『――では、諸君らの健闘を祈る』
プツン、といかにもな表現をもってして目の前のモニターから消えたのはアポロンVIその人。今まで黙って聞いていたヴァッカリオはたまらず噴き出したし、同じく黙って聞いていたアポロニオは天を仰いでいた。
「……そういえば、こんなものを吹き込んだような覚えもあった」
「あの長い訓示、自分で考えた?」
「まあ、それなりには。……私ばかりでは飽きてしまうだろうから、隔月でお前の出番を作ったらどうだろうか?」
「いやダメでしょ」
本気なのか冗談なのかわからないアポロニオの言葉をヴァッカリオはばっさり切り捨てた。何が悲しくて、ヒーローでもないただのオッサンがゲームの導入を担当しなければならないのだろう。あのアポロンVIが、一般市民の個人に対してヒーローとして一緒に頑張ろうと言うからこそ、ゲームの導入としてとても良い出来だというのに。
アポロンVIの出番が終わり、フィールドへの転送を問う表示が目の前に現れる。もちろん、二人揃って【Yes】を押した。光に包まれ、またしても不思議な浮遊感を味わった後、ゆっくりと光が引いていけば目の前には現実と言って差し支えない、しかしオリュンポリスでは見慣れない街並みがあった。
「ほう……イマドキのゲームと言うのは本当にすごいのだな」
「まあね。特にこれは英雄庁が相当な金と労力をかけて開発したらしいよ」
「……おかげで、我々はこんなわけのわからない作戦に投入されたわけか」
苦々しい顔をするアポロニオを伴って、ヴァッカリオはその街並みを歩く。二人とも初期装備で、かつ、初期地点からの出発だから誰が見てもわかりやすいご新規サマだ。
歩きながら、頭の上に表示される名前が黄色ならNPC、白ならPC、などとアポロニオに逐一説明をする。NPCとはなんだ、というところから始まるので、目的地までの雑談には持って来いだ。下手な世間話でまた兄に「恋人はいないのか?」「まだ結婚しないのか?」などと突かれるのもたまったものではない。
「……ここの冒険者ギルドってところで、最初のチュートリアル……あー……ちょっとしたトレーニングが体験できるんだ」
「なるほど……」
「このゲーム、最大でも二時間までしかプレイできないからね。今日は軽く武器……人造神器の調子を確かめて終わりじゃないかな」
「わかった」
良い子のための英雄庁制作のゲームは廃人にならないようにちゃんとプレイ上限が設けられている。一日二時間ずつしか作戦を進められないのであれば、何かしら工夫をしなければな、とアポロニオはヴァッカリオの背中を追いかけながら頭を回した。……とりあえず、今日の夜はこのゲームについて調べることから始める必要がありそうだ。
「いらっしゃいませ!冒険者ギルドへようこそ!」
あら、初心者の方ですね!などと、すらすらと受付にいたギルド職員なるキャラクターがしゃべり始める。アポロニオは説明をヴァッカリオに丸投げして、冒険者ギルドという建物の中を物珍し気に観察した。
ヴァッカリオが説明してくれたところのNPCというキャラクターがほとんどのようだ。筋骨隆々のいかにも、と言った顔つきの男が多い。中には美人な女性もいるし、子供としか思えない姿でありながら大剣を背負った少女もいた。しかし、そのいずれもまるで生きているかのようにそれぞれ、動いている。
とても、新鮮な光景であった。これらすべてが、ゲーム上のものであって用意されたプログラムに応じて動いているだけと言うのだから驚きだ。
「お兄ちゃん、訓練室案内してくれるって。……どうかした?」
「いや、お前のいうところのえぬぴーしーとやらも、生きてるようにしか見えなくてな……技術の進歩に舌を巻いていたところだ」
「まあ……ヘパイストス神を筆頭に工学系の神話還り達がその辺の技術は数百年先取りしてくれた、って言われてるからね」
「全く、自分が見た目上、年取らないから、というのもあるが、どうにも時代の流れに取り残されている気分だ」
苦笑したアポロニオに、ヴァッカリオは何とも言えない乾いた笑いで返した。
ギルドの受付嬢というNPCが案内してくれた訓練室。説明によれば、エネルギー切れや物損などを気にせずに好きなだけ人造神器の動きを確かめることができるらしい。
「人造神器なんて最後に使ったのいつだろう……」
武器として渡された大剣に力を流し込んで、軽く振ってみる。正直、ディオニソスの神話還りとしては大剣の強化以外にできることはあまりなさそうだった。ネクタルの力は、ゲーム内でアルケミストという形で再現されてはいるが、ヴァッカリオの使う「ネクタル」はもっと性質が異なるものだ。言ってしまえば、ディオニソスXIIだけが使える本物の神器は格が違う、ということだ。
対するアポロニオも、最初の方こそ出力が弱く、追尾性能の低い人造神器の弓矢に手間取っていたようだが、今では簡単に的の中心を射抜いている。
「使用感は確かに本物とほぼ変わらないようだな」
「そうだね。どちらかと言えば、おいら達はセカンドジョブの方が難しいんじゃないかな……」
「せかんどじょぶ……ああ、お前が何か言っていた……なんだったか」
「クレリックでしょ。おいらはアルケミスト」
アポロニオもヴァッカリオも、神話特性は戦う力の方が大きく発現していたので、それぞれメインジョブはアーチャーとウォーリアーという戦闘職になったわけだ。副次的な神話特性はセカンドジョブのクレリックとアルケミストとして表されているが……ゲームに不慣れなアポロニオに、ヒーラーをやらせるのは難しいのではないかとヴァッカリオは内心で困っていた。
そもそも、ヒーラーとは何か、を兄に説明していたらあっという間に二時間なんて過ぎてしまう。それに、ヴァッカリオ自身もアルケミストの方は扱いが全くわからないので、本格的にゲームを始める前にある程度は練習しておきたいのだ。
少しだけ考えた後、ヴァッカリオは面倒くさくなってアポロニオのステータス画面を見せてもらい、とりあえず「ヒール」と「プロテクション」だけ使うようにお願いした。回復と防御さえ最低限できれば、もう後は良いだろう。状態異常にかからなければどうということはないし、バフ効果がなくても相手を倒すだけの火力を出せれば問題ない、という、ある意味で傲慢であり、最強のヒーローだからこその発想だ。
「人造神器を使う感覚で、技名叫んでくれればいいよたぶん」
「そうなのか?……ヒール!」
ヴァッカリオに対して緑色のさわやかなエフェクトがキラキラと発生した。思わず、二人そろって「おお……」と感嘆の声を上げてしまう。
「これは傷を治すのだったか……もう一つはバリアを発生させるもの……プロテクション!」
こちらも、ヴァッカリオの前面に薄く光る丸い壁が出現した。思わず、手で叩いてみるが意外と堅そうだ。ある程度の時間が経過すると、その壁はスッと消えていった。時間にしておよそ二十秒程度だろうか。強度の問題はあれど、多少の攻撃を逸らせたり、軽減させたりするには十分な効果が期待できそうだ。
「便利だな。現実の神器にはないのだろうか?」
「……ないんじゃないかなあ、っていうか、そもそもこれだけ長く使ってて今更新機能に気づくとか遅くない?」
それもそうだ、とアポロニオはけらけらと笑った。もっぱら戦闘専門の自分が、支援の魔法を使うのが意外と楽しかったらしい。ヴァッカリオは一応、神力の消費に注意してよ、とは言ったものの、その辺はアポロンVIとしてリソース管理もバッチリできている兄のことだから、そこまで心配はしていない。
「うーん、おいらのアルケミストの能力、あんまり戦闘向きじゃなさそうだなあ……」
「どういう能力なんだ?」
「……なんかアイテムを集めて、調合して新しいアイテムを作るらしい」
「……?」
「薬剤師みたいな感じ?」
「なるほど」
アポロニオにわかりやすく、と言い換えたらすんなりと納得してくれた。
ネクタルを変幻自在に、というのはやはりディオニソスXIIレベルまでいかないと無理なのか、はたまたゲーム内で再現が難しかったのか。残念ながら、ヴァッカリオが選んだアルケミストは明らかに生産職であった。ハズレ、とまでは思わないが、今回の作戦遂行にはあまり役に立たないのではないかと肩を落とす。
「どのような能力でも役立つ場面は必ずあるはずだ。気を落とすなよ」
「ま、そうだね。状態異常回復とか蘇生なんかは、おいらがアイテム作って使った方が良さそうだし……ああ、こっちの話だからお兄ちゃんは気にしないで」
頭上にクエスチョンマークを大量に飛ばすアポロニオへの説明は全カットした、面倒くさがりのヴァッカリオであった。
その後、時間の許す限りお互いに体の動きを確かめ合って、ゲームのプレイ限界時間を迎える五分前にログアウト処理を行った。
「これで二時間か……なんだか普段より疲れた気がするな……」
カプセル型の筐体から抜け出したアポロニオは、存分に体を伸ばしてから呟いた。
「慣れない環境で未知の話ばっかりだからねえ、そりゃ疲れるよ」
同じく、肩を回していたヴァッカリオもアポロニオに同意する。これを明日からも続けて毎日やるとなると、憂鬱だ。もっと若ければ楽しかったのだろうけど、あいにく、ヴァッカリオはもう三十代だしアポロニオも四十代だ。ゲームに没頭できるほど若くはない。
「それで、犯人の少女の状況はどうなのだ?私たちがゲームを始めたからといって何かが変わるわけではないだろうが」
キリッと表情を引き締めてアポロンVIとしての顔をしたアポロニオが、バックアップメンバーに尋ねる。さきほどまで、ゲーム内の単語に右往左往してヴァッカリオに全部丸投げしていた姿からは想像できない。ヴァッカリオは噴き出しそうになるのを我慢して、会話に耳を傾けた。
一応、バックアップメンバー……と言うより、作戦に参加しているデメテルフォースやヘパイストスフォースのメンバーは別室にて、ネットワーク空間で犯人の少女と電子データを介して相当激しくやり合っているらしい。神話還りの力を存分に使い、なりふり構わない犯人の少女と、人間社会のルール内で人間の理で動いているエンジニアとでは、それなりにいい勝負になっているそうだ。
「特別、事態は変わっておりません。一応、デメテルV様も本件は気にかけていまして、事態が長引くようなら自分が……と仰っていました」
「ゴッドナンバーズを三人も動かしたとなれば、その少女は実に将来有望だねえ」
「改心してくれるのならば、な」
ヴァッカリオの茶々入れに、アポロニオが釘を刺した。
神話還りの力だけで見れば、間違いなく次期デメテルV候補に挙がるだろう。だが、ゴッドナンバーズになるには、単純な力だけではなく、神器に認められるほどの存在力を示さなければならない。
……まあ、性格や良心で決まるわけではない、と言うのは絶賛職務放棄中のゼウスIや自身の信念のためとはいえ味方を裏切ったアテナVII、自身のためにかなり黒いことをしていたヘパイストスXIの例を見ればわかりきっていることなのだが。
「向こうはこの筐体が無くてもゲームにアクセスできているのだろう?」
「ええ……おかげで、なかなか犯行現場を押さえることが難しくて」
まさに神出鬼没。ネットワークにつながっている端末さえあれば、どこからでもゲームのシステムにアクセスできて、自由にデータを改竄できるらしい。所在はつかめていても、人の目を盗んで小型端末からアクセスしていたり、普通にスクールの課題をこなす振りをしながら裏でデメテルフォースのメンバーを押し返していたりするから、非常に厄介だ。
「現認というのが厳しい縛りだな、本当に」
まるで進んでいない作戦の進捗に焦れた思いを抱きながら、続きはまた明日か、とアポロニオは呟いた。