一月二十八日。午前六時三十分。
けたたましい目覚ましの音とともに、パンテレイモンは目覚めた。枕元の目覚まし時計は、やはり『昨日』と同じ日付を示している。五回目の一月二十八日が始まった。
もはやルーチンワークとなったように、テレビをつけ、ひき逃げ事件のニュースを聞き、牛乳をコップ一杯飲んでから身だしなみを整え、オーナーからネチネチと嫌味を言われ、それからヴァッカリオに連絡を。早く忘れたいと思う秘密の合言葉でヴァッカリオに釘を刺し、ヴァンガード本部へ赴いてゾエルとヴァッカリオに長い話を語って聞かせる。
「それにしても、そのエピソードを選んだおいらの顔を見てみたいわ。何で数ある中からそれを選んだ?」
「知るか。顔を見たければ鏡でも見てくれば良いだろう」
プロメテウスとヴァッカリオの無駄な言い争いをスルーしたゾエルは、何やら難しそうな顔をしている。ヴァッカリオがそれに気づいて話の水を向けると、ゾエルは額に手を当てながら呻くように発言した。
「神話特性の暴発。ってことは、訓練したヒーローじゃなくて一般人の可能性が高い。それでいて、同じ時刻……十七時四十六分だったか、そのタイミングに同じ場所にいる神話還り、だろ。それならかなり絞られるが……相手が一般人となると、手を出すのも難しい。英雄庁の協力を仰ぐ必要がありそうだな」
「……英雄庁への説明、めんどくさそうだね」
「ああ! めんどくさいにも程があるよ、あの頭カチコチのxxxx共が! 情報源がコイツって時点で、変な疑いを掛けられて逆に捜査を妨害される可能性だってある!」
ゾエルに指差されたプロメテウスは、肩をすくめるだけだった。そう言われても、その件については自分にはどうしようもできない。
残念ながら、プロメトリックが仕込んでおいた英雄庁内のトロイの木馬達は、あの清廉潔白なアポロンVIが害虫駆除でもするかのようにすべて追い出してしまったのだ。一人ぐらい、残しておいてくれれば、もう少し楽だったものを。
しばし、気まずい空気が流れるヴァンガード本部に、通信音が鳴り響く。一番近かったヴァカリオがひょいひょい、と歩いて行って端末を操作した。室内の通信用ディスプレイに表示されたのは、見るからに焦っているエウブレナだった。
『隊長! 大変です、アレイシアが……』
名前を聞いただけで、プロメテウスは弾かれたように立ち上がった。ゾエルも、ヴァッカリオの傍にいくとエウブレナに見えるように、顔をカメラに映り込ませる。
「アレイシアがどうしたって!?」
『あ、ボス! えっと、集合時刻になってもアレイシアが来なくて、それで、私、アレイシアのランニングコースを探しに行ったんです。そしたら、途中で、アレイシアが倒れていて……』
「おいおい、マジかよ……!」
ヴァッカリオは呻き、すぐに通信端末から身を離すと、個人用の端末を使って自分の兄に連絡を入れた。プロメテウスの長い話の中で、アレイシアだけでなくアポロンVIにも多大な影響が出ている、ということだ。それで、今、アレイシアが倒れたという事は間違いなく兄の方も……。
その様子を片目に、ゾエルはエウブレナにアレイシアの行く末を尋ねる。
「アレイシアはどうした? 病院か?」
『はい、すぐに救急搬送してもらいました』
「そうか、わかった。アンタはアレイシアについててやりな。ちなみに症状はどんなもんなんだ?」
『えっと、高熱が出ていて、あと、熱のせいかわからないですけど、意識が混濁しているようで……』
「どこの病院だ? すぐにコリーヌを行かせる」
エウブレナが告げた病院の名前を復唱して、泣きそうなエウブレナにいくつか声をかけてからゾエルは通信を切った。
「プロメテウスよ、どうなんだこの状況は。『昨日』のアレイシアもこんな感じだったのか?」
「いや、違う。ここまで酷くはなかった……だめだ、予想以上に魂と肉体の分離スピードが早い」
「チッ、xxxxだな……おい、ヴァッカ、お前のお兄様はどうだって!?」
「だめだ、通信に出てくれない! アポロンフォースの方にも出勤してないみたいだ……」
顔を青くするヴァッカリオの背中をゾエルが力強く叩く。
「アンタはアポロンVIのところに行け、状況を把握出来たらまた連絡しろ」
「ごめん」
「謝るな、向こうの状況だって何かの考察に役立つかもしれねェ。情報収集の一環だと思いな!」
ああ、とヴァッカリオは低い声で頷くと、すぐに飛び出して行った。『昨日』と同じ後姿を見送って、プロメテウスは一つ息を吐く。
「……このまま、魂と肉体の乖離が続けば、アレイシアはどうなるかわからん」
「ループさえ終われば、元に戻るって言ってなかったか?」
「そのはずだ。しかし……世界が自己修復する『あるべき姿』の認識に、そもそもアレイシアと言う存在が含まれていなかったら?」
プロメテウスの真剣な表情に、ゾエルは言葉を失った。
魂と肉体が離れ続け、人間の魂はループに巻き込まれたまま、疑似神の肉体はループに取り残されたまま。そうして散り散りに引き裂かれてしまったとき、この世界は「アレイシア」という個人の存在をどこまで修復してくれるのだろうか?……修復不可能なほどに、『あるべき姿』を見失ってしまえば、「アレイシア」という存在は、世界にとって異物にしかならない。
「待て待て、じゃあアレイシアはどうなるって言うんだ、世界から追い出されるっていうのか? なあ、そうなのかプロメテウス!」
「……確証はないが、恐らく。魂と肉体の二つが揃って、初めてヒトはヒトでいられる。そのどちらかが欠けた時、それはヒトならざる存在であり……世界が、そのような半端モノの存在を許すとは思えない。異物は、世界からはじきだされて終わりだ」
「そんなバカな話があってたまるか……クソッ!」
ゾエルが、目の前にあったテーブルの足を蹴り飛ばす。八つ当たりでもしなければ、このどうしようもない感情の奔流を抑えきれなかった。
「……四の五の言っていられねェ。英雄庁の協力はどうにか取り付ける。アンタも手伝ってもらうぞ、プロメテウス」
「当たり前だ。アレイシアがいない世界など……そのような世界の存在は許されない」
プロメテウスは少しばかり目を閉じ、もう一度、その瞼を開けた時には、アレス零のパレードを見学した優しい眼差しではなく、どのような手段を使ってでも自分のエゴを押し通そうとする、プロメトリックの眼差しを湛えていた。
プロメテウスを伴い、英雄庁に登庁したゾエルはどうにか重役を会議室に集めて、ひととおり状況説明を行った。こうして、重役がすんなりと集まって耳を傾けてくれた背景には、ヴァッカリオの連絡も存在していた。――アポロンVIが自宅で倒れていた、と。
アレス零と時を同じくして、ゴッドナンバーズのトップであるアポロンVIも病院へ緊急搬送された、という事実は、腰の重い英雄庁の老人たちを慌てさせるには十分すぎる爆弾であった。
今のところ、二人の容態については特別、命に別状はないという。ただ、意識混濁状態は続いており、ヒーローとしての活躍はおろか、ベッドから起き上がれる気配もない。
そして、これらの事実は直ちに箝口令が敷かれ、市民には伏せられていた。ディオニソスXIIの不在を隠すように、英雄庁はまたしても、アレス零とアポロンVIの不在を隠蔽することにしたようだ。
「話はわかった。英雄庁の総力を挙げて、対象の集団を探す必要がある、ということだな」
「しかし……このプロメトリックの言うことを信じるのか? 例えば、自作自演であるとか、そうやってヒーローを持ち場から離して何かテロでも起こすのでは……」
「それを言えば、アレス零とアポロンVIが倒れたのも、裏でプロメトリックが糸を引いているのやもしれませんぞ」
「だとして、どうして本人がわざわざ英雄庁に説明にくるのだ?」
そこからは、役員たちの激論が始まった。プロメトリックを信じるべき、信じてはならない、これは罠である、しかし実際アレス零とアポロンVIは倒れている、その他もろもろ。喧々諤々の話し合いをしばし、黙って聞いていたゾエルはこめかみに青筋を立てながら、机を両手で叩いて立ち上がった。
「時間がねェっつーのにいつまでもグダグダグダグダと! 正しかろうが正しくなかろうが、人を調査するだけなら末端ヒーローでもできるだろうが! それでもまだ信じられないというなら、コイツを英雄庁内で監視すれば良いだろう!? 牢屋にでもぶち込めば気が済むか!?」
その発言に、槍玉に挙がったプロメテウスは思わず吹き出しそうになった。知らない間に、牢屋にぶち込まれそうになっている。いや、実際、大罪人であるのに外を闊歩しているのがおかしいと言われればそれまでなのだが。
ゾエルの剣幕に、会議室内が静まり返る。プロメテウスは仕方なく、ゾエルの尻馬に乗ることにした。
「私からも、ゾエル女史の提案を支持します。どうぞ、監禁でも拘束でもお好きになさると良い。……私は何もやましいところはありませんので」
プロメテウスの殊勝な態度に、反対派だった役員たちもさすがに口を噤む。ごほん、と役員の中でも一段、高位の老人が咳ばらいをして鶴の一声を挙げた。
「ヴァンガード隊・司令官ゾエルの提案に異議なし。異議のあるものは挙手を。……反対無し、でよろしいな?」
「異議なし!」
「では、対策本部を設置して対応に当たる。ゾエル司令はそちらへ。プロメトリックは、英雄庁内個室にて隔離すること。よろしいか?」
「異議なし!」
やれやれ、とゾエルは立ち上がった役員たちの顔を睨みつけてから、続けて立ち上がった。座ったままのプロメテウスの肩にポン、と手を置く。
「悪いな、生贄にしちまった」
「構わんさ。ああでもしなければ、話も進まなかっただろう」
それに、アレイシアを助けるためなら喜んで泥を被ってやろう。ゾエルにだけ聞こえるように「後は任せた」と囁いて、プロメテウスは迎えがくるまで目を閉じて瞑想するのであった。
プロメテウスは会議室に雪崩れ込んできたヒーローに両脇を抑えられ、英雄庁内の個室に押し込められた。外の廊下には上位のヒーローが二人。そして室内には同じく、上位のヒーローが二人と――ゴッドナンバーズの一人、アフロディテIXが監視についていた。
「……なるほどねえ。あーしのアレイシアちゃんがそんな目に遭ってるときに、ジーサン達ものんびりしたものだわ」
「今はゾエルがどうにか立ち回ってくれるのを祈るしかないな」
「そもそも、あーしは武闘派とは言え、こういう監視とかには向いてる能力じゃないんだケド。そういうところも、あのジーサン達テキトーofテキトーなのよネ」
めんどくさ、とアフロディテIXは吐き捨てると、きらびやかなネイルが光る指先でゴチャゴチャとデコられた個人端末を弄り始めた。……さすがのプロメテウスも、英雄庁の役員たちの人選に疑問を覚えざるを得ない。
暇つぶしに、とアフロディテIXに頼んで持ってきてもらった本を何冊か読み終わったころ。室内の時計はようやく、十七時を回っていた。もうすぐ、巻き戻りが発生する時間だ。
「ようやく、無駄な時間が終わるな……」
「これで巻き戻りが発生しなかったら?」
「怖いことを言わないでくれ。無事に解決してくれていれば良いが、中途半端に解決されたら目も当てられん」
「そーね」
ふう、とアフロディテIXは気だるげな息をついた。少しばかり色っぽいその仕草に、同席していた監視のためのヒーローが少しだけ顔を赤らめる。
そのタイミングで、部屋の扉がノックされた。びくり、と肩を跳ねさせたヒーローが、扉越しに何やら問答をしてから、鍵を開ける。
「失礼します! お待たせしました!」
「はーいお疲れちゃん! ……ほら、プロメテウス、これ」
部屋に入ってきたのは、紙の束を手にしたアフロディテIXの部下だった。部下から受け取った紙の束を、アフロディテIXは確かめることもなくそのままプロメテウスに渡す。何事か、と監視のヒーローも近づいてきて覗き込み、その内容に絶句した。
「! ちょ、ちょっと待ってくださいアフロディテIX様! それは個人情報では……!」
「いーのいーの、ナンバーズであるあーしが許可出したんだから。それに、この資料だけじゃ特に意味もないしね」
プロメテウスに渡されたのは、英雄庁が総力を挙げて調べた「時間に関する神話還りの特性を持ち、かつ、交友関係内に同じ特性を持つ人物がいるリスト」だった。まさに、プロメテウスが、ゾエルが、最も欲しがっていた情報だ。
「ゾエルが、何とか目を盗んでこっちに情報回してくれたの。頑張って覚えてね?」
「ああ……!」
プロメテウスは食い入るようにそのリストを見つめた。前々回の、総当たりで調べようとしたときに比べればその件数は大いに絞られている。十分、現実的な件数になっていると言えた。
この資料は、巻き戻りが発生してしまえば当然、消失してしまう。個人名から住所、その人物がどのようなクラスタに所属しているか、の注釈まで、プロメテウスは一字一句逃さず、脳に刻み込んでいく。
「ね、覚えた?」
「……大丈夫だ。これで、『明日』は人海戦術で何とかなるだろう」
「そう……アレイシアちゃんのこと、
アフロディテIXが最後まで言葉を紡ぐ前に、世界はブラックアウトした。