Re:HalloweenNight - 8/9

 ゾンビの山、山、山。足の踏み場もない広い室内を、アレイシアが跳躍し、地面を作る。そこに後からネーレイスとエウブレナが。それを繰り返して、ようやく冥府の門の前まで来た。ネーレイスに半ば抱きかかえられるようだったエウブレナは、心配そうに強く握られたネーレイスの手を振りほどく。

「時間がかかるかもしれないから、二人とも、その間は頼むわ!」
「アレイシア! エウブレナの周辺はわたくしがガードするから、全体を見通して適当に蹴散らしてくださいませ!」
「任せろおおおおおおおお!!! おおおおおおおお!!!!」

 ネーレイスの指示になっているようななっていないような曖昧な言葉を受けて、アレイシアは飛び出していった。そして、ネーレイスは全力で神器に力を注ぎ、エウブレナに指一本触れさせまいと分厚い水の壁を作る。

「確か……ここに……」

 門は扉こそ吹き飛ばされて無くなっていたものの、その構造自体はまだ形を留めていた。二人のヒーローに描いてもらった資料を端末でチェックしながら、力を注ぐ場所を見つける。
 不思議な、ガラス玉の様なものが嵌められた場所を見つけたエウブレナは、ごくり、と生唾を飲み込んだ。しかし、ここで躊躇している時間はない。こうしている間にも、アレイシアやネーレイスは必死に戦っているのだ。

「お願い、神器、応えて。この門を閉じないと、オリュンポリス中が大変な事になってしまうの。お願い……!」

 エウブレナの声に応えたのか、それとも、自らが開けた冥府の門が気になったのか。エウブレナの手の中で、神器が淡い光を放ち始める。手ごたえを感じたエウブレナは、神器に注ぐ力を一気に強めた。その瞬間、淡い光を放つだけだった神器が、突然、強い光を放った。

「っ!」
「エウブレナ!!」

 真っ白に塗りつぶされた視界の中で、ネーレイスが悲鳴のように自分の名前を呼ぶ声がする。そして、エウブレナの手の中で光り輝く神器も――どこかへ行こうと、抜け出そうとするように動き始めた。

「待って! 行かないで! あなたの力がないとオリュンポリスが……っ!」

エウブレナが強く神器を抱きしめる。

「私が力不足なのはこれからもっと努力するから! もっともっと、たくさん頑張るから!! ううん、ハデスIVじゃなくなってもいいの! だからお願い、今だけでも力を貸して! ……お願いだからっ……! もう、誰も失いたくないの……っ!」

 神器が、一瞬、振動を止める。エウブレナの言葉と、ぽとり、と落ちた涙に反応したのか。止まった神器の振動に、エウブレナが目を見開いたその時。
 何かに引っ張られるかのように、エウブレナは神器を抱えたまま、冥府の門に吸い込まれた。遠くで、ネーレイスとアレイシアの悲鳴が聞こえる。

「なに、どうしよう、なにが」

 パニックになったまま、エウブレナは神器を胸に抱え続けた。これだけは、絶対に離してはいけない。それが、神器の意思に反することで、人間のエゴだとしても。
 ふと気づけば、周囲の雰囲気はがらりと変わって、静まり返っていた。ただただ、静寂だけがそこにはある。

「ここは……」

 辺りを見渡して、エウブレナは光の差す方向を見つけた。よく目をこらせば、青色の髪を振り乱した人物が、こちらに向かって何かを呼び掛けている。エウブレナはようやく理解した。自分は、冥府側に連れ込まれてしまったことに。
 そして、胸に抱いた神器が激しく光り、何かと共鳴するように波打つ。
 後ろ側に何者かの気配を感じて、エウブレナは振り返り――そうになって、聞き覚えのある、懐かしい声で話しかけられ、体を強張らせた。

「こっちを向いてはだめだよ」
「パ……!」
「静かに。冥府の住人と言葉を交わしてはいけない。現世に戻れなくなってしまうから」

 エウブレナは、振り返らなかった。言葉も出さなかった。ただ、口を閉じで、ぽろぽろと涙を零す。
 胸に抱えた神器が、その声の主に訴えるように光りを放ち、エウブレナの腕の中から抜け出そうとした。それだけはだめ、とエウブレナは唇をきつく噛み締めて、神器を抱きしめ直す。
 神器を抱えるエウブレナの腕に、何者かの手が重ねられた。その手の主は、エウブレナを抱きしめるように、背後に立っている。

「ねえ、神器。僕はもう君とは一緒にいられないんだ。こんなところまで、追いかけてきてもらって悪いんだけどね」

 エウブレナはその言葉を黙って耳にする。エウブレナの腕の上を通って、するり、と透明な手が神器を撫でた。

「その代わりに、この娘を頼むよ。とても優しくて、正義感が強くて、どこに出しても恥ずかしくない、可愛らしい娘なんだ」

 神器が静かになる。淡い光がゆっくりと一度光り、そして消えていった。

「……新しいハデスIVを、よろしく頼む」
「っ……うっ……ふっ……ぐ……」

 堪え切れなかったエウブレナの嗚咽が、静かな空間に響く。その肩に冷たい、それでも大きな男の両手が添えられた。

「さあ、帰るんだ、二人とも。ここは……冥府だからね」

 とん、と押された背中に、エウブレナは一歩を踏み出した。その一歩に合わせるかのように、神器が勝手に起動し、エウブレナに力を与えてくれる。まるで――一緒に帰ろう、と言っているようだった。
 エウブレナは涙を流しながら、一歩一歩を踏みしめて歩く。どんどん、背後の気配が遠ざかっていく。
 本当は、今すぐにでも振り返りたい。その顔を見て、これまでどんなことがあったが、どんな気持ちで過ごしてきたか、たくさん、とてもたくさん、話したい。
 だけど、エウブレナの歩く先では、赤と青の二つの人影が必死に呼び掛けている。エウブレナのことを、待っている人たちがいる。

 それでも。エウブレナは最後の一歩を踏み出す前に、一度だけ立ち止まった。そして、大きく息を吸うと、腹の底から叫ぶ。

「わたし、がんばる!! ハデスIVとして、たくさん、がんばるから!!」

 エウブレナは涙を乱暴に拭って、現世へと踏み込んだ。と、同時に、神器が強く光り、背後で門が勝手に閉じていくのがわかる。振り返らなくても、徐々に世界が隔絶されていくのがエウブレナにもわかった。もう、これで現世と冥府が交わる不思議なハロウィンパーティーも、終わりだ。

「――頑張れ、エウブレナ」

 その声が聞こえたのは、気のせいではなかったかもしれない。それでも、エウブレナは門が閉じる最後の瞬間まで、絶対に後ろは振り返らなかった。

 ふ、とアポロンVIがそれまでアンデッド達を撃ち抜いていた弓矢を下ろした時、あちこちからどよめきの声が聞こえてきた。

「アポロンVI様! ゾンビが! 消えていきます!」
「そうか……無事に門は閉じたか。……よくやったな、エウブレナ」

少しだけ目を閉じ、穏やかな笑みを浮かべたアポロンVIは、目を開くと共に部下へと指示を飛ばした。
 正式な報告はまだだが、作戦は成功したと見て良いだろう。以前の事故を知らない、若いヒーロー達が混乱に陥るのを防ぐためにアポロンVIは声を張り上げて場を統括する。

「エウさん! ケガはない!?」
「ど、ど、ど、どうしたんですの!? 何があったんですの!?」

 冥府の門の前で、神器を抱えたまま座り込んで泣きじゃくるエウブレナに、アレイシアとネーレイスが両側から支える様に顔を覗き込んだ。

「ううん、けが、は、ないの、ごめんなさい、もうちょっとしたら、おちつく、から」
「ケガがないなら大丈夫だぞ! えっと、門は閉じたってことでいいのかな?」

 アレイシアの問いかけに、エウブレナはこくりと頷いた。アレイシアはそれを確認すると、端末を取り出してゾエルへと通信を入れる。
 ネーレイスは膝をついてエウブレナの涙を拭った。

「エウブレナ、よく帰ってきてくれましたわ」
「ねーれ、いす……わたし……」
「あなたが向こう側に行ってしまって、どうしようかと、とても、怖かったのですのよ」

ネーレイスは震える声でそう告げた。エウブレナが顔を上げると、そこには目を真っ赤にして涙をこらえているネーレイスの顔があった。

「ねーれいすが……わたしのこと、たくさん、よんでくれたから……っ……」
「アレイシアも、ね。エウブレナ……少し、休みましょう……」

 そう言ったネーレイスはぐらり、と体を傾けた。驚いたエウブレナが支えようとして――自分も、体に全く力が入らないことに気づいて、二人そろって地面に崩れ落ちた。

「ネーさん! エウさん! 大丈夫!? どうしたの!?」
「あ、あ、あ、アレイシア、ちょっと、手を貸してくれませんこと!? わたくし、ちょっと神器に力を入れすぎまして……」
「アレイシア……私も、あの……力が入んなくて……」
「えええ!!! ……もしもし、ボス? ネーさんとエウさんがダウンしたからやっぱり医療班ください!!」

 もー、ボクうっかりケガ人無しです!って言っちゃったよ~とアレイシアは頭を掻きながら、ネーレイスを助け起こした。ひょい、とネーレイスをお姫様抱っこの状態にすると、比較的綺麗な壁側へと運んでやる。次に、エウブレナも。
 そこに、ひょっこりと顔を出したのはヴァッカリオだ。作戦本部であれこれ指揮を出しているゾエルと違って、ヴァッカリオは暇だったらしい。

「よ~お疲れさーん」
「なっ……あなた、そんな気軽な態度で!」
「そうだぞヴァカ隊長! 今回、結構大変だったんだからね!」
「まあまあ、そう言うなって。隠し通路教えてやったり、結構おいらも役に立ったでしょ~?」

 アレイシアとネーレイスの抗議の声に手を振って、ヴァッカリオはエウブレナの元へとやってきた。改めて、お疲れ、と何事もないように気楽に言う。
 エウブレナの前に膝をつくと、神器を強く握りしめたまま白く変色してしまったエウブレナの手を、ヴァッカリオはゆっくりと解いていった。ヴァッカリオに触れられて初めてエウブレナは自分の両手がガチガチに固まっていた事に気づいた。

「ずいぶん、大変だったみたいだな。ま、門を閉ざせたってことは、神器も起動できるようになったんだろう? 良かったな、エウブレナ」

 軽い口調でありながらも、その言葉の端々に滲む優しさに、エウブレナはゆっくりと心が弛緩していくのを感じた。口から、無意識に言葉が漏れる。

「……向こうで、パパに、会いました」
「っ!!」

ヴァッカリオの顔色が一瞬で変わる。その瞳には、罪の意識と罰の恐怖を浮かび上がらせていたが、エウブレナはそれに気づかない。
 エウブレナは、静かに続ける。

「頑張れ、って言ってくれました」
「そうか」
「神器に、新しいハデスIVをよろしく頼む、って」
「……そう、か……」

 ヴァッカリオは感情を押し殺した声音で、相槌を打った。あの時のクリュメノスの事を思い出し、クリュメノスの娘自慢を思い出し。首を振ると、ヴァッカリオは立ち上がる。

「……ハデスIV。これから、頼りにしてるぜ」

 エウブレナが顔を上げて見上げたその先にいたのは、ヴァンガードの隊長ではなく、ディオニソスXIIだった。室内の逆光で表情こそ伺えなくとも、その言葉だけで、すべてが伝わる。

「エウさーん! 医療班来たよー!!」

 元気なアレイシアの声に、ぱっと振り向いた時にはいつものへらりとした顔をしたヴァッカリオだった。