ネーレイスはパジャマ姿のまま、自宅のベッドでごろごろしていた。神力を使い切るとどうなるか。
「ま、まさか全身筋肉痛になるとは思いませんでしたわ……」
目が覚めた時は病院にいて、医者からは極度の疲労状態にあるだけです、と言われたが……指一本動かすこともできないほどに疲労困憊していた。それでも、一晩ぐっすり病院のベッドでお世話になれば、かなり回復して歩けるほどにまでなったのだが。
とは言え、痛いものは痛い。痛いと言ったら痛い。傷病休暇、ということで一週間は自宅で療養してよいことになっているが、そもそもここまで体がボロボロだともうベッドすら出たくない。
「ネーレイスちゃん、お友達が来ましたよ」
母親の静かなノックとともに優しい声で告げられたのはアレイシアとエウブレナのお見舞いだった。
「ネーさん、大丈夫か!」
部屋に入るなり、大きな声で騒ぐアレイシア。エウブレナと言えば、母親に頭を下げつつ、何やら菓子折りを渡している。相変わらず、用意の良いことだ。
「ネーレイス……良かった、顔色はよさそうね」
「顔色は良くても全身ボロボロでしてよ……いててて」
「全身筋肉痛なんだって?? ネーさん、筋トレ増やす?」
「元気になってから、ね」
今すぐにでも筋トレを一緒に始めようと誘いかねないアレイシアをエウブレナが制した。変わらない二人のやり取りに、ネーレイスはほっと息を吐く。
「それにしても、ハデス区のことについて迷惑をかけたわ……」
「まあ! エウブレナが謝ることではなくってよ?」
「そうだぞ! アポのお兄さんが『仔細はこれから明らかになるであろうが、だいたい英雄庁が悪いに決まっている』って断言してたからね!」
アレイシアの似ているような似ていないような物まねにコロコロとネーレイスはひとしきり笑ってから、顔を引き締めた。二人に深々と頭を下げて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「もう聞いているかもしれませんけど……あの作戦、ヴァンガードだけを生贄にする作戦はわたくしが考案いたしました。お二人には……いえ、ヴァンガードの皆さんには、なんと謝れば良いのやら……顔向け、できませんわ」
「ネーさん……」
「ネーレイス……」
アレイシアとエウブレナは、二人で顔を合わせると頷きあった。そして、顔いっぱいに笑みを浮かべるとネーレイスの両肩に、それぞれ手を置く。その手の温かさに、ネーレイスはハッと顔を上げた。
「インフルエンザみたいで大変だったけど、すぐ治ったから大したことなかったぞ!」
「確かに、苦しい思いはしたけれど……ネーレイスほどじゃないと思うわ」
「二人とも……!」
それに、とエウブレナが続ける。
「ネーレイスがそこまで、私たちのことを信頼してくれて嬉しかったわ」
「うっ……うぅ、えうぶれにゃ……!」
「わわわ、ネーさん、泣かないでよ!」
ぐず、と鼻を鳴らしてぽろぽろと涙をこぼすネーレイスに、アレイシアが慌ててハンカチを当てた。エウブレナも、ネーレイスの震える肩を抱き寄せて手を握る。
「きっと、あの作戦を誰かに言うのも、通すのも、とても勇気が必要だったと思うわ」
「うん、ボクもそう思うよ。……あの、嫌味な意味じゃなくてね? ああいう、難しい考え方って、ボクにはできないなって。ネーさんらしい、いい作戦だったと思うよ」
「う、うう~~~~二人とも~~~~」
わっ、と泣き出したネーレイスを、エウブレナとアレイシアは思わず抱きしめた。二人のぬくもりに、余計にネーレイスの目から涙が溢れ出す。しばらく、三人はネーレイスのベッドの上で塊になってその想いを分かち合っていた。
「ぐすっ……二人とも、今日は本当にありがとう……」
「ネーさん、一週間休みなんだっけ? 一週間後に、ヴァンガードで待ってるからね!」
「ネーレイス、焦らなくて大丈夫だから、ゆっくり休みなさい。また、時間があれば帰りに寄るわ」
アレイシアとエウブレナがそう言ってお見舞いから帰っていったしばらく後。帰宅してきた父親が部屋に顔出した。泣き腫らした顔を見られるのをネーレイスは少し恥ずかしがりつつも、頼りになる父親を迎え入れる。
「やあ、調子はどうだい?」
「全身筋肉痛なのですけど……お父様も、こうなるのですか?」
「神器を使い始めた最初のころは、よくなったものだよ。そのたびにゼウスIに指を差されて笑い転げられたものだ」
懐かしい、とポセイドンIIは目を細めた。
しばし、沈黙。そのあとにポセイドンIIはぽつり、とつぶやいた。
「ネーレイスに傷がなくて良かった」
「まあ、お父様ったら! ヒーローである限り、傷と無縁の関係は無理でしょう?」
「それはそうだが……親である限り、やはり可愛い娘のことは心配でならないさ。例え、それが新たなポセイドンIIで、立派に神器を操るヒーローだとしても。いつまでも、ネーレイスは私の大切な娘だよ」
「お父様……」
ネーレイスは優しい父親の笑みに包まれて、照れくさく思いながらも笑みを返した。あの厳しい視線を向けてきたポセイドンIIではなく、ただ一人の父親と、神器を振るう海神ポセイドンIIではなく、ただ一人の娘の姿がそこにはあった。
「それにしても、見事に神器を使いこなしたな」
その言葉に目をぱちぱちと瞬かせた後にネーレイスは笑いながら「アポロンVI様に背を押されましたの」と告げた。それを聞いたポセイドンIIは思わず天を仰ぐ。
「どうしたのですか?」
「ああ……アポロンVIに、『あの時の借りは返しましたよ』と言われたものでな……何のことかと思えば、それか」
「……アポロンVI様には、本当にお世話になりました。あの後、わたくし、ぱったり倒れてしまって……」
「気にするな、ワシだって『あの時』は倒れたアポロンVIを背負って、本部まで長い距離を歩かされたのだぞ。今回の後始末ぐらい、奴には大したものではないだろう」
アポロンVIの知られざる過去を聞かされて、ネーレイスは思わずふふふ、と笑ってしまった。あのアポロンVIが、父親の背中でぐったりしている姿なんて、想像もつかない。
「でも、わたくし、ポセイドンIIと見栄を張っておきながら後始末には何も参加できなくて……」
「気にするな。その辺はワシが対応しているし、何より、そういう時のためのバックアップ体制もポセイドンフォースは充実しておる。そのための副官や部下達なのだぞ。……何も、全て一人で背負い込む必要もない」
「そう、ですか……」
「それに、いきなりお前に全てを引き継ぐわけではない。少しずつ慣れていけばよいのだよ、ネーレイス。せっかく、目の前に先代がいるのだからな」
父親は心配そうなネーレイスを元気づけるために、明るく笑って言った。
ふと、「先代」がいなかったハデスフォース――エウブレナのことがネーレイスの頭を過った。彼女は、とても苦労していたように思う。それに比べて、なんと自分が甘い環境にあることか。
しかし、ネーレイスは頭を振った。使えるものは親でも使え、優先すべきは市民の平穏と安寧であり、自身のプライドも命も、後回しに。そういう先達の姿を、これまでにいくつも見てきた。
「そうね……お父様、頼りにしていますわ」
「おお、ネーレイスにそう言われてしまうと、ついつい張り切りすぎてしまうな!」
「お父様ったら! お気をつけなさいませ、親バカとまた言われてしまいますわよ?」
「事実だから仕方あるまい。良いではないか、ゴッドナンバーズにはもう一人兄バカがいるであろう」
「……わたくし、あの二人と同じカテゴリには入りたくないのですけど」
ネーレイスの言葉に、カッカッカッ、と快活に笑い声をあげ、ポセイドンIIはゆっくりと立ち上がった。また夕飯の時間に、と言って部屋を出ていこうとする。ドアノブを握ったところで、何かを思い出したかのようにネーレイスを振り返った。
「……副官も、お前と同行していたフォースのメンバーも。それどころか、ワシを付け回していた記者まで、な。全員が全員、口を揃えて『ネーレイスさんの復帰はまだですか!』とうるさくて敵わん。すっかり、みなお前のファンになってしまったようだぞ」
「まあ!」
驚き照れるネーレイスと反対に、ポセイドンIIは苦笑いを浮かべた。
「ワシだってまだ現役であるのに……寂しいものよ」
「お父様にはまだまだ現役で頂かないと困りますわ! 教えてもらっていないことがたくさんありますもの!」
嘆き、哀愁漂う父親の背中にネーレイスが笑って言葉を投げかける。その言葉に、ポセイドンIIは片手をひらりと上げて部屋を辞した。
ネーレイスの言葉は、本心そのものだ。まだ、自分はポセイドンIIとしての一歩を踏み出したに過ぎない。これから、徐々にフォースのことを引き継いでいき、いずれは……アフロディテフォースの様に、父親と同じ職場で、上司として働くことになるのだろう。
ぶるり、震えるのは恐怖ではなく、将来への武者震い。ネーレイスは枕に顔を埋めて、少しだけ、未来の自分と父親の姿を思い描いて楽し気な笑顔を浮かべるのだった。