海神セレンディピティ - 2/6

 ポセイドンフォース地下駐車場。定時を過ぎ、退勤するために降りてきたポセイドンIIを取り囲んだのは無数の記者だった。次々にマイクやカメラを向ける見知った顔に辟易としつつもポセイドンIIは人込みをかき分けて歩みを進める。
 先日、ポセイドンIIは自身の引退と、新たなるポセイドンIIとしてOJ03――ネーレイス、自身の娘を指名した。もちろん、ネーレイスが神器に認められていることも同時に公表済みだ。
 だとしても、一部の口さがない人間の間では「ポセイドンIIが娘可愛さに神器を譲ったのでは?」「継承のやり方を知っていて勝手に継承したのでは?」と噂が絶えずにいた。
 また、ネーレイスの活躍のほとんどがポセイドンフォースではなく、ヴァンガードとしてのものであることも足枷になっていた。ポセイドンフォースとして活躍していれば、市民の覚えもめでたく、世論もネーレイスのポセイドンII就任を心から歓迎したのだろうが……実際は、新設されたばかりのポッと出の部署から。それも、ネーレイス自身はポセイドン区にはほぼ駐在していない。
 どの区においても、自分たちの区が戴くゴッドナンバーズに誇りを抱くのは当然であるこのオリュンポリスで、市民からの尊敬を得られない新たなゴッドナンバーズ、という存在は褒められたものではなかった。

(厳しい船出になるな、ネーレイスよ……)

 ふう、とため息をついたポセイドンIIは歩みを止めた。頭一つ分小さい、記者たちを見渡すと口を開く。

「貴君らの質問すべてに答えることはできぬが……少しばかり、長い話でもしよう」

そう言ってポセイドンIIは地下駐車場の車止めにどっかりと座った。突然の行動に驚く記者たちに、貴君らも座ったらどうだ、と声をかける。
 それを皮切りに、記者はアスファルトの上に座り、カメラマンたちは後ろへと。囲み取材、というよりも、校長先生のお話を聞く学生、とでもいうべき光景が出来上がったところで、一つ、長い白髭を撫でポセイドンIIが口を開いた。

「もはや周知の事実ではあるが、再度明言しておこう。まず、神器の覚醒条件や継承条件はワシにはわからん。他の神の神器によっては、条件が明確になっているものもある。しかし、ワシのこのトライデント――ポセイドンの神器については、一切不明だ。それはいいな?」

 英雄庁のみならず、世間一般的に知れ渡っている事実だ。何も隠すこともない、ただの事実。それでも人は、その裏に何かがあるのではないか、と無駄な勘繰りをする。
 記者がそれについて何か質問をしようと口を開くのを手で遮って、ポセイドンIIは話を続ける。

「人が神器を選ぶのではない。神器が人を選ぶのだ。お前たちも、ディオニソスXIIが誕生した瞬間のことを、覚えている人間も多いのではないか?」

ちら、とポセイドンIIの視線を受けたとある中年の記者は、何回も首を振った。
 あの時は、本当に超特大スクープであった。ゼウスIとアポロンVIのパンクラチオン。それだけで翌日の一面記事はおろか、夕方のニュースだってそのパンクラチオンの話だけで尺が取れる。局によっては、特別番組として生放送を組んだところもあったぐらいだ。
 ところが、だ。フタを開けてみれば、何やら無名のヒーローがゼウスIの前に立ちはだかっている。おい、なんだこれは、と特番を組んだディレクターやプロデューサー、アナウンサーが戸惑いを隠さずにいたことを、スタジオの片隅で新聞記事制作していた中年の記者は今でも覚えている。
 確かに熾烈なバトルが繰り広げられたが、市民が求めているもの、マスコミが求めているものはゼウスIとアポロンVIのパンクラチオンだ。くそっ、こんな若造、早く負けちまえよ、と毒づくプロデューサーに内心で同意しつつ、記事の見出しをどうしようかと頭を抱える。

「ディオニソスXIIの誕生は、まさに神器が人を選んだ瞬間だった。英雄庁の保管庫から勝手に飛び出した神器が、彼の手元に舞い降りて――」

ポセイドンIIの言葉に、記者の脳裏に当時の光景が鮮明に蘇ってくる。
 そうだ、記事の見出しに悩んでさっさと負けてくれ! と願った、あの名も知らぬ若者が。天から舞い降りた銀色の杯を手にした瞬間、鮮やかな月桂冠と共にゼウスIへと反撃に――そして、ゼウスIに膝を着かせた。
 中年の記者は、記事を作ることも忘れてその映像に見入っていた。あの場にいた、あの映像を目にしたすべての人間が、肌で理解したのだ。「今ここに、新たなる英雄、ディオニソスXIIが誕生した」ということを。
 今でも、あの時に自身が作った『号外』の記事は額縁に入れて家に飾ってある。

「――新ポセイドンIIはすでに神器に認められている。神器に選ばれた人材であるのだ」

 ディオニソスXIIの鮮烈なデビューのことを引き合いに出して、ネーレイスのことを認めさせようとする。ポセイドンIIらしい、老獪な手腕だった。
 静まり返った記者たちを前に、ポセイドンIIが目を細める。

「と、まあ、それだけの話……ではあるが、それだけだと同じネタばかりで貴君らも仕事の飯に困るのであろう? 少しばかり、ワシの心内を今日は明かそうと思ってな」

その瞬間、ピリッとした空気がポセイドンIIを中心に記者たちの間を走った。メモ用の小型端末、マイク、録音用のボイスレコーダー、アナログなメモ帳……記者たち、カメラマンたちのすべてが、自分の仕事道具を持つ手に力を入れる。

「ゴッドナンバーズという職業は過酷だ。一般ヒーローも過酷ではあるが、それらをまとめるトップとして、やらねばならぬことも多い。そのような過酷な職業に、可愛い娘を就かせたいと思うか?」

 ポセイドンIIは少し目を伏せた後に、中年の記者にぴたり、と視線を合わせて口を開く。

「ハデスIVのように若くして殉職することもある。アポロンVIのように私生活をほぼ犠牲にして市民のために働き続けることにもなる。アテナVIIのように大怪我を負って長期療養に入らねばならぬこともある。……そのような環境に、子供を置きたいと思うか?」

ポセイドンIIの視線を受けていた中年の記者は、ゆるく首を振った。
 ポセイドンIIは集まった記者たちを順に見渡していくが、誰もが口を閉ざし、あるいは首を振る。ポセイドンIIは一つ、大きく息を吐いた。

「……それでも神器は娘を選んだ。そして、娘もそれを受け入れた。もちろん、ワシも自分の娘が選ばれたことは大変誇りに思っておる。正直に言って、自分の後を継いでくれるとは、嬉しい限りだ。……ただ、やはりワシも人の子よ」

遠い目をして、ポセイドンIIが話を続ける。

「できることなら、可愛い一人娘には、一般人と結婚して、戦いとは全く無縁な平和な生活圏で、幸せな家庭を築いて欲しい、と思う気持ちもある。もし、神器を人が完全に制御できるというのなら……果たして、ワシは娘にこのトライデントという戦いの道具を継承したであろうかな?」

 その重い言葉に、記者たちは誰一人言葉を上げなかった。いつもなら、やかましいぐらいに大量の質問を浴びせかけ、取材を断る言葉ですらどうにか引きずり出そうと躍起になっているのに。
 ポセイドンIIはよっこらせ、と車止めから立ち上がった。

「さあ、これで貴君らも記事のネタができたであろう。今日の取材はここまでだ。遅くならないうちに会社に戻って一仕事してきなさい。残業せずにさっさと家に帰るんだぞ。……ワシも、愛する家族が待つ家に帰らせてもらうとしよう」

 少ししゃべり過ぎてしまったな、とポセイドンIIは軽く肩を竦めてから、記者たちを置いて颯爽と去っていった。

 ざっとネット上の記事に目を通したが、まだ夕方に話した内容は記事になっていない様であった。ポセイドンIIは、果たしてあの話がどのように調理されるものやら、とため息をつきつつ、端末をテーブルへと戻した。
 肝心の娘、ネーレイスと言えばなにやら母親とバラエティ番組を見ながら楽しそうにケタケタと笑っていた。その様子に、思わず頬が緩む。
 一時期は周囲ともうまく馴染めず、「ポセイドンIIの娘」ということで変に意地を張ってしまっていたが……ヴァンガードで良き師匠、良き友人に囲まれたようで、今ではすっかり立派なヒーローの顔をするようになった。
 それでも、やはり父親としては、こうして家でくだらないバラエディでも見て笑っていて欲しいのだ。

(まさか、家族がゴッドナンバーズになることについてどうしたらいいか、アポロンVIに相談する日が来るとは思わなんだな……)

 向こうは兄弟で弟ではあったが。育ての親代わりに可愛がってきた弟だ、そんな弟がゴッドナンバーズになったというアポロンVIこそが、ポセイドンIIにとって人生の先達になってしまったのだ。
 まあ、アポロンVIはただ穏やかな笑みで「本人の意思を尊重しましたよ、ええ。……子供の成長は早いものなのです、ポセイドンII」とだけ語ってくれた。実際、その通りなのだろうとネーレイスを見ていても思う。子供の成長は実に早い。
 思わず、ネーレイスが恋人を連れてくる未来が脳裏をよぎってポセイドンIIは慌てて頭を振った。さすがにそれはまだ早い……まだ早い。どのような人間が来るかわからないが、その際には神器を一時的に返してもらって恋人とやらの力量を確かめる必要があるのではないか、と常々考えているポセイドンIIであった。
 そんな、他愛もないことを考えているゆったりとした夜の時間。それを切り裂いたのは、ポセイドンIIのゴッドナンバーズ専用端末だった。緊急時のけたたましいアラームを発したその端末を、ポセイドンIIはすぐに耳に寄せる。すぐに母親はテレビの電源を切り、通話の邪魔にならないようにした。慣れたくもない日常の行動だった。
 母娘が不安そうに見守る中、通話を終えたポセイドンIIは険しい顔をして立ち上がった。

「ハデス区でテロ、だそうだ。すぐにワシも出る」
「まあ! コートを持ってきますわ」

そう言ってバタバタと母親はリビングを去っていく。
 残されたネーレイスは慌てて自分の端末を確認するが、特にヴァンガードから何も連絡は来ていない。連絡用の全体グループに通話をかけてみるが、応答はなかった。
 ヴァンガードの本部はハデス区にある。もしかしたらテロに巻き込まれたのかも、と思い至りネーレイスは顔を青くして立ち上がった。そこへ、ポセイドンIIが声をかける。

「ネーレイス、ヴァンガード本部へ行くのはやめておきなさい」
「っ! なぜですの!」
「……第一報では、ハデス区はほぼ全滅状態にあるそうだ。今行くのは、危険だ」
「!!」

詳細はまだわからんが、とポセイドンIIは重々しく続けた。
 その顔を、キッと見つめ返すネーレイス。思わぬ、娘の一面を見てポセイドンIIは少しばかり驚いた。

「ですが、ヴァンガードの無事を確認するぐらいは良いでしょう。連絡もつかぬ今、アレス零やハデスIVの安否を確認することも大切な任務だと思いましてよ」
「……言うようになったな、ネーレイス……。しかし、だ」

 ネーレイスの成長を喜びつつも、ポセイドンIIは声を引き締める。

「ネーレイス、お前はポセイドン神の神器に選ばれた、次代のポセイドンIIだ。であれば、気にするべきはポセイドン区であり、ポセイドンフォースではないか?」
「そ、それは……」
「そもそも、正式な所属はポセイドンフォースのままだ。ヴァンガードには、あくまでも『教育預かり』という形でしかない」
「そう、ですけれど……」

 ポセイドン神の神器に認められた者でありながら、ゴッドナンバーズでもなく、かといってポセイドンフォースは書面上の所属でしかなく、そして入り浸っているもののあくまでも「一時預かり」としてお邪魔になっているだけのヴァンガード。ネーレイスの立場は、本人が思う以上に複雑で――不安定な、砂上の楼閣であった。

「それに、やはりお前にはまだそのような危険な前線に自ら出て行って欲しくはないのだよ、ネーレイス。いつも、お前が事件に巻き込まれたと聞くたびに何度ワシ達が肝を冷やしたことか……」
「お父様……」

 困ったように、眉を下げて優しく諭すポセイドンII。その言葉に、ネーレイスは俯いてしまった。友の安全も気になるが、親に心配もかけたくない。
 そこにバタバタと上着を持った母親が戻ってきた。父娘の深刻そうな雰囲気を気にせずに、両手にポセイドンIIのコートと、ネーレイスのコート、二人分を抱えて。

「はい、あなたの分。それからこっちはネーレイスの分……あなたも行くのでしょう?」

思わず、ポセイドンIIはネーレイスと顔を見合わせる。母親は二人にコートを渡すと、おっとりとしたしぐさで頬に手を当てた。

「二人とも、気を付けていってらっしゃい。ポセイドンIIの到着を皆さんが待っていますよ」
「……そう、だな」

 ポセイドンIIは髭を撫でるとコートを羽織った。ネーレイスも、慌ててコートを羽織り、ずんずんと玄関に向かう父親の後に続く。

「……お父様、わたくし、ポセイドンフォースに出動します」
「そうか」
「そうしたら、向こうで事態を詳しく教えてくださいませ」

 その言葉に振り返ったポセイドンIIの目には、コートの胸襟をぎゅ、と握りしめて決意を滲ませたネーレイスがいた。そうだ、子供は知らない間に大人になる。

「……ああ」

ふ、と息を吐きだしてポセイドンIIは玄関の扉を開けた。
 外は人気も少なく、みな家で家族団欒を楽しんでいるのだろう。それでも、時折、慌てたように車に乗り込む人影がある。恐らく、ポセイドンII達と同様に緊急招集がかけられたポセイドンフォースのメンバーだ。彼らに遅れないように、二人も車に乗り込む。