COLD CRUSH - 2/5

 かくして、パンテレイモンはあの酒クズがトップのフォースとは思えないほどのスムーズな事務処理を経て、ディオニソスフォースの臨時清掃員となった。
 幸いにして、エリュシオンマートでのバイト経験が生きて、パンテレイモンは二日目からすでに「清掃のお兄さん」として馴染んでいた。中には、エリュシオンマートで勤務中に知り合った常連客もいる。あのエリュシオンマートが休業中、と言うことを知ったうえで、パンテレイモンが出稼ぎに来ているのだと誰もが信じていた。
 
「いやあ、馴染むね、似合うね」
「……うるさい」
 
 上下を濃い緑色の作業服に身を包んだパンテレイモンは、今日もちょっかいを出しに来た雇い主を睨みつけた。ディオニソスフォースで働き始めて数日、毎日のようにこうしてヴァッカリオが「遊びに」来る。本人は「監督しに来ただけだよ」とうそぶくのだが。
 パンテレイモンはそんなヴァッカリオを置いて、花壇の草むしりの続きを始めた。今日中に、ここのエリアは片づけてしまいたい。特に期限を定められているわけでも、急ぎと言うわけでもない、とのことだが、それでも金を貰っているからにはしっかり働いて成果を出したいのだ。
 そんな真面目なパンテレイモンの評判は上々である。……どこかの、ディオニソスXIIとは違って。
 
「いやいや、おいらもちゃんと仕事してんだって」
 
 パンテレイモンに冷めた目で見られたヴァッカリオは顔の前で手を振りながら自己弁護をした。そのまま、パンテレイモンの隣にしゃがみ込む。パンテレイモンがなんだ、と口を開くより先に、ヴァッカリオが声を潜めて話し始めた。
 
「アンタがここに匿われてるってこと、向こうも気づいたらしくてな。なかなか、業を煮やしているみたいだ」
「ほう」
「敵さん意外と焦ってるみたいで……近々、動きがあるかもしれねえ」
 
 パンテレイモンは、目の前の雑草をぶちりと抜いた。うまく引き抜けず、根っこの部分が残ってしまっている。仕方なく、自分の手から小さなスコップに持ち替えて、土をほじくり返した。ヴァッカリオは、黙ってその様子を見ている。
 掘り返した中から土と根っこを選り分けて、土は元の場所へ、根っこは後で捨てるための袋へ。
 
「つまり、私にも清掃以外の仕事がくる、と?」
 
 小さく呟きながら、パンテレイモンは次の雑草へと手を伸ばしていた。ぶちり、今度は根っこごとうまく引き抜ける。根についた土を払い、これも袋の中へ。
 
「もしかして、アンタ、意外とここの仕事気に入ってる?」
「あそこの店より、給料も良くて福利厚生もしっかりしている。貴様が邪魔をしにくるという一点さえなければ、最高の職場だ」
「え~そんな寂しい事言わないでよ~」
 
 パンテレイモンの肩に手を回そうとするヴァッカリオを、パンテレイモンは煩わしそうに打ち払った。長身のいい歳した男が、隣でくねくねしている。……それさえなければ、本当に最高の職場なのだ。
 ヴァッカリオはつれないパンテレイモンの反応に飽きたのか、立ち上がって体を伸ばした。背筋から腰まで、筋肉をほぐすかのようにぐ、ぐ、と何度か体を回す。
 
「ま、そういうわけだから。なんかあったらすぐ報告してくれ」
 
 わかった、とパンテレイモンは大人しく頷いた。ここまで付き合って、天邪鬼を出す必要もあるまい。パンテレイモンも、早く平穏な日常に戻りたいのだ。ここで稼いだ金を元に、アレス零の新作グッズを買い漁らなければならない。何より、早くエリュシオンマートに戻って、アレイシアの為にファーストフードを大量に用意するという使命がパンテレイモンにはある。
 真面目な顔をしたまま、悶々とアレイシアへの愛を脳内で語りつくすパンテレイモンにヴァッカリオはうっすらと気づいて微妙な顔をした。パンテレイモンに伝えてない部分で、なかなか大掛かりな案件になっているというのに、そんな時でもアレイシアの事を……。
 伝えてないから仕方ないとは言えなあ……とヴァッカリオは頭をかいた。ひとつため息をつくとしゃがんで草むしりを続けるパンテレイモンの方をぽん、と叩く。
 
「向こうが早いか、こっちが証拠を押さえるのが早いか」
「いい勝負をしているのか」
「そこそこ。今は均衡状態だが……逆に言えば、次の動きで一気に方がつくかもしれねえ。それまで張り切って清掃のお兄さんしてくれよな」
「言われなくても。そっちこそ、さっさと片づけてくれ」
 
 結構、頑張ってるんだけどなあ、とヴァッカリオは肩をすくめて苦笑するにとどめておいた。……まあ、実際のところ、頑張っているのは、ヴァッカリオの部下たちなのだ。今日も証拠集めや敵の動向監視、各種情報の精査に走り回っているだろう。
 事件が片付いたら、部下たちを労うためにポケットマネーを差し出す必要があるかもしれない。何しろ、ディオニソスフォースに所属するヒーローはとにかく、大酒飲みだ。安くて飲み放題のあるチェーン居酒屋でも早めに抑えておこうか、とヴァッカリオは執務室に戻ろうと踵を返した。
 
「おい」
「あん?」
 
 数歩、歩いたところで、花壇から呼びかけられる。パンテレイモンが、軍手を外して個人用端末を操作していた。ヴァッカリオは振り返って、その様子に眉をあげる。
 
「……動いたみたいだぞ、奴ら」
 
 端末の画面を見せるパンテレイモンの手元をヴァッカリオは覗き込む。そこにあったメールの発信者は、パンテレイモンが勤めているエリュシオンマートのオーナー。このタイミングで、パンテレイモンを「仕事関連の大事な話」で呼び出してきた。
 
「わーお、おいらったら完璧なタイミング!」
「偶然だろうが」
 
 画面を見るために近づいたヴァッカリオに、パンテレイモンは嫌そうな顔をする。男二人、綺麗な花が咲き誇る花壇の前で、小さな端末の画面を頭を寄せて見ていた。
 
「ほーん、勤務実態についての聞き取りねえ……なに、こういう事、前からやってた?」
「まさか。そもそも、オーナーから個人宛の端末に連絡が来ること事態、稀だ」
「どう考えても、罠、だな。アンタをディオニソスフォースから誘き出そうって」
「わかりやすいにも程がある」
 
 パンテレイモンは呆れた声を出した。それはそうだろう、一時期は世界中を牛耳った悪の親玉、プロメトリックとして策略を張り、奸計を巡らせ、やりたい放題に人類を手玉に取ってきた男だ。彼から見れば、このような杜撰極まりない犯行など、子供のお遊びのようなものだろう。
 不満そうに鼻を鳴らすパンテレイモンを見てから、ヴァッカリオは不敵に笑った。
 
「せっかく向こうがダッセェ罠を仕掛けてくれたんだ、遊び行ってやらないとな」
 
 ヴァッカリオはそのメールを指定したディオニソスフォースの宛先に転送するように指示して、執務室へと小走りに駆けていく。その後ろ姿を見送ったパンテレイモンは、端末を作業服の胸ポケットに放り込み、軍手をもう一度着け直した。
 犯人の指定した時間は夜、ディオニソスフォースの定時後。まだまだ定時までに時間はたっぷりある。パンテレイモンは、このエリアの草むしりを今日中に終えたいのだ。
 
 
 
 ディオニソスフォース定時後、しばらくのち。すでに外は暗くなり、様々な家で一家団欒の時間が設けられているはずだ。
 パンテレイモンはこちらの宿舎に引っ越してくる際に持ってきておいた、カジュアルな服装に着替えてディオニソスフォースの通用門で人待ちをしていた。
 ヴァッカリオにオーナーからのメールを見せた後、パンテレイモンの個人端末に電話もかかってきていた。出たところ、女性の声で「労働基準監督署の方から」と。胡散臭いにもほどがあるな、とパンテレイモンは内心でため息をつきつつ、女の話を大人しく聞いた。なんでも、過重労働になっていないか勤務実態を聞き取りたい、とのことで、オーナー以外にもう一人、実際に働いているアルバイトの人間の同席を依頼したいのだとか。
 ヴァッカリオからエリュマの改装工事すら敵の計画の内であると聞いていなければ、パンテレイモンも騙されていたかもしれない。少なくとも、オーナーは完全に騙されているようだ。
 
「おーう、お待たせ!」
「遅い……貴様、一人か?」
 
 ヴァッカリオの声に振り返ったパンテレイモンは、不審そうな顔をした。わざわざ罠に嵌りに行くのだから、それなりに護衛を揃える、と数時間前にこの男は言っていたはずだが。
 
「いや~。なんかみんな忙しくってさ~。暇なのおいらしかいないんだって」
「はあ??」
「いいじゃん、最強のディオニソスXIIが護衛なんだぜ? 大船に乗ったつもりでいろって!」
「貴様、それとこれとは……ウッ! 酒くさっ!」
「あ、さっき景気づけにって思ってちょいと食堂で飲んできた」
 
 鼻を摘まんだパンテレイモンは信じられない汚物を見る目つきでヴァッカリオの事を見た。さすが神酒を武器とするディオニソスフォース、職場でありながら食堂にはアルコールが多く並んでいるという。そして、ヴァッカリオはこの重要なタイミングで一杯ひっかけてきたらしい。
 今のヴァッカリオは、黒のハイネックパーカー、それもロング丈というヒーローの服装と言うよりも夜の住人が好みそうなファッションをしていた。そして、黒のハーフパンツといつものスポーツレギンス。そこにこれまた黒のキャップをかぶれば、全身黒一色。それこそ、ハイネックパーカーのファスナーを口元まで上げているおかげで近づいて顔を合わせなければ酒臭さにも気づかないだろう。
 恐らく、隠密護衛のつもりなのだろうが……逆に、目立ちはしないだろうかとパンテレイモンはまじまじとヴァッカリオを見る。その視線に気づいたヴァッカリオは、キャップとパーカーの隙間からパチンとウインクを飛ばしてきた。パンテレイモンの全身に、一瞬で鳥肌が立つ。
 
「不審者そのものではないか」
「顔出しはちょっとマズいからね~。いつもの服装でもバレちゃうし」
 
 ヴァッカリオはそう笑いながら、パンテレイモンを連れてディオニソスフォースの駐車場を訪れた。オリュンポリスで最もよく見かけるだろう、いたって普通の一般車両が置いてある。ヴァッカリオは車のカギをパンテレイモンに押し付けて、自分はさっさと助手席に乗り込んだ。……もしかして、運転したくないからわざと酒を飲んできたのだろうか。
 パンテレイモンは憤慨しつつ、運転席に乗り込む。ヴァッカリオは早くも助手席のシートを倒してくつろぎモードだ。
 
「あ、ルートは入れてあるから。一般道じゃなくてハイウェイ使うよ」
 
 犯人たちが指定したのは、アルテミス区にある某ファミレス。パンテレイモンが勤めているエリュシオンマートが存在するのはハデス区とディオニソス区の境目あたりにあるというのに。わざわざ、ディオニソス区から遠く離れたアルテミス区を指定してきた。少しでもディオニソスフォースの介入を避けたい犯人グループの涙ぐましい些細な努力に、ヴァッカリオも胸を打たれるわ、と肩を震わせて笑っている。
 ヴァッカリオの部下、ディオニソスフォースの人間が忙しくて手が離せないというのも、本当の事。すでに何人かは現地入りして犯人グループの動向を監視しているらしい。さらに、すぐに本拠地に立ち入りできるように準備と、証拠品の精査と。
 パンテレイモンは車を発進させた。助手席のヴァッカリオは、と言えば、パーカーの襟部分で口元を隠しながら、何やらぼそぼそとつぶやいている。どうやら、黒一色の服装にはそれなりに意味があったらしい。パーカーと同色の小型ピンマイクとイヤホンを着けて部下たちに指示を飛ばすヴァッカリオは、鋭い眼差しをしていた。
 そう、ヴァッカリオという男は、やるときにはきっちりとやり遂げる、そういう男なのだ。悔しいが、パンテレイモンもそれは認めざるを得ない。
 
「……チッ」
 
 走り出してしばらく。助手席のヴァッカリオが苛立ったように舌打ちをして、長い足を組み替えた。パンテレイモンは半自動運転に設定したハンドルを離さずに、ちらりとヴァッカリオに視線を向ける。伺うような気配に気が付いたヴァッカリオは、一度キャップを脱いで前髪をかきあげた。
 
「なるべく危険は回避したかったんだけど。わりぃ、撃ち漏らしがこっちに来そうだ」
「包囲に失敗でもしたか」
「ああ。向こうの方が一歩早く、こっちに向かってるらしい。今のところ、何も実害がねえからよ、ウチとしても身柄拘束まではできなくてな……」
 
 そう言いつつ、ヴァッカリオはまた助手席のシートに沈み込み、耳元のイヤホンを押さえつけた。パンテレイモンが出発すると同時に、あちこちで一斉に作戦行動を開始させたようだ。ゆえに、「ディオニソスXIIしか暇人がいない」と。
 そのような周囲の喧騒を他所に、パンテレイモンが運転する車は静かに一般道を走り、料金所を通過してオリュンポリスの動脈であるハイウェイへと乗った。
 ヴァッカリオが助手席からちらり、とサイドミラーに視線を飛ばして、静かに「つけられてるな」と呟く。パンテレイモンも、バックミラーを確認して頷いた。
 料金所を過ぎてから、二、三台。濃いスモークを窓に大量に張り付けた黒い車達が。特殊加工をしているフロントガラスなのか、乗っている人間の顔もこちらからは見えないようになっている。
 
「どうする?」
「あー……向こうが仕掛けてきてから、かな」
 
 ヴァッカリオは思案するように言葉を浮かせてから、歯切れ悪く言った。ピンマイクに何事か囁いているのは、こちらに「撃ち漏らした」と言っていた敵が来たと情報を出しているのだろう。
 このまま、何事もなくアルテミス区まで見逃してくれればよいが。パンテレイモンは小さく、ため息をつく。二人を乗せた車はディオニソス区を離れハデス区に。そして、そのハデス区もそろそろ終わり頃だ。次は、アポロン区に差し掛かろうとしている。
 
「最低限、ハデス区で事を起こさなきゃいいんだが」
「……なぜだ?」
 
 ぽつり、呟いたヴァッカリオの言葉を拾って、パンテレイモンが尋ねた。車内は先ほどから沈黙ばかりで、少々飽き飽きしていたというのもある。パンテレイモンの質問に、ヴァッカリオは少しだけ驚いたように目を見開いた後に、気恥ずかしそうにキャップのつば部分を抑えた。
 
「……アンタ、居住地はハデス区だろ? そして、勤務先もハデス区。つまりさ、本来はこの案件ってハデスフォースが担当なわけよ」
「ああ……ディオニソスフォースが横やりを入れてる状態なのか」
「まあ、横やりも何も、ウチが全部引っ張ったって方が正しいけど」
 
 パンテレイモンは黙って、言葉を濁そうとしたヴァッカリオに話の続きを促す。ヴァッカリオは観念したように、口を開いた。
 
「ハデスフォースはさあ、トップがエウブレナに代わって、新体制に移行して日が浅くて。それでこれだけのデカい案件は、ちとキツいんじゃねえかって思ってさ。まあ、ウチが先に気づいたから、ってのもあるけど」
 
 店長の監視、もともとおいらの管轄でその辺はディオニソスフォースの方が体制整ってたからね、とヴァッカリオは言い訳のように付け足した。
 エウブレナ、とパンテレイモンはその名前を胸の中で反芻する。ハデス神と人間の女性の間に生まれた子供で、ハデスIVを襲名した、アレイシアの親友。
 ……ヴァッカリオの、言葉の真意をパンテレイモンが読むとすれば。父親が復活してきたエウブレナに、家族の時間を作ってやりたい、そういう事なのだろう。もちろん、組織としてまだ成長中のハデスフォースがこの件を担当するのは大変なのかもしれない。だが、一つの組織で大変だというなら、他の組織に……それこそ、近隣区のディオニソスフォースに協力を依頼すれば済む話なのだ。
 それをわざわざ、こうしてディオニソスフォース単体かつ表沙汰にしないように、秘密裏に片づけようとしている。十年の間に染み付いた「暗躍癖」が抜けるにはまだまだ時間がかかるのだろう。
 パンテレイモンはふ、と笑みをこぼした。その笑みの意味を如実に感じ取ったヴァッカリオがキャップを深く被り直して助手席のシートに沈み込む。暗躍癖の根元にあるのは、ヴァッカリオ生来の恥ずかしがり屋、なのかもしれない。