COLD CRUSH - 3/5

 ルートを指示するカーナビから、「アポロン区に入りました」と機械音声が奏でられた。パンテレイモンはバックミラーを、ヴァッカリオはサイドミラーを同時に確認して、互いに視線を交わして無言で会話をする。
 
「アポロン区なら、事を起こしても良い、と?」
「誰もそんな事言っちゃいねえって! っていうか、ここだと違う意味でおいらの身が危険なんですけど!?」
「……そうも言ってられんみたい、だな!」
 
 パンテレイモンは、アクセルを一気に踏み込む。一般車両らしい苦しそうなエンジン音を立てて、車は加速を始めた。その両隣を、追いすがるように二台の車が加速してくる。挟み込もうという魂胆のようだ。
 それらの車両から身を隠すように助手席に体を潜ませていたヴァッカリオが、ピンマイクに向かって早口で何かをまくし立てている。その間にも、並走している黒の車両は徐々に、近づいてきた。極端な幅寄せに、パンテレイモンは舌打ちをする。
 さらにアクセルをベタ踏みし、法定速度を超えたスピードでハイウェイの道を駆け抜ける。時間帯の都合で、一般市民の車両が他に数台しかいないのが幸いだった。
 
「後ろからも煽られてんな~」
「おい、どうするつもりだ!」
「いや、なんとかさ、穏便に済ませようと……あ」
 
 ヴァッカリオが間の抜けた声を出すとともに、二人の頭上、ハイウェイ上の設備からフラッシュを浴びせられた。その発生元は、オービス、自動速度取締器。定められた速度以上の車両を自動で検出し、写真撮影を行う機械だ。
 さらに、二人が乗る車両のカーナビからも「速度違反です、ただちに減速してください」と警報が発せられる。交通省が整備したハイウェイネットワークは今日もしっかり稼働してくれているようだ。
 
「止まるわけにはいかないだろう!? 減速したら後ろからやられるぞ!」
「そりゃそうだけどさ! 何がヤベーって、警報があっても減速しないと――」
 
 ヴァッカリオはそこで慌てて口を閉じた。パンテレイモンが、高速のままカーブに突っ込んだからだ。いつの間にか半自動から手動に切り替えていたハンドルを物凄い勢いでぐるぐると回す。かと思えば、カーブの終わりに反対方向へ、車の尻を振りながらハンドルを回し切り。
 
「――アンタ、結構車の運転得意なんだね」
「貴様ら神話還りと違って、一般市民の交通手段はもっぱら車だからな。エリュシオンホールディングス立ち上げ初期に、打ち合わせに遅刻しそうになってよく走らせた」
「あーなるほど……っとと!」
 
 次のカーブも、パンテレイモンは一切減速せずに。敵の車両の方が減速して「安全運転」をしているのだから、どちらが悪役なのかもわからない。ただ言えることは、パンテレイモンの予想外の特技のおかげで、敵との差は詰められそうで詰まりはしない。
 
「たぶん、銃撃はしてこないだろう。実弾使ったら足がつくからな」
「神話還りがいるんじゃないのか?」
「いや、それについてはいないと確認が取れている」
 
 パンテレイモンはそのヴァッカリオの言葉に、何も聞き返さなかった。謎の宗教団体のバックボーンも思想も、パンテレイモンにとっては興味も無ければ知りたくもないものだ。ヴァッカリオが伏せたものをわざわざ掘り返す必要もあるまい。ヴァッカリオが「いない」と言うのだから、あの団体に神話還りはいないのだろう。ヴァッカリオご自慢のディオニソスフォースの情報収集能力をアテにさせてもらう。
 
「……くっ!」
 
 カーブがなく、ただの直線となれば、一般車両であるこちらより馬力がある「高級車」を使っている相手に分があるのは確かなことで。差を詰めた二台の車が、隣に並走する。
 
「ねえ、てんちょ、おいら車酔いしたっぽいんだけど……」
「知るか!! むしろお前も働け!!」
「いやいや、まだまだ、ヒーローの登場はピンチになってから、ね? ……オエッ」
「吐くな! 汚物野郎!!」
 
 まだ吐いてないから汚物野郎じゃないし、というヴァッカリオの抗議は華麗に無視して。どうにか、抜け出せないかとパンテレイモンが頭を捻るものの、逃げる先は前方にしかない、そしてエンジンの馬力は相手の方が上。
 となると、相手が何をしでかしてくるのか――パンテレイモンは、サイドミラーを見てハンドルを握る手に力をいれた。
 これほどまでに予想通りの動きをする敵も珍しいだろう。銃も使えない、神話還りもいない、となれば、「体当たり」するしかない。敵は至極原始的に、車ごとパンテレイモン達に体当たりしてきたのだ。
 
「ぐっ!」
「うおぉっ!?」
 
 高速で走る車同士でぶつかればどうなるか。パンテレイモンは必死にハンドルを捌くが、車両は大きく蛇行する。目の前に迫ってくるのは、ハイウェイのコンクリート壁。あそこにぶつかったら、ひとたまりもないだろう。
 
「クソがっ……!」
 
 パンテレイモンは車両の警報を耳にして、安全自動制御装置が動くのを期待しつつ、ペダルを捌いてハンドルを戻す。焦げ臭い匂いが車内に漂ってくるのは、タイヤの摩擦かもしれない。
 ガリガリ、コンクリート壁に車体の側面を削らせながらも、何とか正面衝突だけは免れた。そのまま走行車線に復帰したパンテレイモンは、アクセルを全開に踏んで、自分たちの行く手を塞ごうとした黒い車の後ろに思いきり車両のバンパーを当てこすった。
 まさか反撃されると思っていなかったのか、ぶつけられた車は先ほどのパンテレイモン達と同じように蛇行して道を空けてくれる。その隙間を逃すことなく、持ち直したパンテレイモンは走り抜けた。
 
「ねえ! 備品! 公用車! ちょっと!!」
「知るか! 壁に正面衝突しなかっただけマシだと思え!」
 
 助手席から上がる抗議の声をまるっと無視して、パンテレイモンはアクセルを踏み続ける。……が。ふと、顔をあげてバックミラーを見た時、自分たちを追走する車三台のさらに向こうに、赤色灯を見た。窓を少しばかり開けてみると、遠くからサイレンの音が響いてくる。
 それに気づいたヴァッカリオは呻き声をあげて顔を青くした。先ほど、制限時速オーバーを計測され、ネットワークを通じてリアルタイムで通報され。さらにその後、暴走行為と物損事故を繰り返した、となれば。
 
「やっべえ……」
 
 ヴァッカリオは、今日一番の低く、狼狽えた声で呟いた。額から脂汗をだらだらと流していそうな勢いだ。せわしなく目をきょろきょろとさせた後、隠れるようにキャップを被り直して助手席に深く身を沈ませる。
 
「……おい、まさか」
 
 ヴァッカリオの反応と、自分たちが今、走っている区を思い出して、パンテレイモンも顔を青くした。嫌な予感がする。それも、とびっきりの。
 パンテレイモンの背に悪寒が走り、その悪寒を肯定するように、聞きなれた声が耳に届いた。
 
『そこの車、止まりなさい。繰り返す、そこの車たち、速度を落として路肩に車両を止めなさい』
「ううっ……お兄ちゃん、なんでこんな時間まで仕事してるの……!」
 
 そんなんだからブラック企業って言われるんだよ、というヴァッカリオのぼやきを棚に上げて、パンテレイモンはバックミラーに目を移した。アポロンフォースのマークを掲げた車両が複数台、自分達を追ってきている。それで敵が撤退してくれればよいが――もはや、そうも言ってられないようだ。相手は相手で、アポロンフォースから逃げようと必死になっているらしい。
 
「おい、どうするんだ! 三つ巴は収拾がつかないぞ!」
「今回の件、どこにも通達してないから……緊急時の超法規的措置適用されねえかなあああ!!!」
 
 ヴァッカリオが頭を抱えて悲鳴を上げた。パンテレイモンは勘弁してくれ、とハンドルを握ったまま白目でも剥きそうだった。
 
『止まらなければ、ただいまより射撃を行う。いいか、カウントがゼロになるまでに止まりなさい』
 
 アポロンVIからの通告に、二人はそろってバックミラーを確認した。敵の車両が泡を食って逃げようとしている向こう、アポロンフォース車両の助手席の窓から身を乗り出したアポロンVIが、拡声器から神器へ持ち替えているところだった。
 
「おいおいおい!」
「やっべえ……いや、さ、さ、最初は威嚇射撃だから……たぶん」
「本当だろうな!?」
「……お兄ちゃんも丸くなったと信じたいなって……」
 
 ヴァッカリオが言い終わる前に、アポロンフォースからのカウントダウンがゼロを告げた。そして、宣言通りに光の矢が二人の目の前に降り注ぐ。パンテレイモンはそのまぶしさに目を細めながらも、これは威嚇射撃、と繰り返し言い聞かせて躊躇うことなくアクセルを踏み込んだ。
 その後ろ、敵の車は一台が脱落したようだ。威嚇射撃に驚き、ハンドル操作を誤って蛇行、アポロンフォースの車両に備え付けられていた特殊な装置で捕獲されていた。しかし、まだ二台が残っている。
 
「良かった~さっすがお兄ちゃん、ちゃんと最初は威嚇射撃だね~」
「おい、そんなのんびりしている暇はあるのか!? 次は……威嚇で済まないのでは」
「……まあ、そうなるね」
 
 また、後ろからアポロンVIの声が聞こえてくる。パンテレイモンの言った通り、次は威嚇ではない、との通告だった。心なしか、先ほどに比べて声に怒りが滲んでいるように感じられる。
 パンテレイモンは助手席のヴァッカリオを見て、大きく頷いた。
 
「よし、貴様、媚びろ」
「は???」
「いつもエリュマでやっているだろう、『お兄ちゃんおいらだよ~~~』って媚びろ」
「はあ!?!?」
 
 無駄にヴァッカリオの物まねをしてきたパンテレイモンに、ヴァッカリオは素っ頓狂な声をあげた。
 
「そんなのやるかよ! バカ!」
「貴様が媚びれば助かる話なんだぞ!」
「いやもう少し粘ればアポロン区超えるから……ああああああ!!!」
「ほれみろ!!!! 馬鹿野郎!!」
 
 会話の途中で、パンテレイモンもヴァッカリオも悲鳴を上げて肩を竦めた。また、光の矢が降り注いだからだ。それらは攻撃力を最低限に絞ってあるからなのか、車体に当たって激しい衝撃と音を立てようとも、特に天井に穴が開くことはなかった。
 しかし、普通の人間であれば……じゅうぶんに、恐怖であろう。何とか二人が持ちこたえているのは、アポロンVIに対する謎の信頼感からだ。アポロンVIが、まさか市民を傷つけるようなことはしないだろう、と。これが対ヴィランであれば、二人ともすでに無事では済まなかっただろうに。
 
「ああ、もう! しゃーねえな……」
 
 ヴァッカリオは黒のキャップを脱いで、髪の毛をかきむしった。現実問題、車両ナンバーを照合すればこの車がディオニソスフォース所有のものだとすぐにバレるだろうし、いくらヴァッカリオが顔を隠していても、パンテレイモンの方は映像分析からすぐに身元が割れる。交通省のシステムは、まったくもって素晴らしい。ヴァッカリオも逃亡するヴィランの追跡に何度かお世話になっているから、その速さと正確さはよくわかっている。
 意を決したヴァッカリオは、助手席の窓を開けた。高速で走る車ゆえに、風圧が顔に襲いかかる。そもそも、ここで叫んだところでアポロンVIに声が届くのだろうか。
 ひょい、と顔を出して、アポロンVIの方に視線を向けた。
 
「助けて~~~!! 怖い人たちに追われてる~~!!」
 
 ――最高に、棒読みだった。運転していたパンテレイモンが、ぶふっ、と噴き出す。
 
『なっ! ヴァ……っ!! 安心しなさい、すぐに怖い人たちは追っ払ってやろう!!』
「あ、なんか思ってたよりヤバそう」
「おい、大丈夫なのか、あれこっちまで飛んでこないだろうな」
「……た、たぶん、大丈夫だと……」
 
 夜のハイウェイに、太陽のような輝きが満ちる。後ろを振り返るまでもない光に、ヴァッカリオは顔をひきつらせた。
 
『貴様らァァァァ!!! 許さんッッッ!!!!』
「お兄ちゃん!! マイク! マイクオフして!!!」
 
 かろうじて、ヴァッカリオ、と固有名詞を言わなかったアポロンVIに感謝こそすれ、あの激怒っぷりはアポロンVIのイメージダウンになるのではないか、とヴァッカリオは肝を冷やした。あんな、拡声器で罵声を飛ばすだなんて。幸いにして、ハイウェイ上の話であるから、一般市民の耳には届いていない……と信じたい。
 チカ、と光が瞬いた次の瞬間、恐ろしいほどの轟音が鳴り響く。思わずヴァッカリオとパンテレイモンはそろって首を竦めた。ハイウェイ自体も揺れているように感じる。
 ようやく光がなくなった頃、後ろを振り返ったヴァッカリオの目には、何も見えなかった。
 
「え……待って、一応、こう、証拠品とか……尋問とか……あるんだけど……」
 
 パンテレイモンが車を減速させ、法定速度のスピードでゆっくりと走らせる。ヴァッカリオはまだ、呆然と後ろを見ていた。
 
「……まあ、こちらもスピードを出していたから。さすがに、視界の範囲外にあるだけで……消滅は、いくらなんでも……」
「アンタさ、アポロンVIのガチギレ見て同じこと言える?」
「……ノーコメントとさせていただく」
 
 そもそも、アポロンVIはパンテレイモン――プロメトリックにとって、不俱戴天の仇だ。実力を認めるようで癪な部分もあるが、本気になったアポロンVIは手が付けられないということぐらいは知っている。そして、このヴァッカリオと言う酒クズが絡んだ瞬間に、理性とまともな倫理感を無くすことも知っている。
 心底疲れた、と言わんばかりに大きなため息をついたヴァッカリオはのろのろとポケットから端末を取り出した。
 
「あ、もしもし、お兄ちゃん? あのさ、今の件なんだけど、極秘任務で移動中でさあ……」
 
 仕事中にもかかわらず、ヴァッカリオはアポロンVIの事を「お兄ちゃん」と呼んだ。なんだ、あれだけ媚びるのは嫌だと言っていたくせに……結局媚びに媚びているではないか。パンテレイモンはそんなヴァッカリオを呆れたように見て、ヴァッカリオとは違う方面で、心底疲れた、と大きなため息をつく羽目になった。