巡る今日のその果てに - 5/7

 一月二十八日。午前六時三十分。
 けたたましい目覚ましの音とともに、パンテレイモンは目覚めた。無事に、ループしてくれたようだ。六回目の朝を迎えて、パンテレイモンはこれまでのルーチンをすべて飛ばして、寝間着をジャージに着替えると家を飛び出した。
 走りながら、オーナーにバイトを欠席する連絡をする。嫌味はもう聞き飽きたから、聞かずに通話を切った。もしかしたら、バイトをクビになるかもしれないが……そうなったら、エリュシオンホールディングスでまたあの取締役と、新作のスイーツを食べながら講評するのも悪くない。
 続けて、ヴァッカリオにも連絡を。走りながら、息を切らせて相手が通話口に出るのを待つ。

『あ? もしもし? え、なに? こんな時間に……』
「ディオニソスXII、緊急事態だ、すぐにお前は、アポロンVIの家に行け」
『はあ?』
「忠告はした、からなっ!」

 ちょっと、と騒ぐヴァッカリオの声を無視して強制的に通話を切ると、パンテレイモンは走ることに集中した。目的地はもちろん、アレイシアがいつも走っているランニングコースだ。

「アレイシアさん!」

 やはり、予想は的中した。『昨日』の時点で、エウブレナはアレイシアが倒れていた、と言った。だからパンテレイモンは慌てて探しに来て――建物の壁に寄りかかるようにして倒れているアレイシアを見つけた。

「アレイシアさん、しっかりしてください!」
「……ぁ……」
「っ!」

呼吸は浅く、手首をとっても脈は弱い。アレイシアの肩を抱き寄せるようにして、楽な姿勢を取らせ、すぐに緊急通報を行った。
 いつも、きらきらと青空に光り輝く白い太陽の様な瞳は閉じられたまぶたに隠され、燃え盛る炎のように温かい手は、まるで死人のように冷え切っている。

「アレイシアさん! アレイシア……!」

どうか少しでも自分の体温を分け与えられるように、と冷たい手を握りしめて、何回も摩る。
 パンテレイモンの腕の中で、ぐったりを体を投げ出したアレイシアは意識が戻ることもなく、そのまま病院へ搬送された。
 

「はあ……世界はループしてる、ねえ……」
「いまいち、実感が湧かねェな……」

 アレイシアが搬送された病院から、とんぼ還りしたプロメテウスはそのままヴァンガード本部へと足を運んだ。ヴァッカリオに聞けば、やはりアポロンVIも自宅で倒れていたようで、『昨日』と同じように病院に搬送されたという。その割には、うろたえるわけでもなく、平然としているヴァッカリオの様子にプロメテウスは少しばかり違和感を覚えていた。

「で、アレス零とアポロンVIがそれぞれやべー状況にあるって言うんだな?」
「そうだ。……二人とも、ずいぶんとのんびりしているようだが……その、気にならないのか? アレイシアとお前の兄の行く末が……」

そう言われても、とゾエルとヴァッカリオは顔を見合わせた。その様子に、プロメテウスが感じていた違和は不安となって胸をざわめかせる。

「アレス零はアレスフォースがどうにかしてくれるだろ。別にウチは関係ないし……」
「なっ……! 待て、ゾエル女史、どういうことだ? アレイシアは……君の部下ではないのか?」
「いや? ゴッドナンバーズのアレス零だぞ、弱小部隊なウチと接点があるわけねェだろ」

す、とプロメテウスの顔から血の気が引いた。唇を震わせて、ヴァッカリオにも目を向ける。

「お前は、アポロンVIに対して……兄に対して、どう思っている、のだ? 前はずいぶんとベタベタしてたようだが……」
「え、どうって言われても……十歳も年離れてるし、別にお互いオッサンだし、そんなベタベタするわけないでしょ。気持ちが悪い」

ヴァッカリオは舌を出して「おえっ」と下品な声とともに、吐くような真似をした。
 信じられなかった。あれだけ、アレイシアを救おうとなりふり構わず共同戦線を張ったゾエルも、毎ループの度にアポロンVIの身を案じて飛び出して行ったヴァッカリオも、プロメテウスの目の前にはいなかった。
 プロメテウスは思わず、二、三歩、後退ってから、たまたま足元に当たった椅子に倒れ込むように座り込んだ。そのまま、頭を抱えて、灰色の髪を手でぐしゃぐしゃとかき回す。

「おい、大丈夫かよ、パンテレイモン」
「大丈夫なわけがあるか!」

 ヴァッカリオが心配そうに声をかければ、プロメテウスは悲鳴のように叫び声をあげて返した。『昨日』の時点でも、状況の悪化速度が予想より早いと感じていたのに、『今日』、この状況だ。悪化速度が、と言っている場合ではなかった。
 もう、アレイシアとアポロンVIの存在は、世界から消えかかっていると見て間違いない。二人の存在を「消す」方向で世界の修復力が働いているようだった。最悪の、パターンだ。

「あー……アンタの言い分からすると? アレイシアはヴァンガード所属で、アタシの部下で……」
「そんでもって、おいらは兄貴とベタベタしてるブラコン、ってこと?」

ヴァッカリオは心底嫌そうな表情を浮かべ、「パンテレイモンの妄想力に脱帽だわ」と吐き捨てた。
 それに対して、ゾエルは冷静に、アレス零という存在に対して向き合い、しばらくした後に頭をかいた。

「そう言われてみれば、手の届かないゴッドナンバーズ様、の割には一緒に活動してる記憶が多い、ような気がするな……」
「そうかなあ? うーん?」
「……お前だって、ブラコンでなければ、あんなエピソードを合言葉に選ぶわけがないだろう」

プロメテウスが絞り出すように声を震わせて呟いた言葉は、ヴァッカリオの目を丸くさせるのに十分な効果があったようだ。

「確かに。いや、確かにそうだな……う、公園で弁当を食べさせ合う記憶が浮かんできたけどなんだこれ気持ちわる……」
「ヴァッカもか? なんかこう、記憶を持っているのに、その記憶と自分の思い出が噛み合わねェ……こりゃあ、コイツが言ってることの方が正しいかもしれねェぞ?」
「うわ、マジかよ……おいらブラコンなの? きも……」

ゾゾゾ、と鳥肌を立てたヴァッカリオは両腕をさするような仕草をした。その様子に、プロメテウスはいつも気持ち悪いと思ってるのはこっちのセリフだ、と心の中でだけ吐き捨てた。
 二人が微妙な顔をしているのを見たプロメテウスは、震える足を叱咤して立ち上がった。

「とにかく。対象のリストは送っておくから、その気になったらさっさと行動を起こしてくれ。今は、一分一秒だって惜しい状況なんだ」
「はあ……え、アンタ、ウチのアドレス知ってンのか?」

 ゾエルの言葉に、プロメテウスは苦虫を噛み潰した顔と共に「それはもう前前前回に聞いた」と答えるだけに留めておいた。

 エリュシオンホールディングスビル。三回目の来訪でありながら、パンテレイモンが向かったのは『いつもの』特別名誉顧問室ではなく、地下にある巨大なネットワーク室だ。ここは、オリュンポリス中に張り巡らされた監視カメラやネットワークのアクセス状況を確認できる、エリュシオンホールディングスの中でもごく一部の限られた人間しか立ち入りできない場所だ。
 もちろん、監視カメラは、あくまでも「エリュシオンホールディングスが所有する建物の防犯上の理由」で設置されたものばかり。しかし、その監視カメラ……改め防犯カメラは、オリュンポリス中のすべてを視界に収めていると言っても過言ではなかった。
 唐突に現れたトップの存在に、ネットワーク室内には緊張が走っていた。特別名誉顧問パンテレイモン、と言えば、入社の時に読ませられた社歴をまとめた本の中の存在でしかない。雲の上どころか、実在するかも疑わしい神のごとき存在に、一般社員たちは怯えることしかできなかった。
 そのような視線をものともせずパンテレイモンは室長に声をかけると、何かしらリストを渡した。室長と特別名誉顧問が何事か議論をした後、室長から一斉にオペレーターに指令が下される。
 理由もわからず、出された指令に従ってオペレーター達は「指定された人物の情報」をデータベースからピックアップし、顔認識システムを使って該当の人物を見つけ出し、次々と監視カメラの映像を切り替えた。
 
「すまないね、業務中に職権乱用をしてしまって」
「い、いえ! とんでもございません!!」

 パンテレイモンと直接言葉を交わした室長は、蛇に睨まれた蛙よりも身を縮こまらせて、緊張しきっていた。
 
「それで、その……この人物たちは、何かあるのですか……?」
「ああ……詳しくは守秘義務があるから話せないのだが。非常に重要な人物たちであるから、今日一日、監視をしてもらいたい」

できるか?とパンテレイモンに言われて、室長は首を横に振ることなどできるわけがなかった。
 本来のネットワーク室はあくまでも「防犯」が目的であり、一個人を追いかけるようなことは職務範疇外である。しかし、特別名誉顧問が直々にやってきて出された指示を断ることなど、ただの室長には無理な話であった。
 
「監視については、特定の時間までは見失わない程度で良い。……そうだな、十七時三十分あたりから、注視するようにしてくれれば」
「左様でございますか……」

何とも、摩訶不思議なオーダーに首をひねる室長だったが、この歳にもなると藪を突いて蛇を出すような生き方は到底できない。大人しく、パンテレイモンの言うことだけを聞いて、オペレーター達に指示を出す。
 いつもと違う勤務内容に空気をヒリつかせながら、オペレーター達もそれぞれ監視対象の人物を見守った。絞り込まれたリストの人物数が、このネットワーク室のキャパシティを越えなかったのは不幸中の幸いだった、とパンテレイモンは一つ胸を撫でおろした。

「あの……」
「ん? なんだ?」
「その、注視、と言われましたが、もう少し具体的に……その、何を見ていれば良いか、そういった指示はないのでしょうか?」

 十七時を過ぎ、否応なく緊張が高まる中、オペレーター達に突かれた室長が意を決してパンテレイモンに疑問を投げかけた。黙れ、と言われるか、そんなことも自分で考えられないのか、と叱責されるか、戦々恐々としながら特別名誉顧問の顔色をうかがう。
 実際のところ、パンテレイモンはそのようなことをするわけもなく、少しばかり思案気な顔をしたあとに「何かしら、事故や事件などに巻き込まれそうになっていないか、を見て欲しい」と、これまた謎のオーダーを追加した。
 広いネットワーク室にも十分に通るパンテレイモンの低い声に、オペレーター達は耳をそばだて、一体何が起きるのだろう、と好奇心をむくむくと大きくさせる。毎日、見飽きた光景を見るより、これからハプニングが起こるぞ、と言われてカメラを見ている方がよほど楽しい。
 十七時三十分を過ぎ、オペレーター達も、室長も、パンテレイモンも固唾を飲んでその瞬間を見守る。一体、どのディスプレイが当たりなのか。
 
 そして、時計が十七時四十五分を刻んだ時。

「あっ!!」

一人のオペレーターが、大きな声を挙げてディスプレイを指さした。パンテレイモンはすぐにそのディスプレイに視線を飛ばす。そのディスプレイに映っていたのは――