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ついにアポロンVIが登場した、と私は緊迫する展開の中で心臓をどきりとさせた。ここからが本番と思いつつも、大蛇の登場から撃退までを一気にしゃべった青年は一息つくようにコーラを飲んだ。
私もガリガリと勢いよくペンを走らせ、あらかた聞いた内容を書き留めてからほうと息を吐く。最初ののんびりとした合宿の話から一転、まさかの事態に。これで息を詰めずにいろというのも無理なものだろう。
「なあトイレ行ってきていい?」
青年に聞かれ、私は頷いた。そう言えば、と思い立ち、私もノートを含めた手荷物を持ってお手洗いを済ませる。例え喫茶店の中で限られた人間しかいないだろう場所でも、取材ノートというものは命に次いで大切なものだ。肌身離さず持ち歩けと言われたとおりにしている。……そして、ここまでの話の内容だけでも、今の私のノートはかなりの劇物になってしまっていた。これを盗まれたり落としたりしたら、本当に大変なことになるだろう。
お手洗いを済ませ、席に戻る。先に戻っていた青年はコーラを飲みながらメニュー表を見ていた。
「何か追加注文するならどうぞ?」
「うーん……じゃあ、つまめるスナックでも」
大丈夫だ、今日の取材費に上限はない、どこまでも払える青天井だ。スナック程度で青年の口がさらに回る様になるなら安いものである。
店員に注文する青年を見ながら、私はまとめたノートの内容を再確認した。唐突な大蛇という非日常の登場、まるで歯が立たないヒーロー達、逃げそびれる若い新人ヒーロー、そして、そこに颯爽と現れるアポロンVI率いるアポロンフォースのエース部隊。
まさかアポロンフォースの手の込んだプロモーションではあるまいな、と私は思わず勘ぐってしまう。よくよくできているシナリオだ。
「この時の被害について教えてください。負傷者はどの程度でしたか?」
「負傷者はそこそこでたよ。重傷から軽傷まで様々。本当に擦り傷程度の人から、骨折してる人までいろいろ。俺もちょっと詳しくは知らないから、見た範囲だけだとそんな感じ」
見た範囲、という事は真実なのだろう。噂であればしっかり噂で、と言う人間であるから、この青年は。
「死者は?」
「ゼロ。引率担当を増やしておいたのと、やっぱ事前に情報を出して警戒してたからよかったんじゃない?」
ちなみに俺は無傷ね、と青年は笑った。それに私は「良かったですね」と返す。もし重傷だったら、そもそも彼はここにいないだろう。アポロンVIと同じ病院でベッドの上の住人になっているはずだ。
「それで……その規格外の大蛇の正体は?」
ついに核心に触れる。後で、と言っていた青年は少しだけ考えるそぶりをした後に、目を細めて口を開いた。どうやらここで種明かしをしてくれるようだ。
「……あれは、神話還りの一種らしいぜ」
その言葉は、私の脳を貫いた。
このオリュンポリスという特殊な国では化け物の類、要はビルよりも大きい巨人であったり異様な風貌をしたヴィランであったり、そういうものはさほど珍しくはない。それは『神話還り』という特殊な存在がいるからだ。
神話還りはヴィランとなるものもいれば、ヒーローとなるものもいる。あるいは、一般市民として生活するものも。ただ、それは『人間』というくくりの中でのこと。
つまり、オリュンポリスの歴史の中で初めて『動物の神話還り』が確認されたのだ。
「それは……何かしらの神話還りが、通常の蛇を変化させただとか、何かしらの手法を使って召喚したとかではなくて……」
青年は物々しく頷いた。
「確固たる証拠はない。だが英雄庁としては『人知を超えた存在であるならば、神話に連なるものだろう』っていう見解らしい。一応、その大蛇の周辺でいわゆる術者的な存在を捜索はしてるみたいだけど、まあいないだろうって」
あの大蛇は、明らかに『野生』なんだ、と青年は続けて言った。
一瞬だけ訪れた二人の間の静寂に、タイミングを見計らってたのか店員が注文された品物を持ってきた。そして空いた手で二人の飲み干し終わったグラスとカップをひょいとトレイに載せて運び去っていく。青年はテーブルに置かれたスナックにすぐに手を伸ばし、口に放り込んでいた。
私は。私は、今聞いた衝撃の事実をノートにメモし、大きく丸で囲んだ。なんなら、色の違うペンで目立つようにさらに装飾した。
今日の取材は、本当にとんでもないことになってしまった。神話還りと言うのは人間にしか発露しないとされてきた。それがどうだ、今度は動物にもあり得るという可能性を示した。これはオリュンポリス中を震撼させる大ニュースである。
例えば、動物園の猛獣がある日突如神話還りとして覚醒し、暴れだしたら? 飼っていたペットが神話還りとして覚醒してしまったら?
そういった可能性を考えるだけでも恐ろしい。オリュンポリスの日常がこれからはがらりと変わってしまうだろう。
「英雄庁はこれに対して……その、どうするつもりなんでしょうか……」
「さあ? 俺みたいな新人のペーペーにそんな情報は下りてこねえよ。ただ、まあ……今回の事件がカバーストーリーで隠蔽されてることからわかるように、英雄庁としてもそう簡単に広く公表するわけにはいかない、って思ってんじゃないの」
「なるほど……」
それははぐらかされたようにも感じたが、知らないと言うものを突っ込んでも致し方ない。これがもっと上の人間であったり、英雄庁の本庁勤めの人間であったりするならば食い下がるところだが、私はちらと青年の顔を見て、早々にこの話の詳細について詰める事をあきらめた。スナックで頬を膨らませてる姿からはどう見てもそんな大スクープの内情を詳しく知っているように見えなかったからだ。
代わりに、と大蛇について詳しく掘り下げる。ノートの1ページを使って大蛇のイラストを描いてもらったが……さすが、アポロン神の神話還りなのか、非常にわかりやすいイラストだった。比較対象として大蛇の隣に木やキャンプ場の施設、テント、それから青年のシルエット。おかげで、大蛇がどれほどの大きさでどれほどの迫力であったかよくわかった。
私が描いたメモのイラストがミミズに見えてくる。相手は神話還りなのだから、と言い訳しておいた。大丈夫だ、会社に戻ればもっとちゃんとしたイラスト担当がいる。私はただの記者だ。取材して話してもらった内容をまとめることが仕事なのだ。
「ついでに現場の見取り図も描いてやるよ」
私が大蛇のイラストに感嘆の声を上げたことに気を良くしたのか、青年はさらに次のページに事件現場となったキャンプ場の図を描いてくれた。
「なるほど……大蛇はこちらから来て、ここで引率役の方々が迎え撃ち……」
「そうそう、それで俺たちはこっち方面に逃げて……」
青年が描いた見取り図に、さらに人間の動きを書き加えていく。うん、これは非常にわかりやすい。これならば編集長も満足するだろう。スナックとコーラと言わず、君はもっと何でも頼みなさい。
「で、この辺でアポロンVIの攻撃で大蛇が尻尾を巻いて逃げて」
ほうほう、と話を聞く。見取り図上では、キャンプ場の大きさに比べて大蛇はずいぶんと大きく見えた。こんな化け物が乱入してきたなんて、恐ろしい話だ。もし、キャンプ場をアポロンフォースの合宿場として貸し切りにしてなければ、今頃被害は甚大だったであろう。
「……それで、蛇が逃げた後は、負傷者の応急手当てをって話になった」
「アポロンVIの指示ですか?」
ああ、と青年は目を瞑って思い出すかのように唸った。どんな指示だったかな、と小さく呟いてから彼は口を開く。
「まず、新人ヒーローは原則全員下山。若手……俺たちの1つ上の先輩たちね、先輩たちは新人をガードしながら一緒に下山。それから引率のヒーローで負傷した人は下山」
私は一つ前のページに戻って、被害状況の個所に追記を行っていく。アポロンフォースのエース部隊が対応して、それ以外は全て現場から撤退させるというのだから、本当にその大蛇は強敵だったのだろう。
こめかみを指でトントンと叩きながら思い出す青年が続きを話すのを待つ。
「えーっとあとは……下山組はそんなもんか。後、応急手当をしてから自力下山する人と、要担架で救援部隊待ちの人がいて、それ以外はみんな大蛇討伐のために残る、って感じかな」
私はペンを走らせた。話に上がった人数を見ても、ほぼアポロンフォースのヒーローが全員で取り掛かっているように感じられる。情報がこれまで全く出てないのが信じられないぐらいだ。
これだけの人数が負傷し、さらに自力で動けないほどの重傷患者もいるというのであれば、事件の当日に病院へ担ぎ込まれているだろう。妙に慌ただしかった病院を探して、病院関係者への聞き込みも有効なように思う。後で暇そうにしている先輩たちに手伝ってもらおう。……私はこの取材をまとめる仕事があるから、張り込みには出られない。……断じて病院関係者に張り付いて煙たがられながらまとわりつく突撃取材がめんどくさいわけではない。この取材は私に任せられたものなのだから仕方がないのだ、ハッハッハ。
私がペンを止めたのを見た青年が、口いっぱいのスナックをコーラで流し込んだ。
「続き、いい?」
「どうぞ」
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まあそういうわけで、アポロンVIの指示であっという間に乱雑な現場が統制されて、各々が動き出した。引率のヒーローからフォースへの連絡があって、アポロンVIはすぐに前線で戦えるヒーローだけを連れて最大速度で現場まで来たらしい。
つまり、後方支援のヒーロー、治療ができそうなヒーローは連れてきてなかったんだ。ほら、俺たち新人も医療チームだけのろまで置いてかれてただろ? やっぱ、成長しても前線で戦えるガチの戦闘職とは出せるスピードが違うんだよ。
(なるほど、と思いながらペンを走らせ、ふと私は気が付いた。なぜこの話をするのか? 治療ができる医療系のヒーローがいないのに、患者がいる。そして、これより少し前に青年が言っていた「応急手当セット持ってるってメモして」という一言。私は察した、つまり)
そう、アンタが察した通り。俺たち、新人の医療チームが応急手当を担当することになったんだ。そりゃまあ、医療チームの先輩もいるんだけど。最悪なことに、医療チームの引率担当のヒーローは俺たちを逃がそうとして大蛇の足止めに入って、吹き飛ばされて大怪我をしていたんだ。それも、意識不明の重体。……後方支援担当で、戦闘なのにからっきしなのに前に出るからそうなっちまうんだ。
(引率担当のヒーローの事を話すとき、彼は悲しむような怒るような複雑な表情をしていた。心配になってそのヒーローの現在を訪ねたが、意識は無事に戻ってベッドの上で大人しくしているとのこと。良かった)
先輩に教えてもらいながらなんとかどうにかこうにかやったよ、応急手当……手当っつーか処置、な。研修中なのにいきなり本番の現場に放り込まれて、もうてんやわんやだよ! しかも残ってるのはガチの重傷者ばかりだし。
研修合宿だって言ってそれぞれが応急手当セット持ってたのも良かったし、教材として医療用のアイテム一式を持ってきていて良かった、本当に。しかも荷物を置いて逃げろって言われて全員マッハで逃げたから、治療に必要な器具は全部丸っと残ってた。下手に片づけを進めてベースキャンプから運び出してたらと思うとぞっとするね。
意識がない先輩のバイタル取ったり、本当は人体にはあんまり使っちゃいけない簡易液体凝固薬使って止血したり、まだ合格してないからやっちゃいけない痛み止めやら麻酔やらを注射したり、はみ出た骨を強引に体の中に戻したり、ちぎれかけてる指を縫合したり、ヤバいところに突き刺さった岩石の破片を抜いたり……。
同期のやつがしくじった処置を俺が直してやったりな。逆に俺ができない処置が必要なところは必要な処置をメモって他の同期に丸投げ。まあ誰がどんな能力ってのは明かせないけど、人には向き不向きがあるんだなあって俺はしみじみ思っちまったよ。
それで順次、手当てが終わった奴から動けそうなら下山、動けないけど直ちに搬送が必要そうな人はテントの残骸で即席担架を作って下山を開始した。トリアージもちゃんとやったぜ? 黒タグ、使わなくて良かったって後でバカ姫が泣いてたわ。
そうやって、まだ残ってるヤバい人たちに付き添いながら俺たちはアポロンフォースからの援軍を待ってた。アポロンVIが指示を出し終わった後にこっちに来て「新人であるにもかかわらず居残りさせてすまないな、君たちのことを頼らせてもらう」って言ってきたときはまあ、なんか感動しちまったなぁ……クソマジメなんて任せてください! って胸張ってたけどお前マジでやめろそういうの俺たちにできることなんてせいぜいが先輩の邪魔しないように指示どおりに動くことだけだろうが。
そうやって一段落した時に……また、あいつはやってきた。
そう、あの大蛇さ。
残っているのは動かせない重傷患者と、俺たち足手まとい待ったなしの医療チームと、救援にきたエース級ヒーローの半分。もう半分は、重傷者を搬送するために下山中だった。
だけど、俺たちにはアポロンVIがいる。ヒーローの一人が山奥から降りてきた大蛇にすぐ気づいて、さっきとは全然違う、もう雰囲気から何から何まで洗練された『本物のヒーロー』って感じで、大蛇の撃退にアポロンVI筆頭にエースヒーロー達が勢揃いした。ありゃあ圧巻の光景だったわ。
戦い始めてもやっぱ動きが全然違う。さっきは引率のヒーローや先輩たちの攻撃もあまり効いてない感じだったのに、今度は割と効いてる感じがする。……今思えば、この時はみんな大蛇の弱い腹側とか、口元とかそういうとこ狙ってたのかもな。ほら、俺、前線向きじゃないから。そういう、高速戦闘とか見ても何が起きてるか全然わかんねーし。
だからこりゃあ安心だ、あんな大蛇すぐに撃退できるし、何なら討伐までしちゃうんじゃねーの、と俺はそう思ったわけよ。
◆◆◆
妙なところで言葉を区切って口を閉じた青年を私は怪訝そうに見た。どう聞いても、アポロンVIが大蛇を撃退、あるいは討伐までしてしまう話の流れだったはずだが。
どこか漂う不穏な空気に、思わずたらりと汗が流れる。
青年はおもむろに自分の目を指さし、目、とだけ言った。
「目? あなたの?」
「違う違う。アンタ、さっきの俺の話覚えてるか? 1回目に大蛇が襲ってきた時」
言われて、私はノートのページをさかのぼった。もちろん、覚えてはいるがメモもしっかりと取ってある。その時のメモを読み返しながら、青年の問いに頷けば青年も満足そうに頷いた。
「その時、アポロンVIは蛇の片目を攻撃した。そして、明らかに大蛇のその片目に光の矢が刺さって、傷ついたのを俺たちは確かに見た」
青年がすっと表情をなくす。そして、一層に低い声で驚愕の事実を語った。
「が、今襲ってきた蛇の片目は――無事だった。傷一つない、金色の瞳が爛々と輝いていたよ」
私は目を丸くして、メモを取る手を止めてしまった。青年が語った言葉を咀嚼し、理解が追いつくと同時に青年は続きを話し始める。
「あいつは傷一つなかった、つるりと綺麗な顔をしてやがった」
まあ、俺はその時、そんなことに全然気づかなかったんだけどな、と青年は苦笑を零した。私はメモを取ることを何とか再開して、青年の語りの続きを待つ。青年はグラスに僅かに残っていたコーラを一気に飲んで口を潤してから続きを語り始めた。
「同期のバカ姫のやつが気づいたんだ。『ねえ、あの蛇、目が潰れてないわ!』って」
青年はその同期の女性の物まねをするかのように、その部分だけ声を裏返して喋ってくれた。……同期の女性は、どうやら青年が言う通称のような人物ではなさそうだ。冷静に相手の観察をして、異常を見つけることができる優れた人物なのだろう。やはり強靭なハートの持ち主だ。
そして青年は私に向けてにんまりとした笑みを浮かべた。久々に、この人を食ったような顔を見た気がする。
「さて、その蛇はなぜ傷がなかったのか?」
そう言われて、私は考えこんだ。なぜ……。
「俺はその時は、『傷の治りが異様に早いバケモン』だと思ったわけよ」
「確かに……」
その説に納得したところ、青年は物足りなさそうに私へ視線を向ける。どうやら、自分の予測を話したから、次は私に予測を話せ、ということらしい。ノートを片手に考える。
「もしかして、もう一匹、大蛇がいたとか?」
青年はひゅう、と口笛を吹いた。これが当たりなのだろうか。伺うように青年を見れば、例のにんまりとした笑みをさらに浮かべていた。
「それじゃあ正解発表といくか」