閃光を穿て - 5/7

 午前十時。天候・快晴。湿度四十パーセント。風速、北南の風一メートル秒。
 
「絶好の狙撃日和だな」
『あーた、相変わらず本気なのか判断のつかない冗談言うわね』

 通信インカム越しのアフロディテIXの言葉に、アポロニオは喉を鳴らして笑った。
 すでにスタンバイは完了しており、あとはデメテルフォースからの発射カウントダウンを待つばかりだ。
 隕石は見るからに輝きを増し、もはや昼でも見える大きさだ。今はまだそれでも星の瞬きではあるが、アレが太陽のようなサイズになったときにはもう手遅れなのだろう。
 結局、漆黒神器は影響を最小限に抑えるために、発射時にのみ通常の人造神器にオーバーラップさせることになった。起動シーケンスまでは、人造神器のみで十分事たりるからだ。
 作戦本部の方はデメテルフォースの軌道計算が最後まで行われていて、かなりの喧騒だ。だが、試作機の通信回線は一本しかなく、アポロニオが誰かと話すには毎回、それぞれが作戦本部のマイクの前に立たなければならない。一対一の会話。
 逆にアポロニオの独り言はスピーカーで作戦本部内の誰でも聞こえるようになっている。うかつにしゃべれんな、と苦虫を嚙み潰したような顔をしたアポロニオに、副官が「恋人の名前を叫んでもスキャンダルにならないように対処しますのでご安心ください」と慰めたのは今朝の話だ。
 マイクの前に誰も立たなければ、アポロニオはコックピットの中で一人静寂……いや、試作機が黙々と熱を発するモーター音の中で孤独を味わうしかない。
 排熱処理の改修は優先度を下げたため、結局行われなかった。その結果、コックピット内はすでに八十度を超える高温になっている。ギリギリまで搭乗をしなかったが、もはやアポロニオの体からは汗が滝のように流れていた。
 
「暑い」

 マイクに向かってしゃべってみたが、誰も応答しなかった。向こうのマイクの前に誰もいないようだ。少し、寂しい。
 
『すみません、聞こえますかどうぞ!』
「ああ、聞こえている、なんだ?」
『角度調整願います!上に五度、右に八度!』
「了解」

言われたとおりに、トリガーレバーを動かす。角度とレバーがどれぐらい連動しているかはここまでの起動実験である程度は身についていた。それに、バイザーのスコープ表示がきっちり数値を出してくれるからわかりやすい。元々、弓矢型の人造神器でトレーニングしてきた経験があるから、この程度はアポロニオにとって慣れたものだ。……最近は、神器の自動追尾能力に頼りすぎたか、と思わないこともなかったが。

「角度調整完了した」
『了解、発射五分前です』

 さすがに、アポロニオにも緊張が走る。暑さのせいもあって、喉はカラカラでひりつくし、目に汗が入るのも不快だ。
 用意してもらったドーピング剤の一本を手に取り、作業服の袖をまくり上げると二の腕に注射を行う。圧力注射器の口から、じわじわと体内に薬剤が浸透するとともに、その接着面から、体内から、熱が沸き起こり体が熱く火照っていくのがわかる。コックピット内の暑さに負けない体温の上昇は、異常ともいえた。
 注射器を無造作に足元に打ち捨てると改めてトリガーを握る。震えこそしないが、トリガーを握る右手に力が入っているのをアポロニオは自覚した。
 
『残り三分、エネルギー充填開始お願いします!』
「了解した」

 ぐ、と漆黒神器にエネルギーを供給し始める。当然、アポロニオはこれを押収したことさえあれ、自分が使ったことはない。
 
「なるほど、これはなかなか……」

 神器や人造神器と全く違う「エネルギーを無理に引っ張り出される」感覚。注ぎ込むというよりも漆黒神器に吸われているようだ。漆黒神器に体を乗っ取られる、といっても過言ではないかもしれない。ドーピング剤で向上したエネルギー分がなければ、早々に枯渇していただろう。
 
『充填率八十パーセント!……充填スピードが速いです、止められますか?』
「……くっ、止められるかわからん、まずいか?」
『……いえ、無理そうならそのままやります、大丈夫です』

だいぶ時間を空けてから応答が返ってきた。
 技術者は少しでも可能性がある限り断定はできない、と言っていたのはアポロンフォースの人間だったか、ヘパイストスフォースの人間だったか。とにもかくにも、お墨付きをもらったのだから問題ない。
 
『発射カウントダウン!』

 作戦本部にも、アポロニオにも、これをテレビ越しに見守る市民にも、いい画が撮れないかと作戦区域の制限ラインギリギリに身構えるマスコミにも、家から出て空を見上げるオリュンポリス市民にも、旅の途中の二人にも。
 
 すべてに緊張が走り、その想いは一つになる。
 
『……五、四、三、二、一、発射!』
「発射!」

 ドンッと大きな破裂音とともに、一条の光が真っ直ぐ空へと進んでいく。発射の振動は大きく、作戦本部だけでなく見守っていた人々、近隣住民の家までもを揺らし、構えていなかった人間は足元に崩れ落ちた。
 空になった薬莢が重い音を立てて、地面へと排出されて転がっていく。
 
 

「口開けて見てる暇はないわよ!ポセイドンフォース冷却開始して!再装填までの時間と次弾発射のクールタイムどーなってんの!?」
「ポセイドンフォース冷却開始!」
「クールタイム計算しています!」
「アポロンVIの状態は!?」

 アフロディテIXの声に、静まり返っていた作戦本部が一気に慌ただしくなる。
 
「アポロンVI、通信断絶!」
「機械!?人間!?」
「ヒトの方です!機械問題ありません!」
「冷却完了次第、すぐに誰か突入させて、次弾が打てそうにないならすぐに引っ張り出してちょーだい!ゾエル、アレイシアちゃんの準備は!?」
「できてる!クソッ!xxxxじゃねーか!ヴァンガードスクランブルだ!ギリまで移動するぞ!」

 モニターを食い入るようにして見ていたゾエルは顔をしかめると同じく硬直していたメンバーを連れて作戦本部を後にした。エウブレナとネーレイスにいつでも神器および人造神器を使えるようにしておけ、と小声で伝えながら。

「再装填まで残り十九分八秒四ミリ!」
「かかりすぎ!完全冷却あきらめて、無理にでも取り付かせなさい!後で労災処理するから!」
「了解!」

 やはり、想定を超えたエネルギーを使った影響なのか、当初の予定では約十分で行われるはずだった再装填に二倍近くの時間がかかっている。
 また、予想以上の衝撃波のせいで、近隣地区に多少の被害、また、市民の混乱が見られるとの情報も上がってきている。そちらはポセイドンIIに対応を丸投げし、ポセイドンフォースによって冷却水を浴びせられ、蒸気を上げ続ける試作機をアフロディテIXは睨みつけた。
 
「……弾着二十秒前!」

 ハッ、と誰しもがモニターを見た。デメテルフォースが持っていた観測用のロケットカメラは順調に砲弾の行く末を観測していたようだ。アフロディテIXですら、指示を飛ばすのを忘れてモニターを見る。
 通信を聞いていたポセイドンフォースの面々も、まだ高温の砲台に無理やり組み付いて次弾の用意をしている面々も、一瞬だけ空を走る煙の先を見つめた。
 
「……四、三……弾着、今!」

 遠く、空の彼方で閃光が走る。遅れて、目に見える形で白い煙のようなものが同心円状に広がり、さらに遅れて衝撃をともなった音が鼓膜を劈いた。
 
「……破砕状況は!?」
「確認中!」
「破片と思わしき物体、複数観測!落下予定場所を提示します!」
「未確定でもいいわ、落下予定地の情報は各フォースに回して!もう移動始めちゃって!……アポロンVIは!?」
『……呼んだか、クソッ、しばらく気絶していたようだ、状況は?』

 荒い呼吸音とともにアポロニオの声が作戦本部内に響く。一瞬、ほっとしたような空気が流れかけたが、その辛そうな声音に再び空気が引き締まる。

「今、状況確認中よ。あーた、大丈夫なの?」

「大丈夫だ、次も撃てる」

 そう言って口の中に溜まった唾を吐き捨てると、アポロニオは口元を袖で拭った。ふ、とその袖を見ると血がついている。汗だと思っていたが、どうやら鼻血が出ていたらしい。まあ、これもドーピング剤を使った影響だろう、ともう一度垂れてくる鼻血を袖で強く拭った。

『そう、じゃあ信じるわ。次弾発射準備完了まであと九分、準備してちょーだい!』
「了解」

 外部集音装置から、技術員たちの怒声が聞こえてくる。発射した瞬間に、漆黒神器にエネルギーを吸い取られすぎて意識を飛ばしていたらしい。状況はわからないが、とにかく、初発は無事に発射できたようだ。
 
『状況!目標は六割を吹き飛ばされて、残り四割よ!……ただ、デメテルVの観測だと大きさは四割でも、質量が残りの部分に固まってるみたい』
「つまり、次弾もフルパワー、ということで良いな?」
『ええ……あーたの目的どーり、二発で片付きそうね』

 慰めの虚偽ではないだろうな、とアポロニオが言えば、リベルティーナはじょーだんよしてよ、こっちはマジよ、と笑って返した。
 漆黒神器にドーピング剤。ギリギリでそろったパーツのおかげだ。アポロニオは目を閉じて、瞑想する。漆黒神器を使った時の、言いようのない高揚感、全能感、快感。
 まだ心臓はバクバクと音を立てているし、頭の中で血液が轟音を立てて流れているのも知覚できる。指の先々まで神経が鋭敏になり、今や垂れる汗の一滴すら判別できそうだ。それでいて、まるで雲の上にでもいるかのように、ふわふわと心地よい浮遊感に包まれ、今すぐすべてを投げ出して走り回りたい――暴れ出したい気持ちになる。
 愛する市民、世界平和、アポロンシティ、ゴッドナンバーズの仲間、同僚、クリュメノス、家族、弟、ヴァッカリオ。まるで目の前にそれらがあるかのように瞼の裏に浮かぶ様々な愛する者への妄想、それらは首を振って振り払う。
 ――アポロン神の神話還りは、意外と独身者が多い。なぜかと言えば、たいていの恋愛ケースで失敗するからだ。ほとんどが悲恋に終わり、あるいはストーカーとして逮捕されたり、処断されるヴィランになってしまったり、ろくな結末にならない。
 だから、アポロニオに特定の恋人はいなかったし、この歳でも独身だ。もし、恋人がいれば今頃すべてを放り出して駆け出していただろう。強い理性に抑圧された愛への欲望は、時に人を狂わせ、盲目にさせ、命すら奪っていく。
 
『装填完了、角度調整願います!』
「了解」

 ゆっくりと目を開き、異常な感覚持ったままの右手で指示されたとおりに角度を調整する。もう少し上が良いのではないか、もう少し左でないとダメではないか、という根拠のない妄想に流されないように、静かに息を吐いた。
 気づけば、さきほどまで飛び交っていた外の怒号はすっかり消え去っていた。また独りだ。愛を与え続けても、すべてを拒絶され続けるアポロン神の孤独やいかに。気持ちの悪い妄想が胸を悪くする。
 アポロニオは悩んだ後に、ドーピング剤を二本手に取った。さきほどの感覚だと、一本で向上した分も含めて、ほぼすべてを使い切っていたように思う。二発目は失敗できない。アフロディテIXは片が付きそうだ、と言っていたが、それが本当かどうか、希望的観測なのか、それらを知るすべはアポロニオにはない。
 やや疑心暗鬼すぎるか、と自嘲しながらも、小刻みに震える手で薬剤の封を切り、続けて二本を二の腕に押し込む。
 
『発射三分前です、エネルギー充填開始してください』
「了解した。……ペースはさきほどと同じか?」
『……いえ、アポロンVI様のペースで大丈夫です』

 了解した、と返してアポロニオは漆黒神器に手を伸ばした。二回目の神力供給。
 漆黒神器の起動を開始すれば、すぐに全能感が溢れ始め、一人でもすべて片付けられそうな、世界に一人だけでじゅうぶんだ、と思えるような多幸感が胸にじわじわと広がっていく。誰も彼もがいなくなった世界にいれば、愛に振り回される必要もないのでは?ひとりであれば、愛も感情も必要ない、理性だけで生きていける。それはひとつの完成された世界――
 アポロニオは慌てて頭を振った。まるで自分ではない、誰かの声のようだった。そもそも、強い理性を持って大きな神力を制御しているアポロニオだから、漆黒神器の「逆流」を受けても暴走させるだけの強い想いなど自分が持っているわけはない、と過信していた部分もあったのかもしれない。無意識下にこのような不穏極まりない想いがあったとは、驚かされるばかりだ。
 アポロン神の神話帰りが逮捕される際の一番の原因は恋愛がらみであったが、ここにきて恋愛とは異なる「愛情」に自分が振り回されることになるとは。アポロニオは唇を強く噛み締めた。
 
『充填率百パーセント超えています!止められませんか!?』

暴発します!という悲痛な叫び声でアポロニオは我に返った。……危なかった、自覚できないほどに、意識は深く沈みこんでいたらしい。

「あ、ああ、今すぐ止め……いや、止まらん、クソッ、手が離せん!」

 気づけば、箱のような形をしていたはずの漆黒神器がぐにゃり、と形を変えてアポロニオの左手を飲み込んでいた。振り払おうとしても、軟体動物のような見た目と違って固体のようにがっちりと左手首までを固定されている。
 
『ちょ、大丈夫なの!?』
「くっ……漆黒神器が変形して……いや、大丈夫だ、右手は無事、発射はできる」
『……もー!時間もないし、あーたの大丈夫、信じるわよ!発射カウントダウン始めて!』

 左手首からずるずると這いずってくる漆黒神器を無視して、アポロニオは正面を見据える。エネルギー過多でぶれる砲身のせいで、照準の中央がぐらついている。右手のトリガーに力をこめて、目標の中央を見定めた。やはり、狙撃経験のないアレイシアやヴァッカリオには無理な役目であったな、とアポロニオは一人心の中で笑った。
 
『……三、二、一、発射!』
「……発射!」

発射指示からワンテンポ遅れて、アポロニオはスイッチを押した。さきほどよりも強い衝撃が全身を襲う。ごっそりと体内のエネルギーが抜き取られる気持ち悪さに、アポロニオは胃から逆流してきた朝食のパンの残骸を吐き出した。
 しかし、今回は失神することもなく、モニター越しに目標へと向かう光条を見届ける。

『発射完了!』

オペレーターの声がする。弾着までには時間がかかるが、とりあえずは、自分の仕事は終わりだ。ヘルメットを取り払い、朦朧とする意識の中で暴れだそうとする左手を抑えつける。
 ヘルメットから何やらアフロディテIXの声が聞こえているが、それに応えるだけの余力はない。ぽたぽた、落ちるのはただの汗か、鼻血か、それとも涙か。