COLD CRUSH - 4/5

 側面に大きな傷跡を作り、前も後ろも凹みに凹んだどこからどう見ても「事故車」になってしまったディオニソスフォースの公用車は、なんとか指定の時間に指定された某ファミレスへと辿り着いた。
 
「なんかめっちゃ疲れた」
「あのなあ……貴様、ここからが重要なところだろう」
 
 アポロンVIとの長電話を終えたヴァッカリオはなぜか数年老けたような顔をした上に疲労困憊であった。助手席からのろのろと降りて、がくりと肩を落とす。乗っているだけのヴァッカリオの方が疲れていることに、パンテレイモンも憮然とした表情を浮かべた。どう考えても、ここまで運転してきた自分の方が疲れているに決まっている。
 ちんたら歩くヴァッカリオを連れて、パンテレイモンはファミレスの扉をくぐる。笑顔で接客してくる店員に同じように朗らかな笑顔で、待ち合わをしていまして、と告げれば、すぐにその席へ案内してもらえた。
 そのボックス席にいたのは、オーナーと見知らぬ男女二人組。三人はずいぶんと楽しそうに談笑をしていたようだが、こちらに気づくとまずはオーナーが手を挙げる。それにパンテレイモンは軽く会釈をして、席に着いた。
 そのほんの僅かの間に。ヴァッカリオはボックス席の周囲に座っている「客」に目を走らせた。……そう、ここで料理を食べたり、何やら紙の資料を広げたり、談笑したり。そうしている客はすべて、ディオニソスフォースの人間だ。当人たちにしかわからない、一瞬の緊張が走る。
 ヴァッカリオは小さくハンドサインで「待て」の合図をした。すべての「客」は何事もなかったかのように、それぞれの行動を続ける。
 
「やあパンテレイモン君……そちらの方は?」
 
 オーナーは余所行きの顔をして、パンテレイモンに尋ねた。いつもなら、パンテレイモンが休もうものならネチネチうるさい人なのだが。こういう、外面だけは良いおじさんなのだ。さすが、接客業を統括する人間、と言ったところだろうか。
 
「こちらは……友人、です」
 
 パンテレイモンは微妙な顔をしながら、ヴァッカリオを紹介した。ヴァッカリオはパンテレイモンを奥に押しやって、席に乱暴に座った。オーナーに密着するほどに寄せられたパンテレイモンが嫌そうな顔を一瞬だけ浮かべる。ヴァッカリオはそれを無視して、ひょうひょうと大きな声をあげた。
 
「どーも、親友です。コイツが一人じゃ怖いって言うから、くっついてきました。……あ、おねーさん、生中ひとつ!」
 
 仕事の話だ、と言うのに、ラフな格好でしかも、勝手にビールを注文する謎の男。向かい側に座っていた男女は最初こそ予期せぬ人間の乱入に眉をひそめて警戒していたが、今は違う意味で眉をひそめて迷惑そうにしていた。まあ、それはそうだろう、なんとこの黒づくめの男、ビールだけでなくおつまみだと言ってピザやポテトまで注文を始めた。連れてきたパンテレイモンですら、呆れたような顔をしている。
 女性に促されて、パンテレイモンも飲み物を注文した。ノンアルコールのソフトドリンク、まともな選択である。謎の男のせいでパンテレイモン自体にも不安げな視線が向けられていたが、こちらは一般常識がありそうだ、と男女は露骨に胸を撫で下ろしていた。
 
「……さて、それで、どういったお話でしょうか」
「私たちは、労働基準監督署の方から派遣されておりまして。貴方が勤務しているエリュシオンマートにて、過重労働が行われているのではないかと通報がありましたので、調査に参りました」
「そんな事はないと、私は言っているのだがねえ……」
 
 オーナーが苦笑いしながら、パンテレイモンに視線を送る。……まあ、偽物相手に言うことでもないが、過重労働になっているかどうかと言えば、正直なところ、黒よりのグレーだ。オーナーの視線は、余計なことを言うな、という圧であろう。
 パンテレイモンとしても、ここのオーナーに思うところはあれども、お世話にもなっている。突然行方をくらましたり、何やら英雄庁から身辺調査をされたり、なぜかゴッドナンバーズが押し寄せるようになったり。普通のコンビニオーナーとしてはずいぶんと面倒くさいものを抱えているはずだが、それでもパンテレイモンをクビにはしようとしない。単に、人手が足りないだけかもしれないが。
 パンテレイモンは内心で複雑な感情を抱えつつも、オーナーの期待に応えて「いえ、労働時間は適正だと感じております」と静かに答えた。英雄庁の身元調査で潔白を証明されているオーナーだ、この男女とグルであるわけもなく、やはり騙されているだけだろう。
 オーナーはパンテレイモンの言葉に、そうだろうそうだろう、と嬉しそうに何度もうなずいた。ヴァッカリオはビールを一気飲みし、おかわりを店員に注文していた。何しに来たんだコイツ、と男女の視線がヴァッカリオに注がれる。
 
「……ところで、お二人の身分証を拝見してもよろしいですか?」
 
 男女が新しく言いがかりをつけてくる前に、パンテレイモンは鋭いナイフのように切り返した。それまで、穏やか(と迷惑そうな雰囲気)を湛えていた男女が、表情を変える。
 もちろん、この要請は事前に打ち合わせてあったものだ。とにかく、現行犯逮捕できる現物が欲しい、というヴァッカリオの希望に沿って。
 
「信用されていないようですね」
「念のためですよ」
 
 パンテレイモンは男からのプレッシャーをものともせずに、ひょうひょうと受け流した。ビジネスの場において、この程度の威圧は慣れている。エリュシオンマートをあそこまで成長させたビジネスマンであるパンテレイモンからすれば、男のやり方はやはり、お粗末と言わざるを得ない。もっと、相手を嵌めるならいくらでもやりようがあるだろうに。
 パンテレイモンが引き下がらない、と察した男女は、それぞれバッグから身分証のカードを出してきた。顔写真と、労働基準監督署の所在地、部署名、所属コード、など。パッと見たところ、普通のカードに見える。……とても、模造品には見えない。
 しかし。
 
「はい、アウト」
 
 カードを出した二人の手を、ヴァッカリオがそれぞれ強い力で押さえつけた。さきほどまでアホみたいにビールを飲んで、ポテトについてきた塩だけを舐めていた男とは思えない、力強さだった。
 
「公文書偽造の現行犯」
「……はっ、何を言うかと……」
「偽造、間に合わなかったんだな? そのカード、見た目だけだろ。正式なカードであれば内臓されているはずのICチップが反応していない」
「っ!!」
 
 ヴァッカリオは。ディオニソスフォースは、最初からこの罪状で身柄を確保するつもりでいた。労働基準監督署からわざわざ、ICチップに反応して正規カードを識別する機材を借りてきたのだ。それは非接触型カードリーダーであり、ヴァッカリオが手を伸ばした際に本来反応するべきカードが反応しなかったのだから――つまり、ここにあるカードは模造品である、という証拠に他ならない。
 がたり、と周囲の客が一斉に立ち上がる。降り注ぐ視線の数々に、男女は自分たちが「嵌められた」ということに気が付いた。
 
「ちくしょうっ!」
「! 安全確保ッ!」
 
 ヴァッカリオが叫ぶ。その瞬間、ヴァッカリオ達の後ろの席と隣にいたディオニソスフォースのメンバーが飛び出し、パンテレイモンとオーナーをひょい、と抱え上げる。さらに、周囲にいたメンバーも店内にいる一般店員の安全確保に走り出した。
 男女はいきなり大ぶりのナイフと、剣と言って差し支えないほどの長さの刃物を取り出して、ヴァッカリオの手を振りほどくと椅子から立ち上がる。
 
「どけえっ!!」
「どけと言われてどくものかよ!」
 
 ヴァッカリオは振りかぶられた男の剣を、とっさに作ったネクタルの盾で防いだ。その時、ヴァッカリオが深くかぶっていたキャップが衝撃で弾き飛ばされて、素顔が照明のもとに明らかになる。
 その顔を見た瞬間に、男女は血相を変えた。
 
「ディオニソスXII!?」
「……顔割れすると、こういう時に困るんだよね」
 
 ディオニソスXIIは全く動じずに、座ったまま神器を起動する。もはや敵うわけもない、と判断した二人組が泡を食って逃げようとするその後ろから、蔦を伸ばして絡めとった。そうしてから、ゆっくりと席を立つ。
 床に倒れ伏した二人組の前に静かに歩み寄ると、厳かに罪を告げた。
 
「公文書偽造罪で、現行犯逮捕だ。詳しくは、後で聞かせてもらう」
 
 ぎり、と絞められた手首の痛みに、二人はそれぞれナイフと剣を取り落とし、がくりと項垂れた。ただでさえ一般人と神話還りの間には、絶対的な力の差があるというのに。よりにもよって、最強のディオニソスXIIと相対することになるとは。
 
「くっ、なぜディオニソスXIIがこんなところにっ……!」
「特殊任務が終わってオリュンポリスに復帰したからな。これぐらいの仕事だってバシバシやらねえと」
 
 ディオニソスXIIは金色に染まった髪をかきあげて、逆光のもとに犯罪者に向けて不敵な笑みを向けた。
 
「悪いね、若い奴らが伸びてきてるから、俺も本気出そうって気になったのさ。お前らみたいな小悪党でも容赦はしねえよ」
 
 圧倒的な、威圧感。これが、堕落した、もうアイツは駄目だ、と囁かれて冷笑を一身に浴びていた男の立ち姿だろうか。犯人たちは、この時初めて、絶対に敵に回してはいけない人間がこの世に存在する、ということを知ったのだった。
 
 
 
 犯人たちはディオニソスフォースのメンバーに連れられて、大人しく護送用の車に乗せられた。それを見送ったヴァッカリオは少しばかりため息をつく。舞台となったファミレスに事前連絡はしてあったが、それでも直前の事で多大な迷惑をかけることになってしまった。
 それから、被害者であるエリュシオンマートのオーナーにも。今は、女性ヒーローをそばに配置して、興奮状態を落ち着かせるようにしている。
 犯人確保はあっさりと終わったが、いろいろとやることは山積みだ。
 
「あーあ、この後始末がほんとめんどくせえんだよなあ……」
「まったくだな」
「おー、お疲れさん。今日はこのまま宿舎まで送って解散だけど、明日は朝から事情聴取だ」
 
 パンテレイモンはそれを聞いて、大きくため息をついた。まあ、そうなることはある程度は覚悟していた。仕方ない、最初の雇用契約書にはしっかりと「有事の際はディオニソスフォースに全面協力すること」と記載されていたのだから。
 ヴァッカリオがいくつか指示を出し、パンテレイモンは自分を送ってくれる車が到着するのをぼんやりと隣で待っていた。そこに、顔を青くした一人の部下が駆け寄ってくる。
 
「あのう……」
「あ? どうした?」
 
 部下は何か話すのを躊躇ったあとに、声を潜めた。それでも、パンテレイモンの耳には入ってくる程度の音量だ。何か、また厄介ごとでもあったのか。
 
「……アポロンVI様から、状況報告しろ、と」
「あー……無視していいよ、後でまとめてやるから」
「それが、そのう……五分おきに催促されてまして、そろそろ僕たちもつらいのですが……」
「んぐっ」
 
 ……どうやら、ヴァッカリオの夜はまだ終わらないらしい。先ほどのカーチェイスの時ですら、ずいぶんと長電話をしてこってりと絞られたようだったのだ。おそらく、この件を最初から全部説明して、また長い長い説教をされることになるのだろう。
 パンテレイモンはざまあみろ、と思わず、ヴァッカリオにニヤついた笑みを向けてしまった。アポロンVIは気に入らないが、あの酒クズ汚物野郎が渋い顔をするのは、面白くてたまらない。
 
「相変わらず『お兄ちゃん』に愛されているな?」
「愛が重すぎんだよ……」
「心配されているのだろう? いいじゃないか、さっきみたいに『怖い人に追いかけられて大変な目に遭いましたぁ~』って言えば」
「うるせー!」
 
 ヴァッカリオの言い方を大袈裟に真似たパンテレイモンに、ヴァッカリオがケッ、と唾を吐く真似をしてふくらはぎを軽く蹴飛ばした。パンテレイモンは「正義のヒーローが一市民に暴力を振るうのか?」などと面白おかしく喚き立てている。
 二人のやり取りの間で、アポロンVIから連続鬼電をされている部下は、困ったようにおろおろとするだけだった。