煙が晴れた大ホール。そこには十六人の死体と血の臭い、そして中央には血塗られたナイフを持ったヴァッカリオが残された。
さきほどまでの喧騒が嘘のように静まり返るホールに、乾いた拍手の音が響く。
「……予想以上に、強敵ですね。十六人を、たったの三分とは……」
「アンタが親玉か?」
ヴァッカリオの視線の先には、眼鏡をかけたいかにもインテリ、と言った男が立っていた。
「いいえ、私はただの捨て駒です」
「そうかい。ま、結果は見ての通りだ。黙って通してくれりゃあ、アンタの命は取らないぜ?」
そういうわけにもいきません、と男は小さく呟き、ずれてもいない眼鏡を直す仕草をした。
二人の視線が交差し、一気に緊張の糸がピンと張り詰める。お互い、身動き一つせずに相手を睨みつけた。
最初に動いたのはどちらだったのか。ヴァッカリオは右手のナイフをくるりと回して逆手にし、眼鏡をかけた男は腰のホルスターからハンドガンを二丁引き抜き、ガチャリと安全装置を解除する。
それが、戦いの始まりだった。男のハンドガンを見たヴァッカリオが、即座に横っ飛びで跳躍する。
男は二丁拳銃を体の前で交差すると、横に倒して連射した。ヴァッカリオは前転してその弾を避け、目の前にあった弾切れの銃を男の顔に向かって蹴り上げる。
「チッ!」
飛んできた銃を左手で叩き落とした男はヴァッカリオの姿を目視するより早く、右へと体を転がす。男が立っていた場所を、二発の弾丸が駆け抜けていった。
「お見事」
ヴァッカリオは不敵に笑うと、改めてさきほどの一瞬で拾った銃を構え直した。そう、このホールには十六人の死体と、十六丁の様々な銃器が落ちている。
「……残弾まで把握しているのですか」
「さあね。構えているだけで、空だったりして」
「ふざけたことを」
膝をついたまま、ヴァッカリオを睨む男。じり、とヴァッカリオが足を動かした瞬間、右手を上げて銃を連射した。
男が手を動かし始めた瞬間に、すでに動きを予測していたヴァッカリオは射線ギリギリに体を滑り込ませて男との距離を詰める。
男は立ち上がると今度は左手の銃を連射した。同時に、右の片手で銃の弾倉を地面に落とし、足癖悪くヴァッカリオの足元へと蹴りだす。
「おっと!」
数センチでも体がズレたら、弾は空気ではなくヴァッカリオを貫くことになる。床を滑る弾倉ですら、一歩間違えば致命傷だ。
走り出した男に合わせて、ヴァッカリオは一度後ろへと飛び退き、男に対して銃を二発、撃つ。ヴァッカリオの記憶が正しければ、この銃はこれで残弾ゼロだ。
対する男は、緩急をつけながらヴァッカリオの銃弾を避け切り、器用に右の銃に新しい弾倉を装填し、口でスライドを引いてリロードする。
今度はヴァッカリオが走って逃げるターンだ。二丁拳銃から繰り出される弾丸の雨を、全速力で走り回って逃げ切る。だけではなく、用済みになった銃を捨てると、落ちていたアサルトライフルを足で空中に蹴り上げ、キャッチし、そのまま体を反転して男に向かってトリガーを引き続けた。
「!!」
バラララララ、と特有の連射音。本来、両手で使うべきその銃をヴァッカリオは片手で、しかも利き手ではない左手で強引に扱っていた。反動で、体が大きくブレる。故に壁にはジグザグに波打った弾痕が出来上がった。その弾痕の先に、ゴロゴロと床を転がる眼鏡の男。
ヴァッカリオは好機、と見て重いアサルトライフルを投げ捨てると、一気に男への距離を詰める。
「させるかッ!」
「ッ!マジかよッ!」
不自由な姿勢のまま、近づくヴァッカリオに対して男が右手の銃を使う。咄嗟に、顔を背けたヴァッカリオの頬を弾丸が掠めていった。頬に、軽いやけどの跡が残る。
ヴァッカリオが体勢を一瞬崩した瞬間に、男が立ち直る。しかし、ヴァッカリオも持ち前の体幹ですぐに姿勢を戻すと、長い足で男の右手を蹴り据えた。衝撃なのか狙ったのか、一発、弾丸が発射される。その弾丸は床にめり込んで終わった。
そのままの姿勢で、二人は一瞬硬直する。
「左手、弾倉空だろ」
「……とんでもない動体視力と記憶力ですね。背中に目でもついているのですか?」
「ハハハ、それは企業秘密だ」
ヴァッカリオの指摘通り、左手の銃はすでに弾倉を空にしていた。そうでなければ、この至近距離で撃たない理由がない。それを見越した上でのヴァッカリオの肉薄。男は唇を噛み締めた。
ふう、とどちらともなく息を吐く。
次の瞬間、ヴァッカリオは足を引き戻して逆手に構えていたナイフで男に切りつけた。男は左の銃でそのナイフを受け止めると右の銃を構える、がそれはヴァッカリオの裏拳で弾かれた。
男は突然、両手の銃を手放した。ヴァッカリオの意識は一瞬だけ落ちていく銃に反らされたが、すぐに男の動きに戻り、身を屈めて男から繰り出されたナイフを避けた。武器の手放しはヴァッカリオも得意とする技。その程度のフェイントには動じない程度の場数は踏んでいる。
「二丁拳銃の次は二刀流か?器用だな」
「それはどうも。……どちらも、兄貴に仕込んでもらったものでしてね」
「へえ。それは奇遇だね。俺も戦い方の一部はお兄ちゃん仕込み、ってやつさ」
「それはそれは……では、どちらの『兄』が教え上手か勝負といきましょうか!」
空気を切り裂いて振り回される両のナイフを、ヴァッカリオは最小限の動きで避ける。時折、ヴァッカリオの長髪を掠め、切り裂かれた髪の毛が宙に舞った。
動きを見切ったヴァッカリオが左手で男の手首を掴み、もう片方の手を手首で押し止める。両腕が塞がれた男は、右足を蹴り上げようとするが、それをヴァッカリオは左足で軽くいなすと、男の顔面に向けて頭突きをした。眼鏡のフレームが歪み、頭の後ろで眼鏡を留めていたバンドの紐がずれる。
男がぐらり、と後ろに傾いだのを見てヴァッカリオが続けて右足を天に向けて百八十度蹴り上げる。男の顎を打ち抜いた。
口の中が切れたのか、男の口元から血が流れ出た。もちろん、この程度でヴァッカリオは追撃の手をゆるめたりしない。最後まで油断しないこと、それが兄から教わった戦闘術の一つだ。
ヴァッカリオは男を押し倒してのしかかると、逆手のナイフで、止めを刺すべく喉元を狙う。が、ナイフが振り下ろされる直前で男は無理矢理に首を捻じると、ヴァッカリオの背中を足蹴にし、スナップを聞かせて左手のナイフを投げつけた。
「ッ!」
咄嗟にヴァッカリオが跳ね起きたことで、ナイフは避けることができた。男は、割れた眼鏡をバンドごと投げ捨て、さらに持っていたナイフも足元に落とす。
「おいおい、降参か?」
「いいえ。……私の、本当の切り札ですよ」
そう言って、男はスーツの懐に手を入れると、一本のナイフを取り出した。
「まさか、そいつは……!」
「兄貴からもらった、誕生日プレゼント……ここで使わせてもらいます」
男は、そのナイフであろうことか自分の腹部を思い切り突き刺した、ナイフが刺さった場所から、じわり、と血が滲む。
「人造神器、起動……ッ!」
ヴァッカリオには馴染み深い、人造神器の起動音と光がホールに満ちる。英雄庁が噛んでいる、という話はあったが、まさか人造神器を横流しするまでとは……。
「お前、死ぬ気か!?」
「捨て駒だと、言って、いる!」
血を吐きながら、叫ぶ男。ナイフ型の人造神器を引き抜けば、腹部から大量の血が流れ出た。そして、男は叫ぶ。
「ネクタル・クリュスタロス!いけ!私の血よ、幾千もの武器となり、敵を貫け!!」
ぼたぼた、床に流れ落ちるだけだった鮮血が、その言葉と共に剣に、槍に、矢に、姿を変えてヴァッカリオ目掛けて射出される。
「クソッ!お前、ディオニソスの神話還りかッ!!」
「ヒーローに、なれるほどの、力は、ありませんでしたが、ねッ!!!」
ヴァッカリオは追いかけてくる数々の武器を走り回って躱しながら、時にナイフで弾き、ホール内を転げまわる。
男がナイフ型の人造神器を振りかざすたびに、新たな武器が生成されていく。武器が生成されるたびに、男の命も削られていく。
「チッ……こいつはさすがに予想外だ……」
どうする、神器を使うか?と一瞬考えるが、使いどころは考えなければならない。今、ここで使って男を討ったとしても、その後、アレイシアと共に脱出することを考えれば、できれば取っておきたい。
飛んできた矢をナイフで弾き落とす。床に落ちた矢は力を失って、ただの血だまりへと変化した。
男がヒーローになれなかった、と言っていたことからも、神力はほぼ一般人と変わらないはず。つまり、無理矢理、自分の命を削って人造神器の力を引き出しているだけだ。はっきり言ってヴァッカリオが手を下さずとも逃げ回っているだけで、そのうち力尽きるであろう。
「クソがァッ……ゲホッ!」
「人造神器の起動を止めろ!死ぬぞ、お前!!」
「私の仕事はッ!兄貴が逃げ切るまでの、時間稼ぎッ!!」
「こンの、わからず屋がっ……!」
ヴァッカリオは、その男の姿に思わず十年前の自分を重ねた。あの時の自分も、ディオニソスの神の力を最大限引き出すべく、自分の命を削って技を繰り出していた。血を吐きながら、死ぬ気で人造神器を使い続ける男の姿に、苦々しいものが込み上げる。
「命は、大切にしねェと……!」
「なんだっつーんだよッ!私の命に!価値なぞあるものか!!」
「あるに決まってンだろ!『兄貴』が悲しむだろうが馬鹿野郎!!!」
「あの人が!悲しむワケがないッ!」
大量の出血により、ついに限界を迎えつつあるのか、生成される武器の数が少なくなってくる。これはいける、と判断したヴァッカリオは、金の瞳に熱を湛えて武器の嵐をかいくぐる。
「死んでいい人間なんてそうそういるものかッ!」
迫ったヴァッカリオに、慌てて男は人造神器を振りかざすが、その動きは緩慢そのもの。容易く、ナイフ型人造神器を腕からもぎ取ると、遠くへと弾き飛ばした。そして男の襟首をつかんで押し倒す。
「お前ン中ではそうかもしれねぇが、意外と、悲しんでいるもんだぜ……」
「そんなわけ……ああ……オレは、ここまで、か……」
ぱたり、と両手を下した男はつう、と一筋涙をこぼした。
「兄貴、すんませんした……」
「ハッ、時間稼ぎとしちゃあ十分だろうよ。……アレイシアはどこにいる?」
男は、この奥の小部屋に寝かせてある、とヴァッカリオの問いに素直に答えた。
ふう、とため息をつくとヴァッカリオは立ち上がって、スーツの埃を払った。満身創痍の男と違って、ヴァッカリオはせいぜいが頬の火傷痕ぐらいなものだ。その姿を見上げた男は、やはり兄貴の勘は正しかったと自嘲的な笑いを浮かべた。もし、ネズミ一匹と侮って脱出せずに迎え撃っていたら、組織は二度と立ち直れないほどのダメージを受けていただろう。
「待て」
「……なんだよ」
立ち去ろうとするヴァッカリオに、男が天井を仰いだまま声をかける。ゆっくりと、右手でスーツの懐を探り、何かしらの端末を操作した。
「地下のセキュリティロックをすべて解除しました。これで、何事もなくその小娘の場所までいけるでしょうよ」
ただし、と男が続けると同時に、けたたましいまでの警報音が鳴り響く。ヴァッカリオが驚いてホールを見渡せば、照明が音を立てて一瞬で白から赤へと切り替わった。
「地下三階は、爆破させてもらいます。……いろいろ、機密があるのでね」
「てめぇ……マジかよ……っ!」
話は終わった、とばかりに手をひらひら、と振る男を一瞬睨みつけると、ヴァッカリオはホールを飛び出した。