海神セレンディピティ - 4/6

「他、何か気づいたことはあるか?」
「他……ですか……」

ポセイドンIIの言葉に、ネーレイスは顔を曇らせた。
 気づいたこと。ネーレイスが、思いついてしまったこと。ひとつだけ、持っている。

「どうした? 何かあるのか? ……今は見習いの立場である。また、緊急事態ゆえに多少の失言も許されよう。柔軟な若い人間の意見を聞きたい」

 俯いてしまったネーレイスを促すかのようにポセイドンIIが優しく声をかける。若い人間の意見を聞きたい、というのも嘘ではない。先ほどのネーレイスの意見は、年嵩の人間で固まってしまったポセイドンフォースの上層部では出てこない意見であった。
 まさか、若者に嫉妬をするという感情があるとは。もはや、ポセイドンフォース全体が他フォースや若いヒーロー達の道しるべとして機能するようになっており、「若者とは導くべき存在」と認識してしまっているポセイドンII達には、到底思いもよらぬ犯人の動機であった。
 それに、ネーレイスから有益な意見を引き出せれば、また一つ、新ポセイドンIIの実績を積み上げることにもなる。そういった細かなポイント稼ぎも、姑息な手段とは言え重要だとポセイドンIIは考えていた。

「あ……あの……」

ポセイドンIIの優しい声に促され、ネーレイスは口を開いた。これから自分が話そうとする内容の重大さと、汚さに眩暈を覚え、喉ひりつく。
 エウブレナとアレイシア。ヴァンガードで出会った、大切な友人たち。二人とも、自分よりも早くゴッドナンバーズの名を受け入れ、そして光の中で正々堂々と立っている。アポロンVIにアフロディテIXだって、曲がった事が大嫌いでいつもまっすぐに前だけを見ている光の主人ともいえる存在。
 そのような人たちに囲まれて、ネーレイスは自分に自信がなくなっていった。親の七光りと言われて、実際そこに胡坐をかいていた時期があったのも事実。ここぞという場面でアレイシアやエウブレナのように真っ直ぐ突き進むことができず、つい、逃げたり隠れたり、遠回りをしたり。人造神器を使って、敵の足止めや目くらましなど、卑怯ともいえるような戦い方を好んだり。
 そんな悩んでいたネーレイスの背中をポン、と叩いたのはヴァンガードの隊長のヴァッカリオだ。そんな真剣に考えるなよ、戦い方なんて人それぞれさ、と何でも無いことのようにアドバイスをしてくれた。そもそも戦えないおいらより前線に出れるネーレイスの方が立派だろう? とも。そう言われてしまうと、ネーレイスはもう何も言えなくなってしまう。

『みんながみんな光だらけじゃ、眩しくてやんなっちまう。おいらは影でひっそりしてりゃいいのさ』
『影、ですの?』
『そうさ、どこだろうが戦えるし生きていける。どんなやり方だって、大切な事を間違えなけりゃなんだってどうにでもなる』
『いい加減ですわね』
『生真面目さっていうのは、お兄ちゃんが全部持っていっちまったからな』

 そう茶化しつつも、兄であるアポロンVIの活躍をヴァンガードのディスプレイで眩しそうに見る後姿は、間違いなくゴッドナンバーズの一人、ディオニソスXIIであった。
 光の中でも、闇の中でも。背負うものも変わらない、目指すべきものも変わらない。これもまた、ネーレイスがヴァンガードで学んだとても大切な考え方だ。
 ネーレイスは真っすぐにポセイドンIIを見つめ返す。迷うな、突き進め。例え、アレイシアとエウブレナと、違う道を進む事になったとしても、きっと二人は許してくれるだろうし、応援してくれるだろう、理解してくれるだろう。同じ物を目指す仲間として。

「……犯人とは、交渉が難航しているのでしたよね?」
「ああ、ハデス区民を疫病から解放するように説得しているが……」
「でしたら」

 ネーレイスは唾を飲み込んだ。今から口に出すのは、悪魔の言葉だ。

「犯人に、ハデス区にあるヴァンガード区画『だけ』を浄化するように頼んではどうでしょう」
「! 区民を見捨てるというのですか!」

副官が即座に怒声を上げる。しかし、ネーレイスはその副官をちらりと一瞥しただけで、冷静に言葉を続けた。

「いいえ、逆です。ヴァンガード区画には、新たに目覚めたアレス零、それからハデスIVがいます。それをそれとなく犯人に伝えてくださいませ。そうすれば……犯人は、むしろ『ヴァンガード以外』を解放してくれるでしょう」
「なっ!?」
「ネーレイス……っ!」

ポセイドンIIと副官が同時に驚いた顔をしてネーレイスを見つめた。それでも、ネーレイスは動じない。

「もちろん、先ほどわたくしがお話しした犯人の犯行動機が推測通りであれば、という前提ですが。……犯人に『裏をかかせる』トラップを仕掛けても良いと思いますの。何しろ、無計画で突発的な犯行を行うような、『キレやすい』人間でありましてよ? それに、自分こそがアポロンVIにふさわしいとずいぶんとプライドが高い模様。でしたら、『アポロンフォースの要望の裏をかかせてやった』と良い気分に浸らせておけばよろしいかと」

一息に話しきったネーレイス。副官は信じられないような顔で少女の横顔を眺めた。到底、子供が思いつくような真っ当な作戦ではない。
 ポセイドンIIは目を閉じ、顔を覆うようにして執務デスクに肘をついた。そのまま、大きく息を吐く。ネーレイス、と名前を呼ぶ声には怒気が乗っている。常に付き従う副官ですら、その威圧感に震え上がるほどだ。

「ヴァンガードを生贄にするつもりか?」
「……ええ。被害の対象を絞ることができれば、打つ手も増えますでしょう。ハデス区全体を覆うほどの疫病をばらまいたとなれば、犯人もかなり神力を消耗していると思いますわ。この後、アポロンVIとの再戦を狙っている犯人もどこかで落としどころを考えているはず。ただ、『アポロンフォースの要望をすべて受け入れる』ことを自分のプライドが許さないだけで――」
「ネーレイス、少し落ち着け」

 とん、とポセイドンIIが机を叩く音が妙に室内に響いた。そのまま執務椅子を半回転させてネーレイスから視線を外す。椅子の軋んだ回転音がネーレイスの声の代わりに音を満たした。ポセイドンIIは咳ばらいをすると、副官に視線を飛ばし「この事も、この後のことも他言無用だ、いいな?」と短く釘を刺す。副官は黙ったまま何度も首を縦に振った。
 ポセイドンIIはネーレイスに視線を向けず、壁を向いたままだ。そのままぽつり、と言葉を漏らす。

「ヴァンガードにはお前の仲間や友がいるだろうに。エウブレナも、いるのだろう?」
「……友だからこそ、ですわ。志を同じくして、ともに轡を並べた仲間。市民を苦しみから解放するためと思えば、どのようなく何でも耐えてくれると信じています」
「お前が嫌われることになっても?」
「まあ!」

 ポセイドンIIの言葉に、ネーレイスは頓狂な声を上げた。そのあと、優雅に微笑む。信じるべきものを信じた、強者の笑みだった。

「そのようなことをする友ではありませんのよ? 私とアレイシア達の友情は……その程度で壊れる、生半可なものではありませんもの」

 ネーレイスの言葉に、震えたのはポセイドンIIの副官だった。新ポセイドンIIが以前問題児としてポセイドンフォースでやり玉に挙げられたOJ03と聞いて、さらにポセイドンIIの娘と聞いて、はっきり言っていけ好かない「人事」であると思っていた。ところが、どうだ、この目の前にいる少女は。
 友情を信じている、と言えば聞こえは良いが、実際は恐るべき人の心を潰すかのような、悪魔のごとき発想。味方であるヒーロー達を生贄にしようというのだ。ただ正義を振りかざすだけのヒーローとは全く異なるやり口であろう。しかし、それでも真っ直ぐに見つめる先には、間違いなく人々の平和と安寧を瞳に映している。
 犯人の感情を掌握し、それでいて手のひらで転がすかのように、必要とあらば味方すらも踏み台にするそのアイデア。それを思いつくことなら凡人にもできるだろう。この新たなポセイドンIIが一線を画するのは、それらを平然と口に出し、そして何も迷いも持たず自らの信念でのみ、全てを飲み込もうというその胆力。
 この少女こそが、自分の上に立つ人間である――副官は否が応でも理解した。自分の目の前にいるのは、間違いなく、新ポセイドンIIであった。

「……斯様な作戦、どこで学んだものやら」

ポセイドンIIが天井を仰ぎ、恨めし気に言葉を漏らす。
 可愛く、純真であった娘が、知らぬ間に大人になっていた。清だけでなく濁すら手中に収めて操ろうとする大海の王者。

「……すべて、ヴァンガードで学びましてよ。偉大なる先達と、友人達に」
「……後で、ゾエル司令に菓子折りでも送るとしよう」

 ポセイドンIIは肩を揺らしていた。笑っている、と副官とネーレイスが気づいたのは、もうしばらく経ってからだった。ポセイドンIIが椅子を前に戻し、もう一度、真剣なまなざしでネーレイスを見つめる。

「最後に確認しよう。お前がこの作戦を提案したのは、『ポセイドンIIとして立場を確立したいから』か? 自己の手柄のためか?」
「いいえ」

ネーレイスは間髪入れずに返事をした。背筋を伸ばし、ポセイドンIIの瞳を射貫く。

「すべては市民を苦難から救うため。ただ、それだけです。……この意見を出したのは、わたくしです。連なる様々な罪も責任も、わたくしが負います」
「そうか。……あい、わかった!」

 ドン、とポセイドンIIが机を叩いて立ち上がる。立ち上るオーラは、その巨体をさらに大きく見せていた。ネーレイスはその威圧感に負けぬよう、必死で両足に力を入れる。
 ポセイドンIIは副官の名前を呼ぶ。新旧、ポセイドンIIのやり取りを横で眺めていただけだった副官は、一拍遅れて返事をした。完全に、ポセイドンII達の空気に飲み込まれていたのだ。

「今の話の内容をまとめよ。まとめ次第、ワシの名前でアポロンフォースへ打診を」
「なっ!」
「ネーレイス! いや、OJ03、君はまだただの一般ヒーローだ。あくまでもポセイドンIIの見習いであり、ワシの管轄下にある。その提案を汲んで、試す価値があると判断したのはトップであるこのワシ」
「し、しかし……」

 狼狽えるネーレイスをポセイドンIIは見降ろし、不器用なウインクを送った。

「そうしないと、現ポセイドンIIの立つ瀬がなくなってしまうだろうよ。ワシもまだまだ、現役でいさせておくれ」
「お父様……!」

 思わず、ネーレイスはお父様、と呼んでしまった。ポセイドンIIの言葉の中に、確かに父親の愛情も感じ取ったからだ。

「さあ、アポロンフォースが諾とするか否とするかは未知数だ。しかし、次の一手はこれで動くだろう。本提案が通った場合の我がフォースの行動方針を直ちに検討しようではないか」
「はっ! アポロンフォースへ打診後、直ちに関係部門に通達を出して検討を進めます」
「よろしい、部門長達には迷惑をかけるが再度召集をかけよ!」
「了解しました!」

 副官が敬礼をして執務室を後にする。その頬が少しだけ上気していたことに、二人のポセイドンIIは全く気付かなかった。

「ところで」

 父と娘しかいなくなった執務室で、ポセイドンIIが急に声を潜める。さきほどまでの威厳はすっかり引っ込んで、何やら日曜日に居場所がない父親のようだ。ネーレイスは、すすす、と執務机に寄って内緒話をするかのように顔を寄せる。

「なんですの?」
「……ヴァンガードには確か、アポロンVIが溺愛してやまない弟がいたと記憶しているのだが……」
「あっ!!」

 ……ネーレイスは頭を抱えた。そうだった、ヴァンガードには大切な上司であるゾエルや親友のアレイシアやエウブレナ以外に、一応、頼りになる先達でありながら酒クズであるヴァッカリオがいたのであった。すっかり忘れていた。いや、忘れていなかったが、ヴァッカリオなら、まあ「適当な扱い」をしても大丈夫かと……勝手に……。

「ネーレイス、さきほど責任を負うと言ったからにはアポロンVIのフォローを――」
「お、お、お、お父様! それは! それは無理というものですわ!!」
「大丈夫だ、立派に成長した私の可愛い娘ならできる!」
「成長してもできることとできないものがありましゅ!!!!」

 ――などと、新旧ポセイドンIIがアポロンVIの取り扱いを押し付けあっているとは、出て行った副官は露知らず。ポセイドンIIの指示に従って関係各所に通達を出しながら、興奮したように同僚にネーレイスのことを語っていたのであった。次代のポセイドンIIも、傑物であったぞ、と。