの扉が、激しい音を立てて開かれた。

「業務中失礼しますっ! 全員、その場で待機してください!」

 突然の事に驚いたフォースのメンバーは、自然とその場で立ち止まる。そうして見ているうちに、あれよあれよと扉の向こうから人造神器で武装した集団が侵入してきた。フロアの奥に座っていた部長が、ハッと気を取り直したように立ち上がる。

「な、何事だねっ!?」
「……こちら、捜索令状になります」

 ブーツ音を立てて部長に近づいてきたのは、ハデスIV。ずい、と目の前に出された紙には、確かに英雄庁の承認印が押されていた。ハデスIVは部長に令状を見せたまま、内容を大声で宣言する。

「この度! 『アポロンVI殺人未遂事件』に関して! ヘルメスフォースも事件にかかわっている疑いがある!」

 ハデスIVの言葉に、室内全体がどよめく。アポロンVI殺人未遂とは、自分たちが疑われている、とは。

「ど、どういう……!」
「ただいまより、一斉捜索を行います! 両手を挙げ、待機! ……あくまでも疑い止まりなので、何もなければ大丈夫ですよ」

 両手を挙げたまま脂汗を垂らして顔を青くする部長に、ハデスIVは苦笑いを浮かべて話しかけた。その間にも、ハデスIV率いるハデスフォース、および警察の鑑識が次々と室内に入り、フォースメンバーの資料のチェックや何かを探すような動きをしている。

「あ、あの……アポロンVI殺人未遂って……」
「すみません、詳細は明かせません。ただ、そういう事件があった、と言う事です。……英雄庁から、アポロンVIに関する報道コントロールの指示を受けていますね?」

 ハデスIVが穏やかな笑みを浮かべつつも、有無を言わさないプレッシャーを出しながら部長の質問に答えた。部長は禿げ上がった頭に汗の粒を浮かせながら何回も頷く。
 ヘルメスフォースはここ数日、アポロンVIに関する様々な情報の規制と誘導を行ってきた。例の症状における「発作的奇行」を繰り返していたアポロンVIの姿は、一部市民やヒーロー達に目撃されており、また、ゼウスIと道端で乱闘騒ぎを起こしていたことも目撃されている。そういった情報について、ヘルメスフォースは握り潰しと内容のすり替えを行っていた
 ゼウスIとの乱闘騒ぎは、ちょっとした言い争い、と。ゼウスIの行動をアポロンVIが咎める事はすでに知れ渡っており、それの延長線上のものである、と噂をばらまいた。これで、乱闘騒ぎから「いつものお説教」へと真実はすり替わる。
 アポロンVIの奇行についても「特殊なヴィランを追っていた」「アポロンフォースメンバーも同じような行動をしていたと目撃証言がある」「アポロンフォース全体で捜査していたようだ」などと真実をベースにした嘘のトッピングで見事に覆い隠してみせた。
 ヘルメスフォースの広報部長からアポロンVIに対する報道コントロールの内容を聞いていたハデスIVは内心で舌を巻いた。ハデスIVにとって、ヘルメスXとはほぼかかわりがなく、どちらかと言えばジャスティスカーニバル時のヘルメス神としての印象が強い。あの時、ヘルメス自身の口から語られた内容から察するに「世界の歴史の真実」を見事に捏造して全人類と一柱の神を騙し果せたというのだ。伝令の神であり悪戯の神であるヘルメス神本人の、まさに神業と思ったのだが。
 ヘルメスフォースにもその力は着実に受け継がれているようで。聴取もかねて広報部長から報道コントロールの内容と、現在の状況を聞き終えたハデスIVは感心を通り越して頭痛さえ感じるほどだった。

「ハデスIV! 捜索、完了しました」
「特に問題となるようなものは、現時点では発見できておりません」
「そう。わかりました」

 ハデスIVと、その部下の会話を聞いて部長はほっと胸を撫で下ろした。よくわからぬままに抜き打ちで立ち入り捜索を受けたのだが、問題はなかったらしい。
 わかりやすい態度の部長を見て、ハデスIVは顔を引き締める。

「もとより、ヘルメスフォースにはそこまで疑いがかかっておりませんでしたから。念のため、と言った次第です。ですが……」
「はあ……」
「疑いが完全に晴れたわけではありません。全ての人員の振舞には十分ご注意を。また、本日より一か月間、資料の廃棄を禁止します」
「はっ、はいっ!」

 ハデスIVにぎろり、と睨まれた部長は背筋を伸ばして裏返った声で返事をした。額に浮かんだ汗の粒がぽつぽつと流れていく。ハデスIVとは親子、もしくは祖父と孫ほどの年齢差があるとは言え、ゴッドナンバーズともなれば無下にはできない。それどころか、目の前の少女が醸し出す上に立つ者のオーラに、小心者の部長は小さく悲鳴を上げていた。

「今後については英雄庁から指示が出ます。詳しい聴取も行われると思いますが、必ず、誠心誠意をもってご協力ください」
「はっ! 了解であります!」

 ハデスIVが室内を見渡してそう締めくくると、ヘルメスフォースのメンバーは立ったまま敬礼をして返した。何が何やら、よくわからないままに、当座の危機は乗り越えたようだ。
 バタバタと、来た時同様に、ハデスIV率いる捜索班は去っていった。最後に、ハデスIVが「お騒がせしました」と丁寧にお辞儀をして、ドアをパタンと閉めた。

「な、なんだったんでしょうね……」
「さあ……い、いや、とにかく! アポロンVI殺人未遂というネタが漏れてないか、至急、確認せよ! ……報道コントロールの方向も再検討が必要かもしれん」

 ハンカチで額から首筋までの汗を拭きながら、部長が指示を飛ばす。わからないならわからないなりに、「害をなさぬ」方向によっていくのがヘルメスフォース。途端、室内が蜂の巣を突いた様に大騒ぎになる。
 少しだけ、部長はいなくなってしまったヘルメスXのことを思い出していた。彼(彼女? いまだに、部長はヘルメスXの性別を正しく知らない!)は時折、突然無茶ぶりをしてはこうやって部下たちが大騒ぎするのをニヤニヤした笑みと共に眺めていたのだ。相手を困らせて、その反応を見て楽しむフシがあったように思う。
 だが、それでいて、本当に手詰まりになればスッと寄ってきて、さらりとアドバイスをしてくれた。そう昔の事でもないのだが、懐かしい思い出だ。
 ジャスティスカーニバルの一件から、ヘルメスフォースはこれまで以上に厳しい立場に置かれている。では、そうした事態を引き起こしたヘルメス神を恨むかと言えば……どうも恨む気にはなれない。ずっと自分たちのトップで、神話還りの力の指導を丁寧に見てくれてた恩もあれば、振り回された怒りだってある。

「憎まれっ子世に憚る、かあ……便利な言葉だよなあ……」

 部長は汗を拭きつつ、部下から上がって来た報告に耳を傾けた。その中にあった言葉を見て、ヘルメスX様によく似合う言葉だな、と部長は思わずしんみりとしてしまったのであった。

 アフロディテIXの下には、疑惑があった各フォースに捜索に入ったチームから続々と報告が届いている。察知されて逃げられないように、一斉捜索を実施した。当然、それだけの人員、それもゴッドナンバーズを使うとなるとかなりの大がかりな作戦となる。

「んん、デメテルフォースもハズレ、と。うん、うん。おけおけ」

 アフロディテフォースの一室を指揮室として、アフロディテIXは端末を肩に挟みながら紙にペンを走らせた。状況のまとめと、待機していた部下への調査指示。紙を渡された部下が、部屋から飛び出していく。と思えば、新たな資料を持ってきた部下がドアから身を滑り込ませてきた。
 室内は紙が散乱し、足の踏み場もない。壁端のホワイトボードには刻一刻と更新される情報が書かれており、今もまた、容疑者候補の情報をプリントアウトした紙が新しく貼られた。英雄庁神器メンテナンス部門所属、神話還りではない、一般職員、四十代男性。
 それを目で追いながら、アフロディテIXは端末の向こうにいる新ポセイドンIIに指示を出して通話を切った。新ポセイドンIIには、アポロンフォースのメンバーを率いてデメテルフォースに立ち入りしてもらっている。現ポセイドンIIは、英雄庁への立ち入りに対する交渉を。

「ポセイドンIIが二人いるって楽よねえ」

 ふう、と息を吐きながら端末をテーブルに置くと、途端、室内にいたメンバー達が口々に……言いたい放題、言い始めた。

「あーらアフロディテIXには私達がいるじゃない」
「そうそう、もっと先輩を頼っていいのよ?」
「リベちゃん、頑張りすぎなのよ~。あ、これ、調査した方がいいんじゃない? ハデスIVに頼んじゃう?」
「ねーねー、アレス零にこれ調べてもらったら~? ちょうど今、ヘパイストスフォースに立ち入り行ってるんでしょ?」
「さんせーい!」

 ……アフロディテIXは机を両手で叩いて、椅子を蹴飛ばして立ち上がった。大きな音に、姦しく騒いでいたメンバーが全員黙る。

「も~~~!!! 指揮権は! あーしが! 持ってるの! 勝手なことしないでよ!!」

 アフロディテIXがキレた。と、まあ、こういった光景はアフロディテフォースではよくあることで。叱られたメンバ―達は互いに目を合わせたあと、口々に「めんごめんご」「激おこぷんぷん丸??」「顔に皺増えちゃうよ~」などと、これまた言いたい放題に言うのであった。
 とは言え、こうやって一度、諫めればさすがに全員わかってくれる。何しろ、短期とは言え神器に選ばれた人間ではあるのだ。どちらかと言えば、可愛い後輩を揶揄って遊んでいるだけなのだろう。
 怒ったアフロディテIXにまあまあ、と宥めながら休憩用の紅茶をとある先代アフロディテIXが差し出す。お茶請けは、ビスケットだ。気づけば、もうそんな時間だった。アフロディテIXは小さくため息をついてから椅子に座り直す。

「で、リベちゃん、結局、各フォースの方はシロなの?」
「そうね。ま、もともとそっちは薄いと思ってたし? やっぱ、敵は総本山でしょ」
「だよね~。フォース単位でアポロンVIの神器に細工なんてできるわけないだろーし」

 ビスケットを啄みながら、アフロディテIXを中心に華やかな臨時女子会が開かれる。語られる内容はキナ臭いものばかりだが。

「英雄庁の方だけ後日なんだっけ」
「ポセIIのおじいちゃんが交渉してくれてるって」
「それ逃げられたりしない~?」
「まあ、逃げたら逃げたですぐバレるでしょ、このタイミングで退職したり失踪するヤツなんて、自分で犯人だって言ってるようなものじゃない」
「それな。逃げてからとっちめれば早いっしょ」
「証拠隠滅は?」
「隠滅されてもボコるってディオニソスXIIが言ってた」

 アフロディテIXが紅茶のカップを置きながらそう言えば、女子会に参加していた面々からキャー!こわーい!と黄色い悲鳴が上がった。先代アフロディテIX達もディオニソスXIIとアポロンVIが兄弟であることはもちろん知っていたし、それこそ仲が良かった頃の十年前のブラコン時代を知っている人間もいる。
 自分がゴッドナンバーズになった時は、すでに二人は仲違いしていたので、兄弟と言うことは知っていても不仲であるとアフロディテIXは思っていた。ところがどっこい、フタを開けたらあのアポロンVIがディオニソスXIIにべったりだし、何より、ディオニソスXIIが何かやらかしても全て許してしまうという身内びいきと来たものだ。一年近くが経ってようやく慣れてきたが、正直、ドン引きしてた時期もある。
 そんなアフロディテIXの相談に乗ってくれたのも、また先代アフロディテIXの一人ではあった。相談に乗ってもらった結果、「ディオニソスXIIも相当キツいブラコンだから覚悟した方がいいよ」という余計な情報を教えられてしまったのだが。……いや、事前に教えてもらってよかったかもしれない、とは今になって思う。

「ま、そんな冗談はさて置いても。決定的な証拠はこっちの手にあるんだし、何とかなるでしょ」

ビスケットを完食したアフロディテIXは、女子会の間に溜まっていた新しい報告に目を通し始めた。
 決定的な証拠。それは、アポロンVIの神器だ。今、ヘパイストスXIを極秘裏に呼んで解析をしてもらっている。ヘパイストスXI曰く、丸一日かかる、とのことで、結果が上がってくるのは明日になりそうだ。
 その結果をもって、英雄庁への捜索を実行する。その下準備は、今現在も着々と進んでいた。そう、たとえアフロディテフォースの上層部が紅茶とビスケットで女子会を開いていたとしても、だ。
 これで口うるさくなければいいんだケド、とアフロディテIXは先達の書類捌きを見ながら、また一つため息をついた。やはり、ジャスティスカーニバルで優勝するべきであった、何が何でも。