蛇の哭く頃に - 2/7

◆◆◆
 
 私は思わず息を飲んだ。青年があまりにも凄んだ顔をしたからだ。ふざけた軽い口調ながらも、臨場感のある語り口。聞いているだけで、まるで自分もその現場に居合わせたかのような錯覚に陥る。
 青年が口を噤んでコーヒーカップを手に取った。その瞬間、喫茶店のジャズが耳に流れ込んでくる。すっかり青年の話に夢中になっていて、ここが喫茶店であることすら忘れてしまっていた。
 慌てて自分のノートを確認するが、そのような状態でもしっかりとメモは取ってあった。口を酸っぱくしてどんな些細なことでもメモを取れ、と半ば習慣づけしてくれた定年直前の先輩記者に感謝をする。今時、音声レコーダーも動画録画も簡単にできるんだからそんなのめんどくさい、と思っていた昔の私に反省だ。勝手に手が動くほどに鍛え上げられたおかげで、聞き逃さずに済んだ。
 それにしても。私はメモの内容を再確認しながら目の前の青年を盗み見る。休憩タイムのつもりなのか、コーヒーをちびちびと飲んでいた。
 語るにしても、非常に抑揚が付いていて面白い。そういう才能があるのだろう。いや、芸術の神であるアポロン神の神話還りなのだから、本人が自覚しない程度に演劇の才能でもあるのかもしれない。
 神話還りを相手にして取材をするとき、その能力に飲み込まれるな。そう教えられていたが、確かにこれは危ない。わかっていても、相手のテリトリーに引き込まれてしまう感覚がする。抗いがたい青年の語りの魅力に、私は抵抗するようにぬるくなったコーヒーを口に含んだ。
 
「確か、あなたは最初に『そいつ』がいるなんて知らなかったと仰ってましたが……つまり、その化け物の様な大蛇がいると知らなかったということですか?」
「そうそう」
 
 青年はコーヒーを飲み終えてから口を開いた。客は私達だけ、暇そうにしていた店員がすぐに空になった食器を片付けにくる。話を聞かれたくないのは私も青年も同じで、店員が戻るのを確認してから会話は再開された。
 
「俺たちは知らなかったけど、一応、一般市民から目撃情報っぽいのは上がってたらしい」
 
 後から先輩に聞いた、と青年は付け加えた。私はノートにペンを走らせる。ふむ。
 
「では、アポロンフォースはその一般市民からの目撃情報に対して動かなかった、と?」
 
 これは重要なポイントだ。フォース内の内輪揉めもスキャンダルにはなるが、市民に対する応対で何かしらの瑕疵があれば、それはそれでより『良い』スキャンダルになる。残念ながら、私が所属している出版社はどちらかと言えば低俗な雑誌がメインで、三流と言われればその通りですね、と返すしかない程度の会社だ。……よく、私の出版社に取材対応してくれていると思う。どういった手を使ったのだろう。
 私が無駄な事を考えている間に、青年も考えをまとめていたようだった。
 
「んー、上の方は動いていたらしい。ここからは全部噂で聞いたことだからあんまアテにならないけど」
「それでも結構です」
「じゃあ噂でって区切っといてくれよな。目撃情報があって、そのタイミングと俺たちの研修合宿がほぼ一致してたからさ、そこでついでに現場の確認もしようと考えたらしいよ。なんか例年より引率役のヒーロー多かったらしいし」
 
 なるほど、と私は頷いた。噂、と強調した小見出しの下にメモを書きつけていく。
 もしアポロンフォースが動いていなかったと言質がとれたならスキャンダルになったが惜しいかな、噂とは言えしっかり動いていたらしい。目撃情報も恐らくそこまで信憑性があるものでもなかったのだろう。フォースを動かすとなれば市民の税金が使われることになってしまう。節約のためにも「合宿のついで」にしたと考えられた。実に合理的である。
 それから、この食えない青年も。あくまでも『噂』ということにして、巧妙に言質を取らせなかった。なかなか、アポロンフォースの牙城を崩すのは難しい。私のような経験の浅い記者が立ち向かえるわけもなかった。
 小さく深呼吸をして、意識を事件の方に戻す。あくまでも今日の取材のメインはアポロンVIが入院するほどの事件について、だ。欲を出して肝心の内容を逃してはたまらない。編集長に怒られてまた給料を減らされてしまう。そろそろ夏に向けて新しいワンピースが欲しいのだ。私だってお洒落をしたい、いつもくたびれたワイシャツとハンチング帽の先輩記者を渋いと思わないこともないが、それはそれこれはこれ。
 
「まあ、なんか『化け物を見たー!』みたいな不確定情報じゃ動きづらかったんだろ。ぶっちゃけそういう系の通報はしょっちゅうあるし。今回はそれが本当だったわけだけど」
「それはそうでしょうね……それで、その、大蛇の正体は……」
 
 青年は目を瞬かせた後にまたしてもにんまりと人を食ったような笑みを浮かべた。
 
「正体はまた後で。とにかく、大蛇の目撃情報があった、ってことで」
 
 煙に巻くような言い方をされ、釈然としないものを感じつつも、青年の話の腰をこれ以上折るのも憚られた。大蛇の正体も気にはなるが、今すぐでなくても良い情報だ。
 
「店員さーん! ちゅうもーん!」
 
 ……私が悶々としているのをわかっているのか、わざわざ店員を呼んで焦らす。青年は勝手にコーラを頼んでいた。私も、追加でコーヒーを頼む。
 
「いやほんと、コーヒーの飲みすぎは良くないって。せめてカフェオレにしたら?」
 
 そう言って、青年は私の注文をブラックコーヒーからミルクたっぷりのカフェオレに変更してしまった。確かにここに来る前にも緊張のあまりコーヒーを何杯か飲んでいたように思う。大人しく、医療のプロフェッショナルの忠言を聞き入れることにしよう。
 
◆◆◆
 
 ええっとどこまで話したっけ……ああ、そうそう、大蛇がいたって目撃情報があった、ってところまでな、うん。
 その話はあっという間に新人の中で広まって……まあそこそこに動揺が広がった。だけど、言うほどみんな不安そうにはしてなかったかな? 今思えば、あまりよくわかってなかったんだろう。逆に引率のベテラン組は事前に大蛇の話も聞いていたから、あれだけ緊張していたんだろうなぁ。
 事情を聞いてないけど空気でヤバさ加減を察知した先輩ヒーローはさすが先輩って感じ? 俺らが「合宿中止になんのかなー」とか呑気に話してるのを横に、顔を青くして自前の人造神器の動作チェックとかしてた。
 ちなみに俺たち新人はまだ支給されてないから無いよ。そう、新人の訓練中に人造神器の暴発~! なんてあり得ないワケ。
 
(私はこの部分を大いに強調してメモをした! 非常に重要な証言だ)
 
 戻ってきた班のやつらに聞いたら、木がへし折れた跡とか大岩が転がったような痕跡があったって。それでますます、引率担当の人たちが厳しい顔して……あと、何回も通信してたからアポロンフォースと連絡取ってたんだと思う。
 そのうち、一番偉い人が「午後の予定は全て中止とする! 各自、指示があるまで待機!」って大声で怒鳴った。
 待機って言われてもなあ、何して待てって言うんだよ、とか思いながら、まあ周りと雑談しながらちょっと運動とかしながら。ほんと、この時はそんなに大変なことになるなんて俺らは全然思ってなかったんだって。
 引率役のベテラン組も先輩ヒーローも何回か山の方に入って確認したり、見回りしたりしてて。
 そのうち、撤収するから片付けを、って話になった。まあそりゃそうだろ、ここまで不穏な空気になった状態で合宿続行! とか言われても普通に嫌だし。
 なんかやばいことになったなぁとか言いながら、俺たちは片づけをしてた。ちなみに、俺たち医療チームは合宿中のカリキュラムでサバイバル時の応急手当についてを学ぶことになってたから、そういう簡単な応急手当セットを各自持ってたんだよね。後でこれ役立つから記者さんちゃんとメモっといて。
 
(言われて私はメモをした。応急手当セットが役立つ、ということはつまり、この後に流血沙汰が起きるのだろう……)
 
 まあ当時はね、こんなのより人造神器くれよ~って思ってたんだけど。医療部隊に配属されると、個々人の能力によりマッチした形にチューニングされた人造神器が用意されるんだってさ。確かに攻撃だけしてればいいヒーローに比べたら俺たちはもうちょっと専門性が高くなるしね。
 アポロンフォースの中でも弓矢が得意な人もいれば無手が得意な人もいるわけで。それぞれ、ちゃんと人造神器は長所を伸ばすものが与えられるんだよ。
 ……話が逸れた。
 元に戻すけど。
 そうやって片づけをしていたら、山の方からものすごい轟音が聞こえた。それまで、ワイワイガヤガヤ喋ってたのが一瞬で静かになるぐらい。
 
(私はその言葉に思わず身構えた。ここまでの話の流れから、この先に何が待ち構えているのか……否応なしに想像が掻き立てられる。実にこの青年は語りが上手い。そして、私の表情の変化も確実に把握しているようだ。気が付けば、彼はすっかり真顔になっていた。思わず生唾を飲み込んでしまう)
 
 え、と思って、俺も含めてみんな山の方を見た。人工的に整備されたキャンプ場の奥に広がる、雑木林のさらに奥。薄暗い木々の向こう。
 『そいつ』が、いきなり現れた。そうだよ、例の大蛇さ。
 その大蛇は「たまたまこっちに来た」って感じじゃなくて、明らかにベースキャンプに突撃してきていた。さきに引率のヒーロー達が飛び出して行って、その後に遅れて先輩ヒーロー達が。いやあ、俺ら新人なんて何もわからずフリーズしてることしかできなかったよ。さすが、これが経験の差ってやつね。
 え? 蛇の大きさ? うーん……マジででかかった、ぐらいしかなあ。どんぐらいの大きさって言われると表現しづらいけど、少なくとも明らかに「生物の範疇を超えていた」って感じ。ほら、巨大な蛇が人間を襲いまくるパニック映画あっただろ? あの蛇なんかよりよっぽど大きいぐらい。人間なんて丸のみどころか、あいつにとってはおやつにしかならないんじゃないかって。
 あとの報告書だと20m級だか30m級だか、そんなことが書かれてたって聞いた。戦闘映像とかから正確な大きさを導き出してはあるけど、たぶん機密なんだと思う。……いやー記者さん、この話はガチで掲載禁止で。あくまでも俺の感想のとこだけにしといてくれよ、な?
 で、めっちゃでかいから、こっちの攻撃も簡単に当たるだろう……って考えるじゃん? 全然、そんなことなかった。見た目の割に異様に俊敏で身軽に回避するし、そもそも鱗が硬いのか先輩たちの攻撃とか普通に弾いてたし。
 もうその辺でやばいなって、ようやく気付いた。
 ……なんつーか、俺らもヒーローになったって思ってても、やっぱ心のどこかではまだ「守られる側の市民」の心があったんだろうなーって今になって思うね。
 その大蛇が尻尾を振ったら取りついて攻撃しようとしてたヒーロー達は弾き飛ばされたし、一緒に巻き添えで弾かれたなんか石? ブロック? みたいなのもものすごいスピードで飛んできて大変なことになったし。
 んー、大蛇の攻撃は普通に暴れてるだけで、なんか……ほら、口から炎吐いたり、目からビームとか、そんなことはなかった。まあそれは俺が見てた時だけ、だから実際はどうか知らないけど。
 で、俺たちがフリーズしてぼけーっと立ってることに気づいた引率の人、たぶん一番偉い人が「全員撤退! 撤退ー!」って叫んで逃げろ! って言ってきたんだけどさ。
 撤退ってなんだよ、って。俺らアポロンフォースに入隊してからこの方、座学やヴィランの制圧方法とか基礎体力向上とか、そういうのはやったけど撤退の練習とかほとんどした事ないんだって。ま、ヒーローに撤退の二文字はないからね。
 それで我に返った何人かがキャンプ場の出口に走り始めて、その後に右往左往してるやつらが荷物を取りに行こうとしたりして。
 でも、先輩ヒーローが「荷物は捨てて走って逃げろ!」って必死になって言うから、もうみんな全部荷物放り投げて、その時持ってたものだけを抱えてダッシュし始めた。
 そこでさあ。
 俺と同期の奴ら。三馬鹿な。バカ姫、クソマジメ、ヒョロガリ。
 俺含めた医療チームな、後方支援だからさ。やっぱ、他の同じ同期のヒーローでも現場組とは鍛え方が違って。周りの全力疾走に全然ついていけないわけよ。たまに後ろから轟音と共にいろんなものが吹き飛ばされてくるし。ケガしてる先輩とか。
 もうパニックで、ヒョロガリなんかもう泣きべそかいてて。
 しかも大蛇もでかいし俊敏だし、見た目以上に動きが早くて、ふと振り返ったら目と鼻の先まで来ていた。逃げる俺たちを追いかけてきたんだ、あいつ!
 それが動物の本能なのか、何か理由があったのかは俺は知らないけど。そんなところで、先頭を走ってたクソマジメの野郎が転びやがって、後ろを追走してた俺らも全員見事に転んだよ。バカか? ヒーローのくせに足を縺れさせて団子みたいになって4人で地面に転がって、いってえ、って思いながら顔を挙げたら、大蛇とがっつり目が合って。
 あ、オワタ、俺はそう思ったよ、マジで。なんかもう、逃げようとか反撃しようとかの前に、「死ぬわ俺」っていう感情……感情って言うかそういう予感? みたいなので頭がいっぱいになった。
 キャアアアア、ってバカ姫が隣でクッソデッケエうるさい悲鳴あげてるの耳にしながら、大蛇を見上げてた――そこに、その爛々と光る大蛇の目を射抜く、目よりも輝かしい光の矢が空から降ってきた。
 
 ――そう、アポロンVI様の登場さ。
 
 どこから撃ったのか知らねえけど、光の矢は見事に大蛇の片目を貫いた。大蛇も完全に視界の外からだったからか、ワンテンポ遅れてその痛みに気づいて恐ろしいほどの悲鳴をあげてのたうち回った。いやのたうち回るだけで周囲にすんごい被害が出てるんだけどな、でかいから。
 そこでようやく俺たち超鈍臭い新人医療チームの4人も体勢を立て直して、ほうほうの体で這いずって隅っこまで脱出できた。……そうだよ、完全に腰が抜けちまってよ、他の新人ヒーロー達みたいに一気に下山まではできなかったんだよなあ……何とか、大蛇から逃げるので精一杯。
 まあとにかく。アポロンVIにガツンとやられた大蛇は、散々にのたうち回った後に腰が抜けた俺たちみたいに情けなく山奥へと逃げて行ったのさ。
 どこから駆けつけてきた救援部隊に「大丈夫か!?」って声掛けされて、いやほんと、第一線で働いてるエース級のヒーローって安心感が違うなあなんてホッとしたもんだよ。
 中でも、やっぱり、アポロンVIだよな、状況把握の為にいろんな人に指示出して現場を取り仕切ってたんだけど、ちらっとこっちを見た時、なんつーのやっぱカリスマオーラみたいなの出てたなぁ……危機をああやって救われれば、そりゃファンも増えるわ。