アポロンフォース屋上、神器を起動したアポロンVIが暗闇の中で一点、煌々と輝いていた。視線の先にあるのは、夜にもかかわらず昼のように明るくなったハデス区。
ポセイドンフォースから提案された作戦を、一度は渋ったもののアポロンVIは最終的に受け入れた。結果、犯人は面白いほどにこちらの想定通りに動いてくれている。
「ハデス区の市民収容状況は?」
「八十パーセント完了しています。いずれも軽症で、重症患者はおりません」
致死性はない、と言った犯人の言葉は事実であった。アポロンフォースから「ヴァンガード本部のみ助けてほしい」という打診の『裏』をかいた犯人は、ハデス区全体を包む疫病の霧を解除した。多少、気だるさを訴える人間もいるものの、そのほとんどが「今までの苦しみはなんだったんだ」と言わんばかりにケロリと全快したという。神話還りの力を使って作られた「架空の疫病」の都合良さに各フォースが舌を巻いていたところだ。
しれっと、へラフォースから「拷問に使えるのではないか?」と問い合わせがアポロンフォースに入っていたが、そちらについては事態が収拾してから、と回答を見送っている。
「……ヤツにもまだ、人の心が残っていたのかもしれんな……。私がしっかり導けていれば、こうも道を外さずに済んだだろうに」
とアポロンVIは悔しそうに嘆いた。それを耳に挟んだ副官はただ、静かに首を振るだけだ。きっと、アポロンVI自ら導こうとしてれば、犯人はますます反抗しただろう。
アポロンVIはアポロン区に燦然と輝く光であり、太陽である。太陽に近づきすぎた人間が羽をもがれたように、目を焼かれたように。眩しすぎるその光を見つめ続けた犯人の男は、大切なものを焼き尽くされてしまったのだろう。
「とはいえ、同情の余地はありませんが」
「ん? 何か言ったか?」
「いいえ。……ポセイドンフォースより連絡、会場準備及び人員配置完了したそうです」
「わかった」
アポロンVIは頷くと神器を握り直した。
決戦の地はポセイドン区の砂浜。アテナ区ではアテナVIIが不在であることと、市中で犯人の男と対峙するのは避けたかった。ゆえに、犯人へは「市内では本気を出せないが……そのような制限付きで勝つつもりか?」とアポロンVI本人からわざわざ挑発するようなメッセージを送ってある。もちろん、犯人はその挑発に乗った。……神力を使い過ぎたのか、ずいぶんと思考能力が落ちているようだ。
アポロンVIがポセイドン区を指定した理由はもう一つある。古代より、疫病を押し流すは清浄な水の力であった。ポセイドンフォースは、毒ガステロ対策などそういった毒物への対策が充実しているのだ。実際、すでにハデス区では順次ポセイドンフォースにより消毒液の散布が進められており、順調に市街消毒が進んでいる。
万が一、犯人がまたしても疫病の霧をばらまいた時、アポロンVI単身では対処しきれない可能性が高い。ゆえに、ポセイドンフォースの協力が必要なのだ。
「心配事と言えば……」
「新ポセイドンIIですか?」
この度の作戦、市街地に影響がでる可能性がある、との判断から現ポセイドンIIではなく、新ポセイドンIIが神器を運用することになっている。アポロンVIは父親譲りの青色の、母親譲りのウェーブした独特な髪形の少女を思い浮かべた。そして、副官の言葉に首を振る。
「いや、そちらは心配していない。あれでいて、何度も修羅場を潜ってきた猛者だ。問題なのは……他のポセイドンフォースのメンバーだろう」
「……? 腕よりの精鋭メンバーを選抜したと聞いていますが」
「それはあくまでも、模擬戦や日々の活動上でのことだ。……ポセイドンフォースは、実戦経験が乏しい。ポセイドンIIが前線から退いて後方指揮を担当するようになって数年」
「ああ……そうですね、そう言われてみれば確かに」
副官も思い当たったのか、顎に手を当てて思案気な素振りをした。これまで大小あった様々な事件や事故の数々で、ポセイドンフォースがどういった立ち回りをしてきたのか思い出しているのだろう。そうして思い返してみても、ポセイドンフォースのメンバーが前線に出て厳しい局面で戦いに赴いた事は無いように思えた。
「いざという時に、パニックに陥ることもあり得る。まあ、ポセイドンフォースの手を借りずとも、解決してしまえば良いのだがな」
アポロンVIは不遜に笑うと、ちらりと副官を振り返った。
「……最も重症であるヴァンガードメンバーの治療状況ですが、まずまず、と言ったところです。特効薬はいまだ見つからず、何とか対処療法で体力を持たせている、と言ったところ」
神話還りの力を使って作られた「架空の疫病」に対抗するにはやはり、神話還りの力を使って作られた「架空の特効薬」が必要。神話対神話の戦いは、後方でも起きている。目下、薬に縁のある神話還り達を集めて全力で事に当たっているところだ。
「そちらが解決するまで時間を稼げ、か」
「犯人がトチ狂って疫病を致死レベルまで一気に強化したら目も当てられませんからね。……いい感じに苦戦しているフリしてくださいよ」
「……可愛い可愛い弟を苦しめている犯人相手に手加減とは……今すぐ縊り殺したいところだが」
「ダメですって。死者も出ていない上に、有力な神話還りのヴィランはなるべく処刑するなと英雄庁からお達しが出ているでしょう」
「手が滑ることもあるやもしれん」
「ありません。アポロンVIは失敗しませんから」
はあ、と副官がこれ見よがしにため息をつく。弟のことになると途端に公私混同やりたい放題やらかしてくれるのがこの上司だ。しっかり釘を刺しておかないと、本当に「うっかり」をやりかねない。長い付き合いの間に、何回か「おお、うっかり手が滑ったぞ」と棒読みのセリフを聞かされている副官は苦い顔をした。
作戦開始時刻を告げるアラーム音が二人の端末から鳴る。それまでの弛緩した雰囲気は一気に霧散し、アポロンVIは副官に片手をあげた。
「いってくる」
「ご武運を」
敬礼する副官を置いて、アポロンVIはアポロンフォース屋上より飛び立っていった。
ポセイドン区砂浜にて、犯人の男と対峙するアポロンVIを見ながら、ネーレイスは預かった神器を握りしめていた。ネーレイスはポセイドンIIの副官一名とともに、物陰に隠れている。さらに海中には砂浜全体をカバーできるように、等間隔に八名ほど隠れ潜み、さらにネーレイスと反対側の岩陰にも二人。
万が一、犯人が暴走して「疫病の霧」をまき散らし始めた時に対応するためだ。戦闘要員ではない、とポセイドンIIから全員に直接言い渡されているが――それでも、目の前で起きている一方的な暴力を見ていると、自然と待機メンバーにも緊張が走る。
月桂冠を頭上に浮かせた囚人服の男が、アポロンVIに肉薄して蹴りを入れる。アポロンVIの小柄な体は砂浜の上を何回かバウンドし、吹き飛んでいった。
「ア、アポロンVIが……!」
「しっ! あの方があの程度でやられるわけがありませんわ。……手加減、が存外にお上手なことで」
ネーレイスの目から見ても、アポロンVIの動きは明らかに鈍い。打つべきところで弓を下ろしたり、避けるべき攻撃を避けなかったり。明らかに「手加減している」というのがわかる動きであるのに、犯人は全く気付かないようだった。アポロンVIを甚振ることにずいぶんと夢中になっているらしい。
目を血走らせて、蹲ったアポロンVIに追撃を入れる。もちろん、アポロンVIも適度に反撃をしていた。
「うわっ!」
ネーレイス達が隠れている物陰の、すぐそばにアポロンVIの放った光線が着弾し、砂が舞い上がった。思わず、副官は身を竦めた。
「まだかしら……!」
対するネーレイスは、二人の動きを必死に目で追いながら通信用のイヤホンに耳を傾ける。ヴァンガード救助完了、のその一報を今か今かと待ち続ける。
ふと、隣からの視線を感じてネーレイスはちらりと副官を流し見た。まじまじと自分の顔を見られていると気づいて、居心地悪く感じる。
「……次のポセイドンIIがわたくしで、落胆したかしら」
「い、いえ……」
唐突な問いかけに、副官は目をさ迷わせて俯いた。
この場においてもまるで動じないネーレイスの事、それから執務室での一件。すでに、個人としてはネーレイスのことをほぼ認めている。それでも、神器を使いこなすその姿を見たことがない副官にとっては、その問いに即答はできなかった。
ネーレイスは犯人とアポロンVIから視線を外さないまま、ひとつ、ため息をつき、唇を尖らせた。
「まあ、わかっていますわ。ネットの記事にもニュースのコメントにも、そういった論調があることは確かですし。ポセイドンフォース内でも、大した実力もない人間が神器に認められたのは何かの間違いじゃないか、お父様が極秘裏に何か手を回したんじゃないかって、うわさになってるの知ってますもの」
ネーレイスは静かに続ける。
「目の前の犯人だって、エウブレナ……ハデスIVやアレス零良い感情を持っていない、良い例ですわ」
「っ! そ、そのようなことは……!」
「でも!」
ネーレイスの強い声に、副官は口を噤んだ。目の前にある少女の華奢な肩が大きく上下した。
「でも、わたくしはそんな声に負ける気はさらさらありませんのよ。お父様の後を……ポセイドンIIの後を立派に継いでみせましょう。神器に認められた人間の宿命も、責任も、全部背負ってみせます」
満る気迫。しかし、その声の中に、震えがあることに副官は気が付いた。神器を掴む手は白く色を無くし、緊張でぶるぶると震えている。ネーレイスの言葉は副官に話しかけているようで――自分自身に、言い聞かせているようでもあった。
何事か、声をかけようと副官が口を開いたその時。アポロンVIが再度大きく吹き飛ばされた。今度はわずかに身を起こしたものの、頭からは血が流れ出ており、犯人に頭を踏みつけられて砂浜に沈み込む。
思わず、人造神器に手をかけた副官をネーレイスが制した。隠れているポセイドンフォースのメンバーにも聞こえるように通信回線をオープンにして、ネーレイスが「待機」の命令を出す。
「しっ、しかし!」
「まだですわ! あれしきのことで、アポロンVI様が本当に負けるわけがないでしょう」
それに、と小さくネーレイスが呟く。
「わたくし達の役目はアポロンVIを助けることではありませんわ。犯人が暴走したときに、疫病の霧を食い止め、ポセイドン区を守り抜くこと。それがわたくし達の役目でしてよ。作戦要項をお忘れになって?」
「……っ!」
「みなさん、落ち着いてください。アポロンVIは例えどんな大怪我を負っても、ヴィランに食らいついていく、そういう方でありましょう。この程度で負けるわけがありませんわ」
口元のマイクを抑えて、ネーレイスが囁く。
――アポロンVIが危惧したとおり、であった。浮足立っているのはポセイドンフォースのメンバーばかりで、ネーレイスは落ち着き払っている。能力こそ未熟であれど、潜ってきた修羅場はその辺のヒーロー達とは数が違う。ゆえに、このような状況下であれども……いや、むしろ、このような状況下だからこそ、ネーレイスはより一層冷静だった。自分がするべきことは何か。ネーレイスはまっすぐに、ただ犯人だけを睨みつける。
しかし。ネーレイスに足りないものがあるとすれば、それはやはり周りの人間を引き付けるカリスマ性、だろうか。いくらネーレイスが待機を命じたとしても、落ち着くように言葉を掛けたとしても、すでに極度の緊張状態にある人間の耳には届かない。
アポロンVIの小柄な体が、犯人の男によって片手で宙に持ち上げられる。苦しそうに口を喘ぎながら、アポロンVIは首を絞める男の手を外そうと藻掻いていた。が、力を失った手足がだらりと垂れる。
その光景が、ついにポセイドンフォースメンバーの我慢と……恐怖心を、超えてしまった。
「っ! しまった!」
ネーレイスが思わず叫ぶ。海に潜んでいたメンバーが、犯人の男に飛び掛かっていった。一人飛び出せば、後も雪崩の様に続く。
「なんだあ、クソザコ共が!」
もちろん、対するヴィランは次期アポロンVIとも噂された男。襲い掛かるポセイドンフォースのメンバーを容易く足蹴にすると、息の根を止めようと光の矢を宙に浮かべた。
「待ちなさい! あなたの相手はこのわたくし……新ポセイドンIIよ!」
「アァ? ……しん、ポセイドンII……?」
男はぐるり、と首を巡らせてネーレイスを認めた。その瞬間、弱者を甚振る愉悦に染まっていた顔が憤怒の表情へと変化する。目の前の、自分より若い女は間違いなくポセイドンIIの神器――トライデントを構えていた。それだけで、男の脳内は怒りで真っ赤に染まる。もう何も他のことが考えられないぐらいに。
足蹴にしていたポセイドンフォースのメンバーを無視して、男はネーレイスに襲い掛かった。その素早さに目を見開きつつも、トライデントを構えて男を押し返す。
ネーレイスとヴィランの戦いは――互角、ではなかった。
「くっ……!」
「よえええ!!!! おまえ、ホントにポセイドンIIかよ! なあ!」
確かにネーレイスは神器に選ばれた。しかし、通常の業務では常に人造神器を使っているし、何より、神器自体を使うのもまだ数回目である。トライデントのその力は膨大で、父親である現ポセイドンIIをもってして「制御できぬ神器は危険である」と言わしめた存在である。ネーレイスにも、神器を振るう加減、というものがわからなかった。
もし、これ以上の力を入れて暴発してしまったら……? その考えが、どうしても頭の隅にこびりついて離れない。
「きゃぁっ!」
「可愛らしい御悲鳴なことで!」
男の多段攻撃に、思わず押されてネーレイスは弾き飛ばされた。その隙間を縫って、男がポセイドンフォースのメンバーに止めを刺そうとする――が、ネーレイスがすぐに水のバリアを張って間に入った。
「指一本、触れさせません!」
「ハッ! そんなボロボロな状態で、何を偉そうに!」
男の言葉どおり、ネーレイスは何度も打ち倒され、吹き飛ばされ、あっという間に傷だらけになってしまった。それでも、何度でも立ち上がり、男に食らいつく。メンバーに攻撃が向かわないように、水流を操ってバリアを張る。
男は気づかなかったであろう、ネーレイスがどれだけの技量でこの場を支配しているか、ということに。敵の様子だけではなく、倒れているメンバーの状況や、自分の立ち位置、そして背後に控えるポセイドン区の位置取りすらすべて把握して、それらが射線上に入らないように、完璧に支配していた。
アレイシアやエウブレナのフォローとして、戦場全体を見渡してきた経験が、ここで活きたのだ。
「いい加減、死んじまえよ!」
「っ、カハッ……!」
男の重い蹴りを腹部にくらったネーレイスは、胃からせり上がって来た物をぶちまけた。自宅で両親と食べた、ビーフシチューだった。
「弱い弱い、女の柔らけェ腹! ハハハッ! そんな体たらくでポセイドンIIゥ? 神器が泣いてんじゃねーのか!?」
プッ、とネーレイスは唾を吐き捨てて口元をぬぐった。トライデントを支えにしながら、ふらつく足を叱咤して立ち上がる。
「神器は泣いてなんかいませんわ。……むしろ、これから泣くのはあなたの方でしてよ?」
「は?」
「わたくしの、勝ち、ですわ」
何を、と男が言うよりも早く、男の両足に光の矢が生えた。
「は、あ、あああぁぁっ!?!?」
両足に走った激痛に男はたまらず膝をついて叫ぶ。その向こうにはうるさそうに鼻血を黒のグローブで拭うアポロンVIがいた。
「ったく、手加減などという器用な真似を私に求めないで欲しいものだ」
『いや~お兄ちゃんの手加減、すごいなー見たかったなー』
「おお、そうか! では後で戦いの記録を自宅で上映――」
『あーはいはい、xxxxなxxxxどもは黙ってろ!』
イヤホンに届く、騒がしい声。ネーレイスは自然と口角を上げた。時間稼ぎは、終わったのだ。
『ネーさん! 心配かけてごめんね! もう大丈夫だよ!』
『ネーレイス! こちらはもう大丈夫だから……やってしまいなさい!』
「ふふっ、わかりましたよ、アレイシア、エウブレナ!」
神話同士の対決は、総力を結集した特効薬に軍配が上がった。幻想の疫病は、幻想の特効薬でもって世界から抹消された。もう二度とその姿をこの世に現すことはないだろう。
「さあ、もうあなたに勝ち目はありません!」
「大人しく、裁きを受けろ!」
ネーレイスとアポロンVIに挟まれ、神器を向けられた男はぎろり、とアポロンVIを睨む。
「クソ、クソクソクソクソ!! 俺の力は、こんなもんじゃ、ねェーーーっ!!!」
その叫びとともに、男の体から黒い霧が大量に放出される。懸念していた、「疫病の霧」に間違いなかった。その濃さと多さに、思わず全員が目を見開く。
「くっ……男は私が取り押さえる! ポセイドンフォースは作戦予定どおり対処にあたれ!」
アポロンVIの言葉に弾かれたように、ポセイドンフォースのメンバーが一斉に人造神器を使って空中に漂う霧へと攻撃を仕掛けた。しかし、進行を遅らせるのが精一杯で、ポセイドン区に到達するのも時間の問題であった。
男に拘束具を嵌めたアポロンVIは、トライデントを握りしめるネーレイスに視線を向ける。
「……できるか?」
「わ、わたくし……ここまで、大規模なものは想定していなくて……っ! おそらく、最大火力が必要なのですけど、どこまで影響が出るのか……!」
ネーレイスは首を振りながら、声を震わせてアポロンVIに応えた。しかし、その言葉を聞いたアポロンVIはにやりと笑う。男を砂浜に転がすと、ネーレイスへと歩み寄った。
「いいではないか、全力で吹き飛ばせ」
「……えっ!?」
驚くネーレイスとは対照的にアポロンVIは面白そうに肩を震わせて笑っていた。
「昔、私が初めてアポロン・バスター・メギストスを撃った時。その時は、ポセイドンIIにサポートをしてもらった」
「お父様が……」
「『何も気にするな、後はワシが引き受ける、お前はただ全力で、神器を振るえばよい』とな。……今でも、一字一句違わずに覚えているぞ」
昔を懐かしむように語ったアポロンVIはネーレイスの肩をポン、と叩いた。ただ、それだけの仕草に、ネーレイスはじわりと体の奥から熱量が湧き上がってくるのを感じる。
「私だって、何も最初から神器を完璧に使いこなせていたわけではない。ネーレイス、これはチャンスだ」
「チャンス……」
「ああ。我々のように、一撃が重い神器の持ち主はそう簡単に訓練することもできない。これは、自分自身の全力を計れるまたとないタイミングだぞ?」
にこやかに、それでいてどこか楽しそうな笑みを浮かべたアポロンVIの顔をネーレイスは見上げ――力強く頷いた。
手にした神器を前に構え、その力を引きずり出し、自分の神力を注ぐように、周囲のこともすべて忘れてトライデントにだけ向き合う。
「……後は任せましてよ、アポロンVI!」
「ああ、ネーレイス……いや、ポセイドンII、その力を見せてみろ!!」
アポロンVIの言葉に押されるように、ポセイドンIIは神器の全力を解放した。そこから迸るは、全てを飲み込んで押し流す、大海の大波。空を覆いつくさんばかりに生み出された大量の激流を、ポセイドンフォースのメンバーは人造神器を使うことすら忘れて見上げていた。
「おい! カメラ! 寄らせろ!!」
ポセイドン区にある某テレビ局内スタジオ。音声が放送に乗ってしまうのもかまわず、ディレクターが叫ぶ。カメラは揺れながらもネーレイスが……ポセイドンIIが生み出した巨大な水塊を映し出す。アナウンサーも興奮を抑えきれずに叫んだ。
「ご覧ください! 宙に浮かぶあの水流を……これは、間違いなくポセイドンIIの仕業でしょう!!」
「今日は、新ポセイドンIIが現地に向かうと発表がありましたが……!」
「ええ、ええ! そうでしょう!! あれが、あれこそが新ポセイドンIIの力です!」
アナウンサーと、スタジオに呼ばれていた有識者も椅子から立ち上がって、目の前の映像に食い入るように見入る。生放送中なんてことは、頭からすっかり飛んでいた。今、起きている奇跡を、目に焼き付けなければならないと無意識の声が囁く。
スタジオの片隅で記事を制作していた記者も、手を止めてふらふらと立ち上がる。ああ、今、自分は、ディオニソスXIIに続いてまたしてもポセイドンII誕生の瞬間に出会えたのだ、と気づいたその瞬間、胸に迫るものを感じて涙を滲ませた。明日の見出しなんて考えている暇はない、早く号外用の、インパクトがあって、一生額縁に入れて飾っておける見出しを考えなければ。どこの区よりも早く、号外を刷ってポセイドン区にばらまかなければ!
映像は、ポセイドンフォースの作戦室にも届けられていた。
「あれが……新ポセイドンII……神器の、力……」
誰ともなく、呟く。
ポセイドンIIが前線を退いて。それだけでなく、最大出力の攻撃を封印するようになって何年が経ったことか。古参の人間は、大昔に振るわれたポセイドンIIの力を記憶の底から呼び戻し、新参の人間は目の前で振るわれるポセイドンIIの力を記憶に刻み。
それぞれが、その圧倒的な力の前に心を震わせる。
「ネーレイスよ……大きく、なったな」
ポセイドンIIの静かな呟きは、誰の耳にも入らなかった。
「いっけえええええ!!!」
ポセイドンIIの掛け声とともに、水は渦を巻き、じわりと広がっていた疫病の黒い霧をすべて軽々と飲み込んだ。そのまま、轟音とともに海上へと流れ、海面へと落下。大量の水しぶきを上げながら、人々を苦しめた黒き霧は海へと還っていった。
肩で息をつきながらも、ポセイドンIIはトライデントを砂浜に突き刺し、仁王立ちをする。
「わたくしが……私こそがッ! 新たなるポセイドンII! すべてを飲み込む海神、ポセイドンII!」
腹の底から響く、魂を震わせる叫び。新たなるゴッドナンバーズの産声であった。
「……ふむ、見事に力を使い切ったな」
大見得を切ったネーレイスがぱたり、と砂浜に倒れたのを見て、アポロンVIが事も無げに言った。近寄って膝をつき、脈を計る。本当に、全ての力を使い果たす勢いで神力を振り絞ったのだろう。
そんなアポロンVIに、遠巻きに見ていたポセイドンフォースの副官が恐る恐る近づいてきた。
「君は、ポセイドンIIの?」
「は、はいっ!」
「すぐに医療班を。命に別状はない、気絶しているだけだ。まあ、神力を使い切っただけだから、そのうち目を覚ますであろう」
アポロンVIはそう言って立ち上がった。ネーレイスに向けていた優しいまなざしを今度は副官へと向ける。
「彼女はまだまだ若い。それでもこれだけの力を持っている。……彼女を支え、育てるのも君たちの仕事だ。精進したまえ」
その言葉を聞いたポセイドンフォースのメンバーは全員が直立不動になり、敬礼をした。
新しいポセイドンIIをトップに、またポセイドンフォースは成長していくだろう。そうアポロンVIに思わせてくれるだけの、目の輝きがそこには存在していた。