各部門を回ってきたアポロニオは、執務室のイスにどっかりと座った。すでに時計の針は十二時を回っており、窓の外には満月が輝いている。ついでに、室内のテーブルには資料に埋もれて部下の一人が突っ伏して寝ており、ソファではもう一人が長い足を放り出して寝ていた。
「お疲れのところ申し訳ありませんが、非常に汗臭く油臭く埃臭いのでシャワーを浴びていただけますか?」
「ああ……臭うか?」
臭いますよ、と副官が顔をしかめたので、アポロニオは大人しく備え付けのシャワー室へと向かった。やれるときにやれることをやっておくのは大切なことだ。
さっぱりとしたアポロニオは予備のジャージに着替えた。ハイスクール時代のジャージを着ると、ますます子供にしか見えない。が、アポロニオは「動ければ何でもよい」と思っているようだし、副官たちとしても「どうせ予備だから」と好きにさせておいた結果がこれだ。
副官は次からはフォースの作業服を予備に置いておこう、と心に決める。
「こちら、作戦提案書の最新版です」
「ふむ……もう第四版か。デメテルVとヘラIIIには迷惑をかけるな……」
各部門、各フォースから上がってくる情報を精査し、作戦要綱にまとめ上げているのはヘラフォースだ。そこに加えて、隕石の観測や軌道計算、作戦時の立地確認などを協力しているのがデメテルV。それぞれが持ち味を生かして、共同で作戦を練っている。
「また、アポロンVIの神体データの公開を求められていますが公開してよろしいですか?」
「ああ。調達部門の方にも回しておけ」
本来であれば極秘事項となるデータも、今回は惜しみなしだ。ヴィランの手に渡ってしまうと、弱点を探られる可能性があるが、そもそも作戦が成功しなければどうしようもない。杞憂というものだ。
「例の試作機の起動実験にはアポロンフォースの人材を使いますが、空いた警務の穴は主にアテナフォースに埋めてもらっています」
「市民の状況は?」
「……よくはありません。一部恐慌状態に陥った市民が暴動や略奪行為に走ったり、終末論を唱えて大規模な集団自殺を企てるなど、かなりの混乱が見られます」
「そうか……」
アポロニオは深いため息をつくと窓の外からアポロンシティを見下ろした。彼の愛する市民たちは、比較的落ち着いてくれているのだろう、特に騒がしくもなく、各自家庭でゆっくりと安眠しているはずだ。
むしろ、ゼウスシティやディオニソスシティのような歓楽街、繁華街があるシティの方が治安の悪化が著しいらしい。どちらもゴッドナンバーズ不在の区であり、抑え込みにかなり苦労しているようだ。
その辺の現場状況はアフロディテIXとポセイドンII、アルテミスVIIIが協力して事に当たってくれているようだが、オリュンポリス全体を掌握するのは彼らでもなかなか厳しい。
「……英雄庁に連絡して、明日の午前中に記者会見を組むか。マスコミもそろそろ新しいエサが欲しいだろう」
「了解しました。調整します」
もう日付変わってますけどね、と副官は嫌味のように付け加えた。それは、このまま休みなく徹夜することになるであろうアポロニオに対するものだ。まあ、そういった嫌味は効いた試しがないのだけれど。
「しばらくは上がってきた報告書を読ませてもらう。君は少し休んだらどうだ?」
「ご安心を。あと二、三時間もすれば引継ぎを終えて仮眠室に向かいます。まだ起きていらっしゃるのであれば何か飲みますか?」
アポロニオは少し考えた後に「あったかいカフェオレ」を所望した。見た目以上の子供舌であるので、「眠気覚まし」と言えばミルクと砂糖たっぷりのカフェオレかミルクティーに限る。
副官が内線で飲み物を注文した。念のため、つまめるようなお菓子類も。
アポロニオが端末を操作したことで、執務室にいることがわかったからか次から次へと彼の端末に通信が入る。デメテルV、ヘラIII、ポセイドンIIにアフロディテIX。時に、アポロンVIからハデスIVへ。
結局、ゴッドナンバーズ間での情報交換でかなりの時間を費やし、アポロニオが用意されたカフェオレに手を伸ばしたのはすっかり冷めてからだった。そして、冷めたカフェオレを飲みながら報告書に目を通し、ほんのわずかな仮眠。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「おはよう。いや、変な夢を見た、寝覚めは最悪だな」
アポロニオが仮眠をとっている間に、副官は交代し、部下達は起きだしてシャワーを浴びに行ったらしい。
「まさかまた『予知夢』ですか?」
「いや、そうではないと思う。昨日ほどの実感がなかったから……すまない、顔を洗ってくる」
渋い顔をして執務室を出ていくアポロニオを、副官は微妙な気持ちで見送った。涙の跡があったように見えたし、おそらく悪夢の類ではあると思われるが聞くにも聞けない。
本人は『予知夢』を否定したが、昨日の今日で、もしかしたら、という思いも拭えないのは確かだ。ただ、必要であれば必ず情報公開はしてくれるであろう。あのアポロンVIが作戦遂行に必要な情報を隠蔽するとは思えない。副官はそう信じて、何も聞かずに戻ってきたアポロニオを迎えた。
「本日のスケジュールですが、この後朝七時から部門長と進捗確認、九時から英雄庁と記者会見の打ち合わせ、その後十時より記者会見となっております。午前中のうちに試作機は作戦ポイントに設置しますので、昼食後、起動実験を行います。その後、狙撃候補者二人も合わせてレクチャー会となります」
流れるようなスケジュールの説明にアポロニオは鷹揚にうなずいた。
「明日の作戦決行時間はまだ前後していますが、今のところは午前十時が最有力であると報告が上がっています」
「明日の十時か……」
作戦決行まで、もうすぐ二十四時間を割り込むことになる。各部門がそれぞれ、スクランブル体制で動いてくれてはいるが、肝心の試作機の方が間に合うか微妙なところだ。
ヘラフォースの考えでは、被害を織り込み済みで七割程度の破砕を目標としているようだ。七割は大気圏突入中に燃え尽きてもらえればよし、残り三割はリスク受容案件として、地上到達もやむなし。
被害が広がらないようなヒーロー配置を検討しているとのこと。
「とりあえず、フォースの作業服を用意したのでそちらに着替えてください。さすがにスクールジャージで記者会見は……」
難しそうな顔をして黙り込んだアポロニオの気をそらすように、副官がお願いをする。交代時の引き継ぎはしっかり行われているようだった。
そうだな、とばつが悪そうに頭をかいたアポロニオは作業服を受け取ってそそくさと着替えに行った。
『――のため、明日の午前には大きな音や光が目撃される可能性があるそうです』
某地区、ヴァンガードベース近くのエリュシオンマート。壁に掛けられたモニターではひっきりなしに隕石の話をしており、ついさきほどまでアポロンVIが記者会見を行っていた。昨日から、番組表をぶち抜いて全局特番の構えだ。
「あなたのお兄さん、忙しそうですねえ、あなたはいいんですかこんなところにいて?」
「おいらは隠居だもんね」
パワフルワンを空けながら、ヴァッカリオは話しかけてきた店長を少し邪険そうに見やった。
「……はるか昔、私が人類に危機を伝えたときは方舟を作ったというのに、今度は逃げずに立ち向かうか。実に人間の考えることは面白い」
「……もしかして、店長が……いや、アンタがお告げでも出したのか?」
す、と目を細めたプロメトリックは赤い瞳をヴァッカリオに向けて鼻白んだ。
「アレスが命をかけて守ったこの世界が壊されるのは私の本意ではない。全くデウカリオンの神話還りが多ければもう少し楽だったものを……」
「プロメトリックはお兄ちゃんのこと嫌いだもんね~」
「なぜあの憎たらしいアポロン神の神話還りに神託を下さねばならんのだ。不愉快極まりないぞ」
そんなことを言われても、とヴァッカリオは肩をすくめた。
店長ことプロメトリック、その実態は太古の昔から人類に知恵を与え、時に危機を教え、あるいは道具として使ってきたプロメテウス。先の騒乱で神の力をほとんど失ったとはいえ、多少のことはまだまだできるようだ。
「あの隕石はただの岩ではない。その昔、アレスの命を奪ったあの怪物の、鱗のひとかけらだ」
「へっ」
「本体でなかっただけマシと思え」
じろり、とプロメトリックが呆けた顔をするヴァッカリオを睨みつけた。辛酸をなめさせられた因縁の相手。ともなれば、プロメトリックとしても人間たちには頑張ってもらうしかない。
「で、どうなんだ?打ち破れそうなのか?」
「あ~~~~~……正直、かなり厳しい感じがする。少なくとも、俺がここでパワフルワンを飲めるのは今日が最後かもな、って」
「穏やかではないな」
「ね、店長も寂しくなっちゃうでしょ?」
だから奢って、とにやにやと笑って手を出すヴァッカリオを煩わしそうに打ち払うと、プロメトリックは一つ箱を取り出した。
「持っていけ」
「なにこれ……って漆黒神器じゃん!まだ持ってたの!?」
「在庫はいくらでもあるぞ。……出力だけで言えば、お前たちの使っている人造神器よりはパワーがある。神器と違って他のデバイスとも組み合わせやすい便利なパーツだ」
おいおいおい、とヴァッカリオはプロメトリックの言葉に天を仰いだ。このような物騒なものの在庫がそんなにあってたまるか。
が、しかし、危急な状態である今、確かにこれは選択肢としてあり得る。
「ヘパイストスXIのギミックを打ち破った者がお前の配下にいるだろう?組み込みには問題ないはずだ。……それに、これを使って暴走状態に陥ったアポロンVIを貴様らに始末してもらえれば、一石二鳥」
アポロンVIの名前を聞いた瞬間、ヴァッカリオの纏う雰囲気が一変し、プロメトリックへと殺気を向ける。
「俺に兄殺しをやれと?」
「アレイシアではかわいそうだからな。お前の兄だって、可愛い可愛い弟に殺されるなら本望じゃないのか」
「面白くない冗談だ」
「本気だ」
ヴァッカリオが立ち上がり、プロメトリックの胸倉をつかむ。
「私情を挟むな、ディオニソスXII。漆黒神器無しで今回の件が解決できるのか?できないだろう、貴様ら脆弱な人間は。であれば、使え。自身の力の無さを嘆け、悲しめ、そしてその嘆きを力に変えろ。――お前は、新時代の神になれる器なのだ、ディオニソスXII」
プロメトリックは胸倉をつかまれたまま、面白そうに謳った。脆弱な人間のあり様を嗤い、新しき神を、新たなる時代を欲するその姿はまさに創滅の魔神。
「……俺は、あんたの手の内で転がるつもりはない」
絞め殺さんばかりでつかみ上げていたヴァッカリオだったが、そう言い捨てると手を離した。
「……じゃあね、店長。これが最後かもしれないけど、まだ生きてたらまた遊びにくるよ」
「……またのご来店、お待ちしております。今後ともご贔屓に」
踵を返して立ち去るヴァッカリオの背を、店長は営業用の笑みを浮かべて見送った。
ヴァンガードベースにて。エウブレナは自席で突っ伏していた。
「エウブレナ、大丈夫ですの?」
ネーレイスがホットミルク入りのマグカップをことり、と静かにエウブレナの机に置いた。
「大丈夫……ではないわ。ゴッドナンバーズの職務がこんなにハードだなんて……これでいて、必要があれば出動するのでしょう?信じられないわ」
お父さんって本当にすごい人だったのね、とつぶやきながらエウブレナはネーレイスに入れてもらったホットミルクを口にした。
実際のところはゴッドナンバーズ間で飛び交う情報や要請をゾエルに上げて、そこからまた返事を出す窓口のような仕事ではあるが、はっきり言ってエウブレナには荷が重すぎる。
内容もハードなのはさることながら、状況の変化がとにかく早い。情報を読み込むだけで手いっぱいで、とてもではないが机から離れる暇もない。
「まあ、ヴィラン退治の方はアレイシアがやってくれているから大丈夫……大丈夫なのかしら本当に?アレイシアに任せて??」
「エ、エウブレナ!落ち着いてくださいまし!アレイシアならきっと大丈夫ですわよ、ハルディスやヴァッカリオさんがついていてくれるでしょうから」
「その時点で不安なメンバーだわ……!」
「エ、エウブレニャー!」
目をぐるぐるさせてまた机に沈んだエウブレナ。そこに、エウブレナの心労の一因であるヴァッカリオが戻ってくる。
「お、エウブレナちゃんと仕事してるじゃんえらーい!」
「ちょっと!あなたもほっつき歩いてないでエウブレナを手伝ったらどうなんですの!っていうか酒クサッ!!!」
鼻をつまんで顔をそむけるネーレイスにヴァッカリオはへらへらと笑いかけた。「ところで、ボスいる?」と聞けばイヤそうな顔をしつつも指で教えてくれた。
「んもう、こんな事態なのにまた酒を飲んで……あれでも、ゴッドナンバーズなのかしら……」
「うう……隊長に手伝ってもらいたいけどアレイシアにはバレるわけにはいかないし……二人の操作訓練もバレないようにしないと……うっ……」
「エウブレナ!しっかりなさって!あなたが倒れたらこの曲者しかいないヴァンガードはどうなりますの!?しっかりしてエウブレニャー!!」
と、二人で騒いでいると、ただいまーと元気よく帰ってきたアレイシア。ぐったりとするエウブレナにそっとエリュマバーガーを渡す。
「あ、ああ、ありがとうアレイシア……」
「食事は大切なエネルギー源だからね!それに、少しは寝た方がいいんじゃない?」
「アレイシアの言う通りですわ。睡眠をとらないと、考えもまとまりませんもの。そのような頭では私のことを論破できませんわよ?」
「そうね……そのとおりだわ……っていうか、そうだ、アレイシア!今日、この後特殊任務があるってボスから聞いてる?」
え、聞いてない、とエリュマバーガーをほおばりながらアレイシアがきょとんと首を傾げた。ニュースは見たのかしら?とネーレイスが尋ねれば、反対側に首をかしげるだけだ。ゾエルも意外といっぱいいっぱいなのかもしれない。
「あのね、隕石が降ってくるのを地上から撃ち落とすのだけど、その射手……撃つ人のことね、それの候補にあなたがなっているのよ。それで、午後から操作説明があるから……ええっと、その計画書どこだったかしら……」
「ボクが?????」
WHAT??とでも効果音が頭の上に出そうな表情でアレイシアが聞き返した。
「そうなのですよ。ポセイドンシティの浜辺にもう移設したらしいのだけれども、アポロンフォースが持っていた超長距離高かりょちゅ……火力砲試作一型改を使って隕石をバーンと壊すのですわ!」
「バーンと!!」
「そう!で、それを撃つのにパワーが必要らしくて、アレイシアが選ばれたのよ!!……ってエウブレナが言ってたわ」
「それエウさん機密漏らしすぎじゃない?」
とアレイシアは冷静に突っ込んだ。
ネーレイスは神器を使える人間であるとは言え、あくまでも「仮初」であり、エウブレナと違って正式にポセイドンIIを襲名したわけではない。それを言えば、エウブレナもかたくなに「私はまだ襲名していません」と首を横に振るのだが。
「と、とにかく、アレイシアはこれから変身を控えてエネルギーを溜めるように!発射にかなり力を必要とするという話だわ」
アレイシアに渡された紙媒体の分厚い計画書は残念ながらぺらっと一枚めくられただけで、そっとエウブレナの机に置かれた。
「うおおおおおお!!燃えてきたあああああああ!!!!隕石なんてワシがぶっ壊したらああああい!!!!!!」
「その意気ですわアレイシア!」
「ああああもう!!!エネルギーの消費は控えてって言ってるでしょ!!!」
「お、なんだ全員そろってんのか。ちょうどいい」
ゾエルとヴァッカリオだ。二人とも、部屋から出てきた一瞬だけ厳しい顔をしていたが、騒いでいる三人には気づかれなかったようだ。
「エウブレナ、そろそろ操作説明会の時間だったか?」
「はい!移動しないと間に合わないかもしれません」
「ちょうどいい、んじゃあちっと行ってくるかね。コリーヌ!あんたは留守番を頼むよ!」
遠くの部屋からはーい!と元気な声が返ってきた。コリーヌはSNSやマスコミの報道を確認して、デマや誤報の類をひたすらチェックしていた。神話還りとしてアレイシアやエウブレナとともに戦うほどの力はなくても、少しでも役に立ちたい、と本人が立候補したのだ。コリーヌの情報はすぐにアテナフォースとデメテルフォースに連絡され、応じて対処がなされている。
「おい、ハルディス、あんたも行くんだよ」
「え?え?オレも?オレ?気持ち悪がられたらどうしよう、っていうかなんで?オレも?」
かちゃかちゃ何かを一心不乱にいじっていたハルディスは突然名前を呼ばれて驚いた顔をした。口が早いのは緊張している証拠だ。ギークトーク特有のしゃべり方はもっと早い。
「向こうでxxxxなブツをイジってるヤツらにお前の技術を見せてやろうって話さ」
「ふひ、ヘパイストスフォースの技術集団?最高にシビれる集団じゃん、オレ?オレは無理だよあんなの、一人で機械いじりしてる方が……」
「ぐじぐじうっせえ!ヴァッカ、車を……って、テメェ酒飲んでんのかよ……仕方ねぇな」
嫌がるハルディスを無理やり車に乗せ、全員ぎゅうぎゅうに詰め込んだら作戦ポイントへ。結局、運転はゾエルだ。
「なんかヴァカ隊長元気ないね?」
「んー?……いやあ、こんだけ酒臭い状態でお兄ちゃんに会うのちょっと怖いなーって……」
「まあ、自業自得ですわ」
「最近の新人は厳しいねえ……っと、エウブレナは寝てるのか」
そういうことですから静かにしてくださいませ、と言ってネーレイスは自分に寄りかかって寝息を立てるエウブレナの前髪を少しかきあげてやった。
多少、睡眠はとったとしてもほとんど徹夜で昨日から大人組に振り回されてきたのだ。車に乗ってすぐ寝息を立ててしまうのも致し方ないことだった。
アレイシアが大げさにシー!とジェスチャーをし、ヴァッカリオは思わず笑みをこぼした。彼の張り詰めた空気はあまり変わらなかったが。