巡る今日のその果てに - 6/7

 一月二十八日。午前六時三十分。
 けたたましい目覚ましの音とともに、パンテレイモンは目覚めた。七回目の朝を、迎えた。そして、恐らくこれが最後のループになるだろう。
 
(ついに、ループの発生源を見つけた……!)

 ようやく。ようやく、長い一月二十八日が終わりを告げようとしている。
 パンテレイモンは洗面台で顔を洗うと、鏡の中の自分と目を合わせた。同じ日を繰り返しているはずなのに、その目の下には隈ができ、心なしかやつれたようにも見える。
 ヴァンガードは……ゾエルとヴァッカリオは、もうダメだ。頼りにはならない。英雄庁への口利きもできないだろう。後、使える戦力はエリュシオンホールディングスのみだが……残念ながら、情報面では役に立ったとしても、アクションを起こすには難しかった。綜合警備保障会社も運営しているから、そちらに口利きをすることも考えたが、それより、自分が走った方が早い。
 
(一人の戦いには、慣れている。そうだろう、プロメテウス)

鏡の中の自分にそう語り掛けると、プロメテウスは頭を振って、髪から滴る水を飛ばした。
 私服に着替えて、アレイシアの様子を見にランニングコースを逆走していく。しかし、アレイシアの自宅まで行っても、彼女に会うことはなかった。薄々、覚悟はしていたが……アレイシアが一人暮らしをしているはずのアパートの一室には、「空室アリ」の張り紙が貼ってあるだけだった。
 震える手で端末を取り出し、オーナーにバイトを休むと連絡をする。『いつも』と変りないネチネチとした嫌味が、今はむしろプロメテウスの心に冷静さを取り戻してくれた。
 ヴァッカリオに連絡はせず、直接、ヴァンガード本部へと足を向ける。閉ざされた扉に訪問のチャイムを鳴らせば、朝っぱらから酒臭いヴァッカリオが面倒くさそうな態度を隠しもせずに、対応に出てきた。
 
「なんだよ、こんな朝早くから……」
「聞きたいことがある。お前は……アレイシア、という少女を知っているか?」
「はあ? あれいしあ? 知らないよ、そんな女の子……なに、店長のイイ人?」

へらへらと笑うヴァッカリオのふざけた態度に、怒りよりも先に、絶望が襲う。続いて、もう一つ。

「では、お前の兄であるアポロンVIは?」
「兄ィ? おいら一人っ子だよ、兄なんていないって……あれ、店長知らなかったっけ?」
「……知らなかったよ、お前が一人っ子だとは、な」

 ふうん、とプロメテウスの言葉を聞き流したヴァッカリオだったが、踵を返したプロメテウスの腕を掴む。

「! 何をする、離せ!」
「いや、アンタ、様子がちょっとおかしいよね。意味不明なことを口走って……なんかヤバい薬でもやってんじゃない? やめてくれよな、おいらの仕事増やすの……罪人のクセに。大人しくアルバイトに勤しんでろよ」

舌打ちをして、プロメテウスはヴァッカリオの手を振り払おうとするが、その抵抗で余計に怪しんだヴァッカリオに引き倒された。
 今や、この世界がどうやって辻褄を合わせているのかはわからないが、ヴァッカリオがプロメテウスの監視役であるという『設定』は生きているようだった。それが今は煩わしい。
 地面にうつ伏せ状態でヴァッカリオに馬乗りになられたプロメテウスは、どうにか抜け出そうともがくが、ヴァッカリオの馬鹿力の前になすすべもなかった。
 
「なんで今、逃げようとした?」
「逃げようとしたわけではない、やるべきことがあるから、立ち去ろうとしただけだ」
「なに、やるべきことって。……回答次第では、執行猶予取り消しになるよ?」

脅すようなヴァッカリオの言葉に、プロメテウスは一つ、息を吐いた。

「……世界から、はじき出されたアレイシアを助けに行く」
「は?」
「今ならまだ間に合うはずだ。ループの発生源を……特異点を見つけた。恐らく、そこが一番、空間の歪が強く出ている。ループが発生するタイミングにうまく干渉できれば、世界の外にいるアレイシアを内側へ引っ張り戻せる」
「え、なに言ってくれてんの、ちょっと、本当に頭がおかしくなった? 気でも狂ったか?」

 ヴァッカリオは、引き攣った声でプロメテウスの様子を伺った。ぶつぶつ、と何かを呟くその姿は、到底、正気の人間とは思えない。参った、と上司であるゾエルに連絡を取ろうと、ポーチから通信端末を取り出す。
 その時、ヴァッカリオの手帳が端末のストラップに引っ掛かってポーチから地面に零れ落ちた。衝撃で、手帳から何枚か写真がひらりと地面に舞い落ちる。
 
「げ、最悪……あれ、この写真……?」

毒づきながら、写真に手を伸ばしたヴァッカリオは、目を瞬かせた。
 その一枚は、ヴァンガードの全員で撮った記念写真だ。中央に司令であるゾエルがいて、隊長であるヴァッカリオ、それから部下のエウブレナとネーレイス、バックアップメンバーのコリーヌとハルディス。これで、ヴァンガード隊のメンバーは全員なはず。しかし、エウブレナと自分の間に空いた、一人分の空間が異様に気になった。何かが、欠けているようにしか見えない。
 妙な胸騒ぎを感じつつ、その写真を手帳に挟み込み、もう一枚、落ちていた写真を手に取った。幼少の自分が一人で写っている写真。なぜか自分は右寄りに写っていて――左側の、開けた空間に恐怖を覚えた。胸騒ぎなどという、生易しいものではない。
 ヴァッカリオの動きを視界の端に収めていたプロメテウスは、黙ってその様子を見ていたが、たまらず、口を開いた。
 
「お前が持っている写真、何か忘れているものがあるんじゃないのか」
「! なぜ、それ、を……」
「『お前は一人っ子ではない』し、『アレイシアという少女が部下』にいるのが、この世界の『あるべき姿』だ」

ヴァッカリオの拘束が緩む。その隙を逃さずに、プロメテウスは背中のヴァッカリオを振り落とすと、立ち上がった。今度は、地面に座りこんで呆然とするヴァッカリオを逆に見下ろす。

「私は行くぞ、ディオニソスXII。お前も、助けたい人がいるなら……手を伸ばせ」

 『昨日』の最後にプロメテウスが見た光景。それは、とある母と娘二人に、トラックが突っ込んでくる映像だった。監視カメラのディスプレイの位置から、室長に渡して順番に表示させたリスト上の個人情報を逆引きする。
 母親はアイオーンの神話還りで、娘二人はホーラの神話還り。ただし、どちらも非常に力は弱く、ヒーローになる基準も満たしていなければ、特別、神話特性で何かを引き起こしたという事もない。純粋に、興味本位の検査で発覚しただけの、ごくごく一般的な市民だ。
 事故現場の映像を思い出しながら、該当の監視カメラの角度等を考慮してプロメテウスは『特異点』を探し回った。昼食も食べるのを忘れ、水を飲む手間すら惜しんでオリュンポリス中を駆けまわる。
 そして、ようやく見つけた時にはすでに、事故発生時刻に近づいていた。あと十分。ギリギリで間に合ったことに、安堵する。
 
(確か、この角度でトラックが……ああ、あの三人が……)

 歩道を歩く母娘を見つけ、プロメテウスはその後ろを追跡した。母親は両手を娘と繋ぎながら、楽しそうに繋いだ手を大きく振って、何やら三人で童謡を歌っているようだった。
 跳ねる心臓を抑えながら、母娘の後ろを歩く。もうすぐ、トラックが突っ込んでくるカーブに、三人が足を踏み入れようとしていた。

 その瞬間、激しい衝突音が、した。
 
 思わず、その音の方向に視線を向けると、自動車とトラックが衝突し、そして、コントロールを失ったトラックが今まさに、車道から歩道へと侵入しようとしていた。
 
「危ないッ!!」

気づいたときには、プロメテウスは走り出していた。ループのことも、特異点のことも、その瞬間にはすべて忘れていて。

迫りくる鉄の塊に、立ちすくんだ母娘を、全力で突き飛ばす。プロメテウスの目の前で、突き飛ばした母親に引きずられるように、二人の娘も、地面に倒れ込んでいった。母親は、娘と繋いだ手を離さなかった。
 次の瞬間、プロメテウスの体はトラックの前面に引っ掛かり、そのまま引きずられ、そしてビルの壁面にぶつけられた。全身の骨が嫌な音を立て、咄嗟に頭を庇った両腕が原型を留めずに引きちぎられていく。内臓、もいくつか破裂したのか、本人の意思に反して口から血液が大量にあふれ出た。
 
(これ、は、死ぬ、な)

 プロメテウスが神ではなく、本当にただの人間であったら、即死だっただろう。神の力を失ったとは言え、神話還りの様に普通の人間よりかは頑強な肉体のおかげで、まだ命の炎は消えてなかった。
 そして、プロメテウスは一人、血を吐いたままニヤリと笑う。このループする世界の『特異点』の中心に、見事に辿り着いた。当初より、それが目的だったのだ。泥を被ろうと、たとえ自分が生贄になろうと、アレイシアを救えれば、それで良い。

「お前、何してんだよ!!」

怒声の主は、ヴァッカリオだった。監視対象であるプロメテウスに着けられたGPS信号を辿って、追いかけて来たらしい。

「うるさい! お前も、手伝え! 名前を呼べ! 手を伸ばせ!」

死ぬ気で、それだけを腹の底から無理矢理、叫び、プロメテウスはなけなしの神の力を使い、歪み切った世界の穴を強引にこじ開けた。

 何もない、暗い空間。いや、暗いとは言っても、何かが蠢いていて、ごうごう、音を立てて流れていく。それは、世界の理から外れた存在達の成れの果てでもあり、真名を失って自己を保てなくなった犠牲者の命であり、死によって肉体から解き放たれた魂の流れでもあった。
 プロメテウスは左右を見渡し、すぐに、白く発光している少女の姿を見つけた。
 
「アレイシア……! 良かった、やはり、まだ遠くまで流されていなかったか!」

アレイシアの体を抱き寄せ、涙を流して腕の中の存在に喜びを覚える。

「んん……あれ、ボク、どうして……」
「気が付きましたか、アレイシアさん」
「え、店長? ここは……?」

 辺りを見渡そうとするアレイシアの目をプロメテウスは塞いだ。この空間は、本来であれば人が目にすべきではない。神であるプロメテウスだからこそ正気を保っていられる。普通の人間が、剥き出しの魂を目にすれば死者の叫びに心を侵されかねない。
 
「あ……さっき、アポのお兄さんも近くに……」
「アポロンVIか……」

アレイシアが指さす方向を見れば、もう一人、アレイシアと同じように光り輝く少年の姿があった。
 ここで、アポロンVIを助けずに放置していく、という選択肢もあった。プロメテウスが助けに来たのはアレイシアであって、そもそも、アポロンVIは目的ではない。ただでさえ消耗が激しい世界の狭間で、もう一人を追いかける体力はプロメテウスに残されていなかった。
 しかし、それでも。もはや、プロメトリックではない自分に、アポロンVIと対立する必要はない。確かに相性最悪で、気に食わない相手ではあるが――彼もまた、プロメテウスが愛した人類の一人であることに違いはないのだ。
 アポロンVIの腕を取り、引き寄せれば、すぐに意識を取り戻した。外部からの接触が良い刺激となったらしい。
 
「アポロンVI、アレイシア……あそこに、光が見えるだろう。あれに向かって進め。後ろは振り返るな。……あの、光の穴が、出口だ。ふさがる前に、早く……」

ぐ、とアレイシアとアポロンVIの背中を押す。そして代わりに、プロメテウスの体は何かに絡めとられるかのように沈んでいった。アポロンVIを助け、二人の背中を押した時点で、もうプロメテウスは力尽きたのだ。

(神でありながら、人間の生を全うしようというのが……駄目だったのだろうな。世界の異物は、アレイシアでもアポロンVIでもなく、私であったか……)

 ずるずる、と後退していくプロメテウス。徐々に冷たくなっていく手を、温かい手が包み込む。
 
「店長! 何してんの!」
「アレイシア、さん……」
「ヒーローは生きて帰るまでが役目なんだよ! しっかりして!」
「後ろを振り返るな、と、あれほど……駄目だ、全員、共倒れになってしまう……」

プロメテウスを引っ張り上げようとするアレイシアだが、重く、世界の狭間に吸い込まれていくプロメテウスの力に徐々にアレイシアも後退していく。

「手を離せ、アレイシア!」
「嫌だ! この手は絶対に離さない!! 店長はボクを助けに来てくれた! それなら、店長はボクにとってのヒーローなんだ!!」
だから、とアレイシアはあきらめた顔のプロメテウスを、強い眼差しで射抜く。

「ヒーローは、生きて帰るまでが、役目!!」
「そうだ、良く言ったアレス零」

 プロメテウスの、もう片方の手をアポロンVIが掴む。不敵に笑うと、知らぬうちにプロメテウスの足に纏わりついていた、引きずり込もうとする黒の悪意を光の矢で打ち抜く。
 
「さあ、行くぞアレス零! 神器は使えるな!?」
「はい!!」
「私が穴を維持する、君は槍の反動を使って穴へ突き進め!」
「了解!」

元気よく、アレイシアが答える。その声だけで、プロメテウスの諦観の念がぐずぐずと崩され、今から帰るのが当たり前だ、と前向きな思考を取り戻してくれた。思わず、アレイシアの手と、アポロンVIの手を握り返す。
 二人は、その感触にプロメテウスを振り返ると、安心させるようなヒーローの微笑みを顔に浮かべた。
 
「三、二、一……ヒュペリオン・レイ!」
「アルティメット・ナックル・スマァァッシュ!!」

暗いはずの空間が、光で埋め尽くされる。エネルギーとエネルギーのぶつかり合う、耳障りな物質音が鳴り響き、同時にプロメテウスの体が前へと動き始めた。
 アレイシアの槍の一撃を反動にして、三人は光の穴へと浮上していく。
 
「ぐ……あと一歩、足りない……っ!」

しかし、光の穴にあと少し、届こうかと言う時点で、三人の体は減速を始める。プロメテウスが、苦しそうに呻いた。その声に振り返ったアレイシアがにっ、と笑いかける。

「だいじょーぶだよっ! ヒーローは、必ず来る!」
「そういうことだ。……最強のヒーローは、いつだって遅れてやってくる」

アポロンVIはプロメテウスを振り返ることなく、笑いを含んだ声で落ち着き払ってそう述べた。そして、空いた片手を光の穴へ向かって差し出す。

「ヴァッカリオ!」
『アポロニオお兄ちゃん!』

 光の穴から差し出された、男らしい手がアポロニオの片手を掴み、引っ張り上げる。アポロニオの体が光の穴に吸い込まれるようにして消えた後、すぐにもう一度手が差し出される。

「ヴァカ隊長!」
『アレイシア!』

その手を握り返したアレイシアもまた、プロメテウスの手から解放されて、アポロンVI同様に光の穴に消えていった。

 ただ一人、残されたプロメテウスは。手を伸ばすのに、おびえていた。
 
 自分の真の名前、とは?パンテレイモン、プロメトリック、プロメテウス。人々を欺くために使った名前はもっと他にもある。穴の向こうにいる、ディオニソスXIIがもし、間違った名前で自分を呼んだら。その瞬間に、きっと自分の自我は崩壊するだろう。それだけ、この空間において、真名は重要なのだ。
 そして、それ以前に……それなりに、良き関係を築けていると思っているディオニソスXIIに、裏切られるのが怖かった。
 
『手を伸ばせ!』
「!……ディオニソスXII……!」
『アンタが言ったんだろ! 助けたければ名前を呼べ、手を伸ばせ、って!』

その声に勇気づけられるように、手を伸ばした。ディオニソスXIIの手が、伸ばされた手をしっかりと掴む。

『そんなところに一人で沈んでないで、さっさと戻ってこい! ――プロメテウス!』

 名前と共に、プロメテウスの体は重力から解き放たれたかのように、軽くなり、そしてヒーローの手に引かれるがままに、光の中に吸い込まれていった。