車通りが少ない静寂に包まれた住宅街を抜け、ポセイドンフォースのエントランスに車を停める。待機していた下級ヒーローにポセイドンIIは車のキーを渡した。後は彼がいつもの地下駐車場まで車を運んでくれる手はずになっている。他の上級ヒーローや上官達の車も同様だ。一刻を争う事態に、いちいち車を地下駐車場まで止めにいく時間すらもったいない。
ポセイドンフォースはすでに第一種戦闘配備が敷かれ、騒然としていた。そこにネーレイスを連れたポセイドンIIが現れる。周囲の視線は、自然とポセイドンIIに付き従うネーレイスに集まる。どことなく冷たさを帯びた、厳しい視線。
(エウブレナもこんな視線の中で戦ってたのよね……)
ネーレイスは一人、震えた。元々、緊急事態で気が荒立っている面もあり、普段よりもずいぶんとストレートに視線をぶつけられている。
しかし、ネーレイスは視線に負けずに背筋を伸ばして父親の後に続く。エウブレナは立派に結果を出して認められた。幼馴染に、負けるわけにはいかない。ネーレイスは改めて自分も頑張らねば、と闘志を燃やす。
辿り着いた作戦室の中には、おおよそ重鎮メンバーが揃っていた。ポセイドンII直轄の副官に促され、ポセイドンIIがメンバーの前に立つ。まるで、メンバー達の視線からネーレイスをかばうかのようであった。
「今回の会議、ネーレイス……OJ03も勉強を兼ねて同席させる。神器に選ばれし、次代のポセイドンIIだ。いいな?」
もちろん、誰も不平不満は言わない。それでも、場の空気がじわりと嫌な気配を帯びる。
ネーレイスは一つ、深呼吸をすると父親の大きな背中から一歩ずれて前に進んだ。
「ご紹介にあずかりました、OJ03です。若輩者ではありますが、どうぞご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いしましゅ……します」
噛んだ。ネーレイスは少しだけ恥ずかしそうに顔を赤らめたが、深くお辞儀をし、そのあとには胸を張って堂々とした態度でメンバーの視線を迎え打つかのように仁王立ちする。ネーレイスのことを値踏みするかのような視線が痛い。
ポセイドンIIが咳ばらいをして、場の空気を戻す。
「状況は?」
「はっ、こちらに」
副官の男性がテーブル中央の端末に映像を表示した。どうやら、ハデス区の様だ。道端に蹲る人や苦しそうに壁に寄りかかっている人、はたまた道路に倒れこんでいる人まで。
会議室内にどよめきが広がる。映像はハデス区の監視カメラからもたらされたものらしく、副官は端末を操作して映像をいくつか切り替えつつ、説明をする。
「ハデス区において、路上を歩いていた人々が突然倒れ、苦しみ始めたと報告が上がってきたのが約一時間前」
「毒ガスか?」
「いえ。この件については犯人から犯行声明が出ております」
副官が端末を操作する。次に出た映像は、どこかの薄い暗がりで、一人の男が目を血走らせながらカメラに向かって話しかけている映像だった。
その映像を流しながら、犯行声明の要約を副官が説明する。
「犯人はアポロン神の神話還りです。ハデス区に『疫病をもたらす黒い霧』をばらまいたとのこと。犯人曰く、致死性はないそうですが……その件について、裏は取れていません」
「テロの目的は?」
「アポロンVIの身柄引き渡しを要望しています」
「ほう……」
ディスプレイ内で、唾を飛ばす勢いで喋りかける二十代後半の青年。ポセイドンIIは厳しい顔でその映像を見た後に、副官に話の続きを促した。
「犯人の身元は判明しています。顔認識、声紋照合完了、とデメテルフォースから情報共有されました。犯人は二年前に『クーデター』を行ったとして、身柄を拘束され投獄されていました」
「二年前……ああ、アレか」
ポセイドンIIは少しばかり宙に目をさまよわせた後に一人頷いた。副官がポセイドンIIが思い当たったことを改めて説明する。
犯人は二年前までヒーローとしてアポロンフォースに所属していた。かなりの実力者で、次代アポロンVIになりえるかも、と一部で囁かれるほどであった。しかし、ある日、アポロンVIへパンクラチオンを申し込み、大敗する。その時、観客として見守っていた一般市民や事務員を人質にとるという愚行に出て、アポロンVIおよび審判として立ち会ったアフロディテIXに制裁されていたのだ。
パンクラチオンの勝敗は市民の声で決まる。故に、市民を脅したのだろうが――悪手でしかなかった。そのような心持で、アポロンVIになれるわけもない。
「釈放にはまだ遠いのでは?」
「数多くの事件や事故が発生している現在、英雄庁からの推奨方針として……一部ヴィランの刑期を短縮し、更生施設で早々にカリキュラムに励ませるように、と通達されておりまして……」
「それで、脱走したのか!」
各々の部門長と副官のやり取りを聞きながら、ポセイドンIIは思わずこめかみを抑えた。仕事を減らすための方策で仕事を増やしてどうする。
結局、移送中に犯人の青年は脱走。先日のゾンビ騒ぎで警備の手が薄かったハデス区へと侵入し、そのアポロンVIにも匹敵すると言われた神話還りの力を用いて、ハデス区を病魔の渦に沈めたのだ。
「狙いはアポロンVIの身柄……というよりも神器であるか」
「そう推測されています。アポロン神の神器に並々ならぬ執着心を持っているようです」
「……そう簡単にほいほい渡せられるものか。神器は神の遺物。人の手には余る代物だ」
ポセイドンIIの重い言葉に、作戦室の雰囲気が暗く沈み込む。
黙って見ているだけのネーレイスも、思わず突き刺さるような緊張感に鳥肌を粟立たせた。
「英雄庁と他フォースの動きは?」
「犯人を刺激しないように、と英雄庁から通達が出ているため、どこのフォースも概ねハデス区の病人を受け入れる態勢を整えているようです。我がフォースも、それに準じて医療面でのハデス区民受け入れを進めています」
「うむ。肝心のアポロンフォースは?」
「アポロンVI自身が犯人との対峙に動くと声明を出しています。現在は無関係な市民を巻き込むべきではない、と犯人を説得中ですが……犯人は難色を示しており、交渉は難航しているようです」
ふむ、とポセイドンIIは髭を撫でた。
「ハデスフォースは? どうなっている?」
「残念ながらほぼ麻痺状態です。ハデスIVとも連絡がつかないようで」
その副官の報告に、ネーレイスはどきりと心臓を跳ねさせた。やはり、ヴァンガード本部も病魔に侵されてしまったのだろう。エウブレナは元より、神話還りでもないゾエルやハルディスは大丈夫なのだろうか。
一瞬、意識がそちらへ持っていかれそうになってネーレイスは慌てて唇を噛んだ。今は、友人や仲間のことよりも、ポセイドンフォースの事を。会議に集中しなければならない。
「仕方あるまい、ハデスフォースは先日のアレで設備もやられたばかりだ。トップも変わったばかりであるからな……ハデスIVと言えば、ヴァンガードの方は?」
「そちらも音信不通となっています」
「そうか……状況はわかった。我がフォースも英雄庁の方針従い、まずは医療体制の臨時拡充を。そちらは進めているのであったな?」
ポセイドンIIの問いに、担当部門長が軽く進捗状況を報告した。問題なく進んでいるようで、ポセイドンIIは鷹揚に頷く。
「戦闘配備している人員を医療部門に回して良いだろう。それから、対毒ガステロ装備も全て引っ張り出してこい、マニュアルもな……念のためだ」
果たして神話上の「疫病」に毒ガス対策がどこまで通用するのかはわからないが、とポセイドンIIは続けた。
ただの毒ガスや、疫病のウイルス散布であれば、まだ対策はできた。しかし、今回は神話還りの力を使った「空想上の疫病」である。防疫はおろか、治療もどこまで対応できるか全くの未知数であった。
死者が確認されていない、という点だけがまだ一つの救いだろう。ポセイドンIIは大きくため息をついた後、会議をクローズした。
執務室へ移動するポセイドンIIと副官の後を、ネーレイスは追いかけていた。二人は今後の展望や新たに入ってきた情報の整理、関係各所からの報告を歩きながら処理している。
(わたくしに、あのような事ができるのかしら……)
二人の歩みは早いものではない。それでも、ネーレイスはどことなく気後れしていて、二、三歩あとをついていくのが限界だった。
「ネーレイス」
「はっ、はい! なんでしょうお父様……いえ、ポセイドンII」
呼び方を変えたネーレイスに副官から冷たい視線が刺さる。その視線に負けぬように、ネーレイスはまっすぐにポセイドンIIを見返した。
「先ほどの会議、何か気になる点はあったか?」
「え、ええと……その、犯人はなぜハデス区を狙ったのでしょう?」
ネーレイスの言葉に、副官が呆れたようなため息をつく。ポセイドンIIはその副官の態度を諫めこそしなかったが、気まずそうに咳ばらいをした。ネーレイスは自分が程度の低い質問をしてしまった、と気づいて顔を赤くした。
「会議中にも言及がありましたが」
と副官がわざわざ前置きをして、ネーレイスの疑問に回答する。
「ハデス区の警備が薄かったからでしょう。犯人は移送中に脱走したばかりで、今回のテロは計画的なものではなく突発的なものと推測されます。事前準備もなく、行く当てもなく彷徨っていたところに、たまたま『パトロールしているヒーローの数が異様に少ないハデス区』に気が付いた」
「そうだな。犯人は元アポロンフォースの人間。であれば、パトロールの頻度やコース、遭遇するヒーロー達の人数から、フォースがどういった状況にあるかを推測することも容易であっただろう」
「な、なるほどですわ……」
二人に解説をされてネーレイスは思わず首を竦めて目を泳がせた。ポセイドンIIが心配そうにしつつも、ネーレイスの成長のため、と心を鬼にして逆に質問を投げかける。
「逆に、お前は犯人の動機を何だと推測した?」
「わ、わたくしですか?」
「ああ。……まさか、会議の情報を聞いていただけで、何も考えてないというわけもあるまい」
……ポセイドンIIとしては、どうにか、ここでネーレイスからしっかりした回答を引き出したかった。もし、何も考えていませんでした、などと言われたら、副官の視線がますます痛くなる。頼むぞ、と思い悩んだ顔のネーレイスを見ながら心の中でひっそりと応援する。
「わたくしは……エウブレナ……ハデスIVのことを、妬んだのかと」
「妬んだ?」
思わぬ回答に、副官が反射的に聞き返す。ネーレイスは頭の中の考えをまとめるかのように顎に手を当て、視線を宙に浮かせていた。
「ええ。先ほど聞きましたように、犯人は『脱走したばかり』『事前計画なし』で犯行に及んだのでしょう? でしたら、もっと感情に由来した衝動的なものではないかと思いまして……。アポロンVI様の神器を狙っているのも、二年前から変わらず、ということでしたよね?」
「え、あ、は、はい、そうですが……」
ネーレイスに尋ねられた副官は驚いた様にどもりながら、答えた。ネーレイスはその様子に気にすることなく、自分の推測を語り続ける。
妬み。そう、ネーレイスも、一時は自分より前を行くエウブレナやアレイシアに抱いたこともある感情。何より、自分こそがポセイドンIIの娘であり、次代ポセイドンIIである、と信じて虚勢を張っていたあの頃。犯人に同情する気持ちこそ無けれども、その「気持ち」は理解できる。
「アポロンVI様の神器を執拗に狙っているのは、自分がアポロンVIになりたいから。その思いに埋め尽くされた犯人が、脱走して初めて目にするのが『自分より若いハデスIVの姿』でしたら……衝動的に、すべてぶち壊したくなるのではありませんこと? 悪事に手を染めてまで欲した神器、ゴッドナンバーズという栄冠を、ただの少女が手にしたと知れば……」
「一理あるな」
語られた推測の最後を、ポセイドンIIの言葉が断ち切った。
廊下で立ったまま話すことでもないだろう、とポセイドンIIに促されて、執務室に入室する。執務デスクの席についたポセイドンIIは立ったままの副官とネーレイスの二人を見上げた。
ポセイドンIIはまず、副官に今のネーレイスの推測について尋ねた。
「は……今の推測は、おおむね正しいと思われます」
「理由は?」
「犯人の見せたアポロンVIへの異様な執着心。それから衝動的な犯行。……牢屋生活の中、ろくに情報を得てなかった犯人が突発的にテロを行うとすれば、観察が必要な警備の薄さを狙ったというよりも、感情に動かされた無計画なテロ、という方が納得がいきます」
「ふむ」
副官の言葉に満足そうにうなずいたポセイドンIIは一言「検討の余地は十分にある。参考意見として俎上にあげろ」と副官に指示した。副官は短くはっ! と答えてすぐに端末を操作し始めた。